吊りしのぶ

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「女らしい」が古い固定観念だって? ばかばかしいにもほどがある

「サンデーモーニング」常連の張本勲氏が女子ボクシング金メダルの入江選手を揶揄した発言は、批判されても仕方のない発言だ。スポーツとしての女子ボクシングへのリスペクトがなかった。内輪のおしゃべりや茶の間の会話ならともかく、公共の場で、しかも番組のスポーツコーナーで言うようなことではない。

発言が批判を浴びたのもうなずけるが、張本氏が謝罪し、日本ボクシング連盟も謝罪を受け入れて一件落着した。

ところが、その後気になる記事を読んだ。

news.yahoo.co.jp

記事にはこうある。

 同連盟の内田貞信会長は「張本さんには、もう少し理解を持って女性ボクサー見てもらいたい。入江選手、(銅メダルの)並木(月海)選手も礼儀正しく、女性らしい気配りのある素晴らしい人格を持った選手。誰に対しても模範となる女性であります。『サンデーモーニング』さんにはスポーツの楽しさ、価値観を伝えてもらうように要請したい」と苦言。

 ただ、「女性らしい」という表現には、SNS上で張本氏と同様に古い固定観念の表れとの批判も。

なんと「女らしい」という表現が古い固定観念の表れだと批判する人がいるらしい。本気ですか? 「女らしい」は女性に対する褒め言葉の一つ。連盟会長の発言を「女らしさの押しつけだ」などと批判する人がいたら、その人は自分こそが独善的なイデオロギーを社会に押し付けていることを自覚したほうがいい。

本当にばかばかしく話にならない。平成11年の男女共同参画社会基本法の成立以来、こういうことを言う人が増えて、教育現場にも悪影響が出てきたため、確か政府は「男女共同参画は、男らしさ、女らしさを否定するものではない」という見解を出しているはずだ。

日本では最近急に「ジェンダー平等」という言葉が流行りだしたが、「男らしさ、女らしさは否定されない」という政府見解が変わったという話は聞かない。「女らしい」にクレームを付けるなんて異常である。

要は、男女間の社会的性差を認めたくないのだろう。しかし、それならなんで男という性があり、女という性があるのか。男と女には極めて大きな生物的性差がある。そうであれば、その生物学的性差が、男女の気質、考え方、行動にも影響を与えると考えるのが自然で、いわゆる社会的性差(ジェンダー)は生物学的性差と切っても切れない関係にある。

もちろん、生物学的性差と無関係に形作られたものもあるだろう。社会的、文化的にすり込まれたものもあるかもしれない。しかし、だからといってそれを「なくすべき」「無視すべき」と短絡することはできない。そもそも文化とは刷り込みによって持続し、長く継承されるという性格があるからだ。

すり込まれたものはすべて「なくすべき」ものだとしたら、我々が時代を超えて育んできた文化は解体されなくてはならないことになる。声高に「ジェンダー」を叫ぶ人たちの真の狙いは、そこにあるのだろうが、一般の常識人にとってそんなのはただの迷惑行為である。

「女らしい」がいけないのなら、「女に年齢を聞くのか。失礼な!」と女性が言うのはどうなのだ。男に年齢を聞くのはよくて、女に年齢を聞くのは失礼だという。これなど「男だから、女だからという固定観念は捨てましょう」という自分たちの主張に反しているではないか。

また、前にも書いたが、レディーファーストはどうなのか。男女平等の先進国である欧米では、レディーファーストは今でもごく当たり前の慣習だ。

「女ならではの視点」はどうか。これなど女性の国会議員や地方議員、あるいは候補者たちが選挙戦の自己アピールでしょっちゅう言っている言葉だ。

いったい何ですか、「女性ならではの視点」って?

女性にしかわからない視点、つまり男性にはない、もしくは気づきにくい視点のことだろう。これは女性と男性は違う存在だという前提がなければ出てこない発言だ。「視点」というのだから、これは社会的性差に属する。まさに「女はこうあるべき」というフェミスト言うところの「古い固定観念」そのものではないか。

こういう発言をする女性は、意識しているか否かにかかわらず、女性と男性では社会的性差が異なることを認め、かつ、「女性ならではの視点」を発揮する女性は優れた存在だと主張しているわけだ。

この女性ならではの視点なるものは、「女らしさ」の一部である。つまり、もし誰かがある人を指して「女性ならではの視点を持つ素晴らしい女性だ」と言ったとしたら、それは「あの人は女らしい女性で素晴らしい」という褒め言葉と同類なのである。

ついでにもう一つ。今年の春だったか、NHKの国際報道2021で「アメリカ議会で女性議員が増えたが、まだ課題も残っている」という趣旨の特集をやった。そこに登場した女性学者は、さらに女性議員を増やすためには、この「女性ならではの視点」を強く押し出していくことが必要だと語っていた。

女性の社会進出を支援するアメリカ人女性学者自身、「男だから、女だからという固定観念」を肯定しているわけで、自分にはしごく常識的な主張に思えた。