TBSの「ひるおび!」で八代英輝弁護士が、
「(志位和夫委員長らは)つい最近、『敵の出方』って言い方をやめようと言いましたが、共産党は『暴力的な革命』っていうものを、党の要綱として廃止していませんから。よくそういうところと(立憲民主党らは)組もうって話になるな、と個人的には感じます」(9月10日)
と述べたことに日本共産党が反発し、TBSと八代英輝氏を謝罪に追い込んだ。
私は最初の謝罪で十分だったと思う。最初の謝罪で満足せず、さらに非難を続けたのは、共産党によるTBSと八代氏への不当な圧力である。
共産党は日ごろ、言論の自由を尊重するって言ってなかったっけ?
安倍政権による放送事業への威圧・介入が強められていることは重大です。日本共産党は、憲法21条と放送法に基づき放送における「言論、表現の自由」を守り徹底します。
これは「2019年参議院選挙政策」に出てくる言葉だが、共産党は、安倍政権の放送事業への威圧・介入は許さないが、自分たちがやる分には、全然問題ないと考えているようだ。今回の件がマスコミへの「介入」とまで言えるかどうかはともかく、共産党による「威圧」であったことは間違いない。
八代弁護士は、10日の発言の事実誤認を認めてちゃんと謝罪した。
(TBSは13日)江藤愛アナウンサーが「日本共産党の綱領にそのようなことは書かれていませんでした。訂正しておわびします」と謝罪した。
続いて八代弁護士も「私の認識は閣議決定された政府見解に基づいたものだった。日本共産党はそれをたびたび否定していることも合わせて言うべきだった。申し訳ありません。テレビで発言する者として、今後はより正確にバランスに配慮し、言葉に責任を持っていきたい」と頭を下げた。
これで十分ではないか。事実誤認について、しっかり謝罪と訂正をしている。何の問題もない。
■2度目の謝罪は必要なかった
政府が「共産党は暴力革命の方針を変えていない」と見て、依然として共産党を破壊活動防止法の調査対象としていることはれっきとした事実であり、「閣議決定された政府見解」だというのも正しい。
共産党はこの謝罪と訂正で矛を収めるべきだった。それ以上文句を言いたければ、政府や公安調査庁に対して言えばいいことで、これをもって「謝罪に値しない」とはどういうことか。
「自らの発言が事実無根だったと一切認めず、筋の通らない弁解をした。全く謝罪に値しない」(共産党・小池書記局長)
まったく何言ってるんだろう。ちゃんと事実無根だったと認めてるじゃないか。「日本共産党の綱領にそのようなことは書かれていませんでした。訂正しておわびします」というTBSアナの発言の、どこをどう読んだら「事実無根だったと一切認めず」という解釈になるんだ。
八代氏自身でなく、アナウンサーに言わせたという問題はあるにせよ、八代氏同席の場で間違いだったと言っているのだから、事実上、八代氏が間違いを認めたのと同じことである。
しかも、八代氏は自ら「私の認識は閣議決定された政府見解に基づいたものだった」と述べている。これを素直にとれば、「私が共産党が暴力革命路線を捨てていないと言ったのは、政府見解に基づいたもので、共産党の綱領を確認して言ったことではなかった」という意味になる。
「事実無根だったと一切認めず」「筋の通らない弁解」なんていう解釈は、普通の読解力のある人間からは逆立ちしても出てこないだろう。
結局、八代弁護士は17日、2度目の謝罪をする羽目になった。これは全く必要のない謝罪だった。八代氏が「事実無根だったと認めて、筋の通った弁解」をしているのに、それを認めないというのだから、共産党は八代氏の言論の自由を全然尊重していない。八代英輝氏が気の毒だ。
TBSは「もう謝罪・訂正したから十分」と、八代氏を守ってそれ以上の要求は突っぱねるべきだった。それができなかったTBSは不当な圧力に屈したと言われても仕方がない。
■坂上忍はTBSの責任を問わないのか
ここで私はバイキングMOREの坂上忍の発言を思い出す。彼は、小山田圭吾氏が過去のいじめ問題で謝罪文を出したにもかかわらず、非難・中傷・罵倒の嵐で五輪開会式の楽曲担当を辞退したとき、何と言ったか。
私の記憶に間違いがなければ、彼は五輪組織委員会を批判したのだ。
「組織委が開会式に必要と判断してリクルートした人間は、組織委が守らなければいけない。それができなかったときは、組織委が責任を取るのが当然だ。それなのに、小山田圭吾氏を外すだけで組織委の人間は誰も責任を取っていない。おかしいじゃないか」
だいたいこんな趣旨の発言をしていた。
八代氏が2度目の謝罪をしたことは、TBSが八代氏を守れなかったことを意味する。彼の論理からしたら、当然TBSの責任は重大だ。坂上忍はテレビでTBSに責任を取れ(=責任者を処分せよ!)と言わないのか。
■敵の出方論と「どんな場合でも平和的」のウソ
ちなみに共産党と暴力革命との関わりについては、ウィキペディアの「日本共産党」などの項目にかなり正確な記述がある。また、デイリー新潮もコンパクトな共産党批判の解説記事を書いている。
志位氏は「共産党は社会変革の道筋に関して過去の一時期に『敵の出方論』という説明をしたが、どんな場合でも平和的、合法的に社会変革事業を進める立場だった」、「ねじ曲げた悪宣伝に使われる。この表現は使わないことを明確にしたい」と述べたそうだ。
ウソはやめてほしい。「どんな場合でも平和的、合法的に社会変革事業を進める立場だった」って、よくそんなウソが言えるものだ。
長きにわたって共産党の最高権力者だった宮本顕治氏が「革命への移行が平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方によることは、マルクス・レーニン主義の重要な原則である」(『日本革命の展望』)と述べていたのは、紛れもない事実。
こうした過去がありながら、なんで「どんな場合でも」などと言えるのか?
また、デイリー新潮が「実際に共産党がなかなか荒っぽい革命方針を掲げていた時代があったのは事実である」と書いている通り、共産党が1950年代に行った武装闘争、破壊活動の数々についても触れる必要があるだろう。
日本の過去については「侵略戦争を行った」と断罪し、繰り返し批判し非難するくせに、自分たちの過去については「どんな場合でも平和的、合法的に社会変革事業を進める立場」とか言って、なかったことにするのはいかがなものか。良心の呵責を感じないのだろうか。