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偽善の王者・朝日新聞は、まずアスリートたちに謝るべきだ

全く朝日新聞の偽善者ぶりには呆れるばかりで、この新聞は「偽善の王者」の名にふさわしい。5月26日の社説「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」ではこう書いた。

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 驚くべき発言があった。

 国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ副会長が先週、宣言下でも五輪は開けるとの認識を記者会見で述べた。

  だが、ただ競技が無事成立すればよいという話ではない。

緊急事態宣言下で東京五輪を開くなんてとんでもない、というのである。

では、無観客はどうか。

 無観客にしたとしても、ボランティアを含めると十数万規模の人間が集まり、活動し、終わればそれぞれの国や地元に戻る。世界からウイルスが入りこみ、また各地に散っていく可能性は拭えない。

 IOCや組織委員会は「検査と隔離」で対応するといい、この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。しかし五輪は規模がまるで違う。(中略)

 「賭け」は許されない

無観客開催もダメだと言い切った。しかも、五輪を招致した東京都の小池知事に対してではなく、サポート役の菅首相に対して。中止の決断を小池都知事に求めるならまだわかるが、朝日はそうしないで、支持率が下落している菅政権を、ここぞとばかり責め立てたのだ。

菅政権を徹底して追い込み、国民の不満のすべてを菅政権に向かわせ、信頼を失墜させ、来たるべき総選挙で野党に政権を取らせたいという政治的意図が見え見えだった。

東京五輪を開催するな!」とは、すなわち、4年に一度しかないこの大会のために人生を賭けて準備してきた日本と世界中のアスリートたちから、勝負と活躍の場を奪い去ることにほかならない。

延期しようにも各種競技の国際大会と日程が重なり、延期は不可能だとは前々から言われていたことだ。中止すればそれで終わり。東京五輪2020は無に帰する。そうなって当然だと言わんばかりの社説だった。

ところが、どうだろう。東京五輪が始まってみると、朝日新聞は五輪スポーツ競技を連日報道し、内外の選手の華々しい活躍をしっかり伝えているではないか。どうしてこんな矛盾したことが平気でできるんだろう。朝日新聞を1人の人間にたとえるなら、精神が真っ二つに分裂しているとしか思えない。

緊急事態宣言下では、“無観客でやることも許されない”と言っていたくせに。海外アスリートや関係者たちには、“日本に来るな。来ると世界中からウイルスが入り込む”と、汚染源扱いしていたのに。「日本に来るな」と言葉では言わなくても、社説の行間を読めば自然とそういう受け止めになる。海外でも、「日本人は『海外選手に日本に来てほしくない』と思っている」と報じられていた。

実際に東京五輪は、緊急事態宣言下で感染者数が増加基調にある中で開かれた。朝日のそれまでの主張からしたら、絶対開かれてはならない大会だったはずだ。それがもう何を言っても開かれるとわかった瞬間、手のひらを返したように五輪競技の報道を始めた。選手たちの努力を賞賛し、活躍を褒め称え、喜びの声を写真付きで伝えている。

一体どうしたらこんなことができるのか。朝日にとって、「五輪開催」と「コロナ抑え込み」は二者択一だったはずだ。五輪を開催すれば、コロナは抑え込めないし、コロナを抑え込むには五輪を中止するしかない。これが朝日の論調だった。

しかし、五輪が始まるやコロッと態度を変えて知らん顔だ。五輪競技を取材し報道する前に、アスリートたちに言うべきこと、やるべきことがあるだろう。まずは彼らにきちんと謝るべきではないか。

「我々朝日新聞はあなた方アスリートたちに、日本に来るな、東京へ来るなと言い続けてきました。無観客でも五輪はやるべきでないと考え、あなた方に活躍の場を提供してはならないと政府に求め続けてきました。それがあなた方にとってどんなにむごいことか、つらいことか、我々の想像力が足りなかった。申し訳ない。許してほしい」

朝日新聞に人間の心があるならば、真っ先にやるべきは謝罪である。

7月23日の社説では、「競技を観戦することは、戦争と平和、差別の根絶、両性の平等、そして幾つもの不祥事によって痛感させられた、この国の人権意識の遅れについて、思いを巡らせる機会ともなろう」と書いた。

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だが、朝日新聞の人権意識の遅れについてはどうなのか。五輪中止を叫び続けていた間、朝日はアスリートたちの人権にどれだけ思いを巡らせていたのか。

東京五輪のオフィシャル・パートナーの資格を持ち、本来なら五輪を支える立場なのに、“五輪などやめてしまえ。アスリートたちの活躍の場がなくなろうと知ったことか。日本に来るな。東京に来るな”と言ってきた朝日(言葉ではっきり言わなくても、「五輪を中止せよ」とは事実上そういう意味になる)。

東京五輪は中止と言っていたくせに、朝日が共催する高校野球の甲子園大会は無観客でやると言う。「なんだ、五輪は無観客でもダメだと言っていたじゃないか。甲子園はいいのか?」とは、誰でも思うことだろう。観客はいなくても、選手と学校関係者は全国から甲子園に集まってくる。県境をまたいだ移動は自粛するんじゃなかったっけ。朝日の論理に従えば、甲子園大会の無観客開催も絶対認められないはずだ。なのにやると言う。

なんという矛盾、なんというダブルスタンダード

テレビでも、これまでさんざん「東京五輪は中止すべき。人命がかかっているのに菅首相は政権延命のことしか考えていない」と批判していた芸人たちが、大会が始まるや、何食わぬ顔で選手たちの活躍にコメントしている。彼らも朝日と同じ偽善者だ。そんなにまでしてテレビに出たいのか。1人ぐらい五輪競技に関わるテレビ出演を辞退して筋を通す芸人はいないのか。