この人は本当に自分の立場というものをわかっていない。呆れて物も言えない。
産経ニュースで尾身会長がIOC のバッハ会長を批判したという記事を読んだ。
NHKのお昼のニュースでもやっていた。
NHKはバッハ会長に関する発言の前に、尾身会長が政府批判をしたことも含めて、こう伝えている。
(尾身会長は)医療の深刻な逼迫を招いた原因を問われたのに対し、「政府は危機感は共有していたが、私たち専門家の分析より時々やや楽観的な状況分析をされたのではないか」と分析しました。
また再来日したIOCのバッハ会長について、「人々にテレワークを要請している中、挨拶が必要ならばなぜオンラインでできないのか、『バッハ会長はなぜわざわざ来るのか。銀座も一回行ったんでしょ』と一般庶民としてそう思う」と述べました。
尾身茂氏は、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長なのだ。政府批判をするなら、辞任して、一介の感染症対策の専門家の身分に戻ってからにすべきだ。
分科会会長として政府に対策を助言したのに、その意見が聞き入れられず、政府の対策が事態を楽観的に見て自分の意見が軽視されているというなら、さっさと辞めればいいではないか。辞任しないでその職に留まっている限り、政府の政策を追認しているのと何ら変わらない。
コロナ対策がうまくいっていないとすれば、尾身会長も政府と共同責任を負う立場である。
実際、酒類を出す飲食店への自粛要請は、尾身会長と分科会が強力に提言したことであり、政府はそれを受け入れて対策を打っている。にもかかわらず、飲食店関係者の批判は政府にばかり向いている。
おかしいではないか。批判するなら分科会を批判すべきだ。
「なぜ飲食店を狙い撃ちするのか。本当にエビデンスがあるのか。あるなら出してほしい」と尾身さんに言えばいいのだ。
尾身氏らに反発している飲食店関係者も結構いるとどこかで読んだ覚えがあるが、あまり表に出てこない。
想像するに、尾身氏はおそらくこういう批判があることを自覚しているのだろう。それで意図的に政府と距離を取って保身を図っているのだ。政府を批判したい野党側の口車に乗って、「一般庶民の立場ではそう思う」などと、一般庶民なんかではないくせに、ぬけぬけと国会で言い放つとは、相当にずる賢い。
国民のバッハ批判を念頭に、一般庶民に寄り添っているかのように発言しておけば、自身への批判も和らぐと読んでいるのだと思う。これはもう自己保身のための巧妙な処世術と言っていい。
挨拶だけならオンラインでやればいいと言うが、バッハ会長は挨拶だけのために来日したわけではない。パラリンピック競技の視察も予定されている。オリ・パラは不即不離のイベントだから、パラリンピックも見ておきたかったのだろう。よく「国民はみんな怒っている」と平気で言う人がいるが、冗談じゃない。私は何の問題もないと思っている。むしろ「オリンピックがうまくいったから、あとは知らない」と無関心になるより、よほど好ましいではないか。
銀座に行ったのも、トップスポンサーが運営する美術館を訪れたらしいから、挨拶の意味もあったのではないか。「五輪貴族」などという批判もナンセンスだ。海外の有力企業の経営者が日本の一流企業の経営者の何倍、何十倍の報酬をもらっているのと同じで、海外では、世界規模で物事を動かしている人たちは、一般庶民とは隔絶された世界に住んでいる。
日本のビジネスマンの多くが尊敬しているマイクロソフトのビル・ゲイツにしても、およそ想像を絶するような大豪邸で暮らしていることは衆知の事実だろう。そんなに金があり余っているなら社員の給料を上げろ、などと言っても始まらないのだ。
東京五輪・パラリンピックは、東京都が、そして日本が望んで、自らの意志で招致したのだから、いちいちバッハ会長の行動や発言をあげつらうのは、立憲民主党の小西洋之参議院議員の安倍批判じゃないが「人間が小さい」。もっと寛容になれないのかと思う。
尾身会長はしかし、今回の国会での発言で、一部国民のバッハ批判(富豪に対する嫉妬?)にお墨付きを与えてしまった。思慮を欠いており、実に大人げない。これでバッハ会長の再来日を許した政府に批判の矢が飛ぶことになる。
案の定、早速SNSや各紙が取り上げている。
「政府分科会会長の立場ではお答えすべきことではない」と言って、政府批判の材料を引き出したい野党の思惑をかわすのが、自らの立場にふさわしい答え方だろう。自分が属する政府への批判材料を提供してどうするのだ。
コロナ対策でも、言いたいことがあれば政府に直接言えばいいのであって、国会で政府批判を口にする必要はない。
野党に政府批判の材料を与えたいだけなら、政府の分科会の会長をやっている意味がない。早く辞めてほしい。