小山田氏のイジメ及びイジメ発言による辞任問題、これは根の深い問題だなと思い始めている。根が深いというのは、報道における事実確認の問題だ。
今の自分は小山田圭吾氏のことを強く非難する気持ちになれない。それは、テレビや報道、一部のネット情報で知ったこととは別の事実を後になって知ったからだ。問題の発端となった雑誌の原文には、当初知った情報にはなかったことが書かれているらしい。こうなると話は違ってくる。
私が坂上忍のテレビ番組を見たとき、「調べればすぐわかることなのになぜ組織委は調べなかったのか」という趣旨の発言が、何度も繰り返されていた。しかし、調べれば本当にすぐわかることだったのだろうか?
確かに小山田氏のイジメについては「孤立無援のブログ」が、「小山田圭吾のいじめを次世代に語り継ぐ」などいくつかの記事で、「 クイック・ジャパン」vol.3(95年7月1日発売)、「ロッキング・オン・ジャパン」(94年1月号)を引用しながら、詳しく紹介している。
しかし、これは原文そのものではない。あくまで2次情報だ。問題が公になったとき、「クイック・ジャパン」と「ロッキング・オン・ジャパン」の原文を読んだ上で発言した人間やメディアがどれだけあっただろう。20年以上前の雑誌である。図書館に行って借りるか、アマゾンで中古を買うかしなければ、原文を読むのは難しかったと思う。だとすれば、「調べればすぐわかる」とは言えないはずだ。
坂上忍も番組アナウンサーも、番組で非難のコメントを発していた人も、ネット上に拡散された2次情報しか読んでいなかったのではないか。いまアマゾンでは6,600円出せば「クイック・ジャパン」の当該号を買えるし、15,000円出せば「ロッキング・オン・ジャパン」も買える。1週間前ならもっと安かったと思うが、今となっては確認できない。果たして彼らはこれら2誌の現物ないしコピーを手に入れて、記事に目を通した上で発言したのだろうか。
おそらくネット上に拡散された断片的な引用や「孤立無援のブログ」などを読んだだけだろう。調べてもすぐには両誌の原文を確認することはできないからだ。
テレビという非常に強力な影響力を持つメディアが、原文も確認しないまま、ネット上の2次情報だけで事の是非を判断し、ああだこうだと決めつけてしまうのは非常に危険なことではないだろうか。
私は坂上忍が居丈高に組織委員会の責任を追及する態度に憤りを覚え、そのことは当ブログにも書いたが、小山田氏の件については、番組内での説明を鵜呑みにしていた。本人も謝罪文を出したのだから、事実関係に誤りはないと思い込んでいた。
しかし、北尾修一氏の3回シリーズの文章を読んで、それが早合点だったと知った。だまされたのかもしれないとさえ思った。
「クイック・ジャパン」vol.3掲載の「いじめ紀行」の取材現場に同席した、当時太田出版入社2年弱だった北尾修一氏(現・百万年書房)がネットに公開した記事によると、孤立無援のブログで紹介された内容は、「いわゆる普通の意味での『記事の要約』になっていない」という。原文からの純粋な引用ではなく、あくまで編集、しかも巧妙に編集されたものだという。
live.millionyearsbookstore.com
この「孤立無援のブログ」の「いじめ紀行」記事の紹介の仕方が、ものすごく奇妙なんです。
いわゆる普通の意味での「記事の要約」になっていない。
元記事のテキストそのものは改変していないのですが、マーカーでチェックしながら読むと、意図的にエピソードの順番を入れ替えたり、小山田さんの発言の一部を削除したり、記事本文の途中で注釈内のエピソード挿入し、それに続けてまた別の場所の記事本文につなげたり……よく言えば「繊細な編集が施されている」ですが、悪く言えば「元記事の文脈を恣意的に歪めている」。
ただ、それらのカットアップとつなぎがあまりに巧く、スムーズに読めるので、普通に読んだらまったく気にならない(私みたいにマーカーを引きながら照合しないと気付かない)。
そして、北尾氏の手元にもなかった「クイック・ジャパン」のコピーを送ってくれた知り合いは、北尾氏にこう書いてよこしたという。
「この問題、鬼畜的要素の固有名詞をカットアップして短文化し、あたかも鬼畜に仕立てあげ脚色されたもの。作ったやつは誰か? これは調べあげた方がいい。」
「自分も罠にハマるところだった。バックナンバー引っ張り出して読んで良かった。」
北尾氏は原文と照合して、孤立無援のブログで削除されている部分や印象操作している箇所をピックアップしている。その箇所を読んで、正直、かなりビックリした。北尾氏の言う通り、まるで違った印象を受けたからだ。
高校時代に沢田くん(仮名)の下半身をむき出しにして廊下を歩かせた話は、てっきり小山田氏がやったことだと思っていた。だが、北尾氏が引用した部分を読む限り、違う。彼はその場で見ていただけだ。
そのことがわかってもう一度孤立無援のブログの引用文を読んでみると、確かに小山田氏がいじめたとは書いてない。書いてないのだが、普通に読むと、小山田氏が自分のイジメ行為を回想して語っているように読めてしまう。
北尾氏は書く。
これに続く以下の小山田さんの発言を同ブログは削除しています。
「でも、もう僕、個人的には沢田のファンだから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。……って言うか、笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったって言うか、そういうのやるのは、たいがい珍しい奴っていうか、外から来た奴とかだから」(『QJ』vol.3 本文58p)
素直に読めば、この性虐待エピソードは小山田さんとは別人の犯行です。小山田さんは周りで笑いながら引いていた、というポジションです。そして、この「笑ってた」という小山田さんを責める資格、少なくとも私にはありません。
北尾氏は次のような指摘もしている。
高校時代、沢田君と小山田さんがずっと隣の席だったこと。小山田さんはクラスに友達がいなかったので、お互いアウトサイダー同士で沢田君とは仲が良かったという発言が、「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文58p)。
沢田君から届いた年賀状の公開についても、孤立無援のブログは「小山田圭吾が障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑する」というタイトルで批判し、怒りを露わにした。しかし、北尾氏による内在的な分析を読んで印象が全く変わってしまった。小山田氏は「爆笑」もしていなければ、「笑いもの」にもしていない。
この画像が象徴しているものは「小山田さんと沢田君が、かつてクラスで席を並べて過ごしていた時間」です。そこに、部外者が簡単に決めつけられるような関係性ではない何かがあったはずだと、読者に連想させるための画像、のはずです。
で、注目すべきは、この年賀状の内容です。「手紙ありがとう」と沢田君は書いています。
ここで、本文でずっと匂わされていた「実は小山田さんと沢田君は仲良しだったんじゃないのか?」ということの、物的証拠が初めて示されます。つまり、読者はこう発見するのです。
「小山田さんも、沢田君に手紙を書いていたんだ…(やっぱりふたりは仲が良かったんだ…)」
ここを読んで私は完全に説得された。
沢田君は、取材したライターから「小山田さんとは、仲よかったですか?」と聞かれて「ウン」と答えている。
いじめられて内心に怒りのマグマをためている人間が、「いじめ加害者と仲が良かったか」と聞かれて「良かった」と答えるだろうか。私なら絶対言わない。母親が同席しているので本音は言わなかった可能性もあるが、本当にいじめられていたら、沈黙で応じるか、違う言い方でそれとなく抗議の意思を示したはずだ。
ただ、こうした私の感想も、北尾氏の記事を読んで得られたものに過ぎず、2次情報に頼っているという弱点を免れない。したがって、以上はあくまで現時点での感想である。
それでも、これだけは言っておきたい。坂上忍やメディアは本当に雑誌の原文に当たったのか、そして北尾氏がやったような詳細な分析をした上で報道したのか。していないだろう。していたら、組織委員会に対して「調べればすぐわかるのに、なぜ調べなかったのか」などと偉そうに言えるはずがない。調べてすぐわかるのは編集された2次情報だ。メディアは実のところ、この2次情報に頼って報道したのではないか。
毎日新聞は7月15日19時59分にウェブサイトで「小山田圭吾さん、過去の『いじめ告白』拡散 五輪開会式で楽曲担当」と第一報を報じ、その後も批判的なトーンで報道したようだ。
しかし、その毎日新聞も2018年9月18日の夕刊で、小山田圭吾氏を絶賛する記事を載せている。
■音のアーキテクチャ展 うねる音楽と映像 小山田圭吾の新曲を可視化
音楽が内包している構造やエモーションを、映像の空間に解き放ってみたら、どんな世界がうまれるだろう。こんな問いへの解を見いだそうとしているのが、東京・六本木の「21_21 DESIGN SIGHT」で開催中の「音のアーキテクチャ展」だ。「コーネリアス」名義で音楽活動をする小山田圭吾の新曲「AUDIO ARCHITECTURE」に、9組の映像作家たちがそれぞれの作品を提示した。音と画像は互いに刺激し合い、やがて聴覚と視覚の境界線が消えてゆく。そのただ中に身を置ける不思議な場となっている。(中略)
どれ一つ似た作品はない。小山田の音楽が映像のうねりとなって広がる豊かな空間に、時を忘れてたたずんでしまう。
2018年9月といえば、その時すでに孤立無援のブログが小山田氏批判の記事を3本公開していた。毎日新聞記者は、小山田氏の過去の問題について何も調べずに記事を書いたのだろうか。調べて知ったけれども、問題なしと判断したのだろうか。
大新聞が紙面で絶賛すれば、そのミュージシャンの評価はぐんと上がる。「毎日新聞社公認」と箔を付けてあげたようなものだ。自分で持ち上げておいて、小山田氏を起用した組織委員会のことは平気で責める。どうにも合点がいかない。