吊りしのぶ

気の向くまま、思い付くままに。記憶にとどめたいoutputの場として。

いまだに小山田圭吾氏を叩いている人間には怒りを覚える

週刊文春9月23日号の「小山田圭吾氏の懺悔告白120分」を興味深く読んだ。思った通り、小山田氏による凄惨なイジメとして断罪、糾弾された行為の主要部分が小山田氏によるものではなく、小山田氏はむしろ冤罪の被害者でもあることが明らかにされた。

やってもいないイジメがなぜやったことにされたのかについても、説明がなされている。特に言い訳めいた感じは受けず、事実をあるがまま正直に語っていると思った。

とはいえ、小山田氏がいくつかのイジメを行ったことは事実である。小山田氏は、これについて正直に告白しており、「相手の方には本当に申し訳ないことをしたという思いです」と反省の弁を述べている。

記事で小山田氏が認めたイジメは次の2点。

1,(引用者注=中学生のとき)ロッカーに同級生を閉じ込めて蹴飛ばしたこと。

2,小学生の頃、知的障がいを持った同級生に対して、段ボールの中に入れて黒板消しの粉を振りかけたこと。

自分がやってもいないのに、やったことにされてしまったイジメがこれ。

3,中学校の修学旅行のとき、同級生の1人を「全裸にして紐で縛って、オナニーさせて、ウンコを喰わせた」こと。

週刊文春の該当箇所を引用しよう。

――「全裸にして紐で縛って、オナニーさせて、ウンコを喰わせた」のは事実?

「たぶんその話が一番拡散されてしまっているのですが、事実ではありません」

――どこが違うのですか?

「自慰行為に関しては、中学の修学旅行のときのことでした。留年して同じクラスだった上級生と、僕は一緒の部屋でした。友だち数人とプロレスごっこをしていると、そこにその上級生が部屋に入ってきて、同級生の一人を裸にしたり、紐で縛ったり、自慰行為を強要したのです。行き過ぎた行為でしたが、怖くて止めることができず、傍観者になってしまったことがありました」

「ウンコを喰わせた」については、別人の話で、そもそもそんな事実はないと言う。小学生のとき、落ちているものを拾って口にしてしまう同級生がいて、その子がたまたま犬のウンコを口にして吐き出したのを見てみんなで笑った。それだけだという。

■世間に衝撃。「イジメというより犯罪」「度を超している」

7月の東京五輪開幕直前に小山田氏のイジメ問題が明るみに出たとき、多くの人が衝撃をもって語っていたのが、この3の話である。まだ未熟な子どもだからいじめてしまうことはあるが、いくら何でもこれはやり過ぎだろう、ここまでやるのは考えられない、という意見だ。

以前のブログで紹介したように、経済評論家の上念司氏も動画冒頭で「ひどいすね。ちょっと度を超してますわ。……ぐるぐる巻きにしてあんなことしちゃうとかさ、下ね、全部、下半身全部あれにしてあんなとこさせちゃうとか、あんなもの食わしちゃうとかね……」と語っていた。これが3の行為を指すことは明らかだろう。

またAERAdot.は7月19日に次のように報じた。

政府関係者は渋い表情を浮かべる。

「20年以上前に雑誌に告白したいじめの話なので、どんな内容なのかと思ったら想像を絶する酷いもので読むにたえられなかった。比べてはいけないですが、組織委を辞める引き金になった森喜朗さんの女性蔑視発言よりはるかに酷い。小山田氏の行為はいじめという範疇ではなく、犯罪です。警察が介入する事案です。以前もこの雑誌の一件で小山田氏に批判が殺到したと聞いている。それなら、なぜ今回抜擢したのか…。組織委の調査が甘すぎる。時間が過ぎれば批判が収束するという問題ではない」

報道によると、いじめを告白したのは邦楽誌「ロッキング・オン・ジャパン」の1994年1月号で、小山田氏が学生時代に、被害者を全裸にしてひもで巻いて人糞を無理矢理食べさせるなどの行為をさせた上で、バックドロップをするなどのいじめのアイデアを出していたことを告白。サブカルチャー系雑誌「クイック・ジャパン」の95年8月号でも、障がい者の下半身の服を脱がせるなどのいじめを告白している。被害者の苦痛を考えると神経を疑うが、小山田氏は悪びれる様子がなく語っているという。

ここで小山田氏のイジメとして紹介された行為は、やはり3の話である。

■「一番拡散された」壮絶なイジメの真相。実は小山田氏はやっていなかった。つまり冤罪だったのだ!

しかし今、多くの人に強い嫌悪感を与え、小山田氏の信用を一挙に崩壊させた、この常軌を逸したとも言えるイジメ行為に、小山田氏本人は関わっていないことが明らかにされたのである。

本来なら、小山田氏を非難する原因の1つ(最も重要と思われる原因)が消えたのだから、小山田氏を批判、非難、罵倒していた人たちは、立ち止まって沈思黙考すべきであろう。

「小山田氏への批判、非難、罵倒の数々には行き過ぎたところがあったのではないか」と自省する瞬間が訪れて当然だと思う。

ところが、私は楽観的に過ぎたようだ。伝えられるところによると、小山田氏は再び批判にさらされているらしい。

とりあえずネットで2つの記事を見たが、まあ、ひどいものだ。自分がろくにウラもとらず事実誤認でさんざん非難したことは棚に上げて、論点をずらして小山田氏を悪者扱いしている。

9月16日のAERAdot.には、

小学校の30代男性教職員は「いじめの当事者でなくても、許される発言ではない」と語気を強める。

「その場を盛り上げるために発言したという事ですが、障害者を残忍な手口でいじめる行為を面白いと感じる感覚が常軌を逸している。いじめの当事者でなくても、人間性を疑うのは当然です」

とあるが、「イジメの当事者でなくても」と論点をずらす前に、言うことはないのだろうか。推測だが、この人は以前は小山田氏のことを「イジメの当事者」と思っていた。だから「イジメの当事者でなくても」とわざわざ断って、それでも「許される発言ではない」と断罪したのだろう。

しかし、小山田氏は3のイジメに関しては当事者でないと告白している。しかも、このことは、7月16日に公表した謝罪文でも、「記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されております」として示唆されていたのだ。

ならば、まずは自分が誤った根拠をもとに小山田氏を批判していなかったかどうか反省し、もし3のイジメを小山田氏がやったことと思って批判していたのなら、その点については小山田氏に謝罪の気持ちを示すのが先ではないか。

■『ロッキング・オン・ジャパン』誌のライターによる創作の疑い

それに「許される発言ではない」とあるが、小山田氏が『ロッキング・オン・ジャパン』誌(1994年1月号)のインタビューで語った内容は、「その場を盛り上げるために、自分の身の回りに起きたことも含めて」(週刊文春)語ったことを含んでおり、なおかつ印刷前に原稿チェックができなかったため、自分の真意が反映されておらず、小山田氏は「記事になったのを見てショックを受けました。全部自分がしたかのように書いてあり、後悔しました」と述べているのである。

つまり30代男性教職員氏が「許される発言ではない」と述べたその「発言」というのは、著作者である小山田氏の事前チェックを受けることなく『ロッキング・オン・ジャパン』誌が活字化した発言であり、事実と異なる可能性があるのだ。

このことは、週刊文春の記事を読めば、誰でもわかることである。なのにどうして「許される発言ではない」などと言い切れるのか。「発言」そのものが、『ロッキング・オン・ジャパン』誌の創作だったかもしれないのに。

■「原稿の事前チェックは無くてもいい」と約束した手前、強く抗議できなかった小山田氏

『ロッキング・オン・ジャパン』は当時、ミュージシャンに原稿の事前チェック(印刷する前に「この原稿で印刷しますが、間違いないですか」と取材対象者に確認してもらう作業)を認めないことで有名な雑誌だったという。

これは後述する北尾修一氏(現・百万年書房代表)が、7月下旬に期間限定で公開したウェブコラムに書いていたことだ。

今回、週刊文春の記事で初めて明らかになったことがある。原稿の事前チェックができなかったのは、小山田氏が『ロッキング・オン・ジャパン』誌の求めに応じて、そのやり方でいいと取材前に約束していたためだった。『ロッキング・オン・ジャパン』が一方的に小山田氏に事前チェックをさせなかったのではなく、事前に(原稿の事前チェック無しでいいかと)了解を求め、小山田氏は同意していたのである。

これは小山田氏の致命的なミスだろう。そんな約束をしていたのなら、たとえ活字になった誌上発言が事実と違っても、抗議するのは簡単ではない。抗議しても、「事前チェック無しでOKと言ったじゃないですか」と反論されたら、それを押し返すには相当なエネルギーが要る。

私なら「事前チェック無しでOKとは言ったが、ウソを書いてもいいと言った覚えはない」と強硬に抗議するが、雑誌側も既に活字にしたものを訂正するのは信用問題に関わると考えるだろうし、訂正すれば費用もかかる。簡単に引き下がるはずがない。誌面での訂正を実現するには、『ロッキング・オン・ジャパン』の誠意に期待するしかなく、拒否されれば、裁判にでも訴えない限り解決できない難しい問題だ。

小山田氏は、インタビューでは慎重の上にも慎重を期して話すべきだったが、実際には「その場を盛り上げるために、自分の身の回りに起きたことも含めて語って」(週刊文春)しまった。

■「障害者を残忍な手口でいじめる行為」を本当に面白がっていたのか?

しかし、だ。こうしたミスがあったにせよ、「障害者を残忍な手口でいじめる行為を面白いと感じる感覚が常軌を逸している」という批判は妥当なものだろうか。私はそうは思わない。

そもそも3のイジメについて、小山田氏は面白いなどと感じていない。週刊文春でも「怖くて止めることができず、傍観者になってしまった」と述べているし、『ロッキング・オン・ジャパン』と違って、より正確に小山田氏の意図が反映されて活字となった『クイック・ジャパン』誌(1995年8月1日発行)では、3のイジメについて「なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして」「おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど」「『ここはヤバイよな』っていうラインとかっていうのが(ある)」「かなりキツかったんだけど、それは」などと語っており、「障害者を残忍な手口でいじめる行為を面白いと感じ」ていたとは言えないことが分かる。

付け加えるならば、「ウンコを喰わせる」イジメは存在しなかった。30代男性教職員氏は、そのことを分かっているだろうか。

■「自分はやってない」がウソでないことは、『クイック・ジャパン』をちゃんと読めば明らか

東スポWEBの記事も噴飯物だ。

例えば、先のいじめでは、同級生を裸にして自慰行為を強要したのは上級生であり、自身は傍観者だったとした。(中略)

だが、芸能プロ関係者はこう首をかしげる。

「仮に小山田の話が本当だったとしても、……」

とあるが、「仮に小山田の話が本当だったとしても」とは何という言い草だ。小山田氏がウソを付いているとでも言うのだろうか。記者ならびにこの芸能プロ関係者は、本当に『クイック・ジャパン』の原文を読んだのか。読んでいないか、読んだとしてもちゃんと読んでいないように思える。(ちゃんと)読んでいたら、こんなことは書けないはずだ。

なぜなら、「同級生を裸にして自慰行為を強要したのは上級生(であって、小山田氏ではない)」は、今回の週刊文春を読むまでもなく、とっくの昔に『クイック・ジャパン』で小山田氏本人がはっきり語っているからだ。その箇所を引用しよう。(以下、気分が悪くなる人もいると思うので、自己責任でお願いします)

で、そこになんか先輩が現われちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプって言うかさ。なんか洗濯紐で(引用者注=村田君(仮名)を)グルグル縛りに入っちゃってさ。素っ裸にしてさ。そいでなんか『オナニーしろ』とか言っちゃって。『オマエ、誰が好きなんだ』とかさ(笑)。そいつとかさ正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。『ここはヤバイよな』っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。『オマエ、誰が好きなんだ』とか言って。『別に…』なんか言ってると、パーン!とかひっぱたいたりとかして。『おお、怖え~』とか思ったりして(笑)。『松岡さん(仮名)が好きです』とか言って(笑)。『じゃ、オナニーしろ』とか言って。『松岡さ~ん』とか言っちゃって。かなりキツかったんだけど、それは。

さて、これを読んで、「同級生を裸にして自慰行為を強要した」のが小山田氏だと思う人がいるだろうか。まともな読解力のある人なら100人が100人とも、それは小山田氏ではなく「先輩」だと言うはずだ。そして、引用箇所に関する限り、小山田氏が一切関与していないことも明らかだ。

くだんの芸能プロ関係者は、この『クイック・ジャパン』を読んでなお、週刊文春での小山田氏の弁明がウソかもしれないと考えるのか。ウソであるはずがない。今回の弁明は、1995年に『クイック・ジャパン』で語っていることを繰り返しているに過ぎないからだ。「仮に小山田の話が本当だったとしても」なんて、よくもそんな無責任なことが言えるものだ。

■小山田氏を批判、非難、罵倒する人たちは、本当に『クイック・ジャパン』掲載の全文を読んだのか?

この件、まだ言いたいことがある。それは、7月半ばの“事件”発覚以来、小山田圭吾氏を批判、非難、罵倒する人たちは、そもそも『クイック・ジャパン』の原文に直接あたったのかという疑問だ。

ネットを探せば、原文らしきものは確かにある。しかし、“事件”発覚当時、私が見つけたいくつかのサイトは、いずれも原文に何らかの手を加えていた。今でも公開されている次のサイトを例に挙げよう。

これは「全文文字起こし」を謳っているが、載っているのは全文ではない。だいたい全文をネットに載せたら著作権法違反になる。しかしこの人は「全文文字起こし」を謳い、実際には全文は載っていない。

このサイトで小山田氏の発言を読んだ人は、かなりの確率でミスリードされるはずだ。まず上部に『ロッキング・オン・ジャパン』が紹介されていて、これを読めば大抵の人は衝撃を受ける。しかし、ここには『ロッキング・オン・ジャパン』の当該記事が小山田氏の事前チェックを受けることなく活字化されたもので、同誌による創作の可能性があることは一切触れられていない。

■「全文文字起こし」と銘打ったサイトの呆れた実態

次に『クイック・ジャパン』だが、冒頭からして原文とは違う。サイト管理人は、次のように文字起こししている。

いじめた側の人がその後どんな大人になったか、

いじめられた側の人がその後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか、

 という興味から、いじめた人と、いじめられた人との対談を企画します。しかしこの対談は実現せず、小山田圭吾への個人インタビューとなります。

以下は、すべてこの雑誌に掲載された、小山田圭吾の発言です。(四角で囲ってある部分)

■沢田さん(仮名)のこと

沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転向してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。(以下省略)

ところが、原文に「■沢田さん(仮名)のこと」という小見出しはない。小見出しは「“いじめられっ子”は、二人いた」である。

この小見出しに続いて、原文はこうなっている。

 小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。最初に登場するのが沢田君(仮名)だ。

「沢田っていう奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転校してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。

違いは一目瞭然だろう。まずここを見るだけで、このサイトの管理人が雑誌原文に当たっていないことが分かる。

「■沢田さん(仮名)のこと」の前の部分も原文とは全く違う。「村上清のいじめ紀行」と題するシリーズ第1回に登場したのが小山田圭吾氏だが、記事は上下2段組で中央に文字サイズを小さくした注記のあるレイアウトになっている。

52ページ~55ページ下段3行目まで村上清氏による自己紹介や企画趣旨の説明が続く。ところが、上記サイト管理人は、それをわずか数行に縮め、しかも原文にない言葉まで添えている。

但し、ずっと後の方に「対談前の文章かと思います。」と注意書きして、53ページの下段だけ画像と文字起こしを載せてはいる。

インタビュー本文の文字起こしにも、抜けているところがある。私が(以下省略)として省いた箇所を、上記サイトから引用する。

それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり (言語障害っぽい口調で)「サワダです」とか言ってさ、「うわ、すごい!」ってなるじゃな いですか。で、転校してきた初日に、ウンコしたんだ。なんか学校でウンコするとかいうのは 小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか?

だから、何かほら、「ロボコン」でいう「ロボパー」が転校してきたようなもんですよ。

ここで「重罪だってのは(『クイック・ジャパン』原文=重罪だっていうのは)あるじゃないですか?」と「だから、何かほら、」の間が5行半抜け落ちている。

これでもうこのサイトの「全文文字起こし」がウソということは証明された。他にも抜けている箇所はたくさんある。

このサイトには、印象操作が施されたと思われる箇所もある。それが障害児沢田君(仮名)の年賀状を画像にした箇所だ。

管理人は「クイックジャパンのインタビュー記事の最後にはイジメていた同級生からの年賀状について語っています。」と注記して、どこかから引っ張ってきた57ページ下段後半部から58ページ上段2行目までを画像で提示し、その横に年賀状の画像を置いている。

しかし『クイック・ジャパン』原文では、年賀状の画像は72ページに掲載されており、文章は57~58ページにあるから「インタビュー記事の最後に……語っています」はデタラメである。

年賀状の画像が末尾に置かれているのは、全体の構成上、なるほどと思える合理的な理由があるのだが、「もうグッチャグチャなの」「スゲェ汚い字で(笑)」といった言葉と沢田君の年賀状が並んでいるのを見た人は、小山田氏が沢田君の字が汚いことを笑いものにしていると受け取るかもしれない。

管理人がそれを狙ったとは断定はできないが、少なくともそう疑われても仕方のない操作だといえる。

■「小山田氏=加害者、障害児=被害者」の図式に当てはまらない箇所は、なかったことにされている

まだある。上記サイトの文字起こしからは、障害者の沢田君と小山田氏とが、実はそれなりに仲が良かったと思われるようなエピソードがきれいに落とされている。

「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生ぐらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで、いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから。」(57ページ下段)

「中学時代はねぇ、僕、ちょっとクラス離れちゃってて、あんまり……高校でまた、一緒になっちゃって、高校は出席番号が隣だったから、ずっと席が隣だったのね、それでまたクラスに僕、全然友達いなくてさ(笑)」

――お互いアウトサイダーなんだ(笑)。

「そう、あらゆる意味で(笑)。二、三人ぐらいしか仲いい奴とかいなくて、席隣りだからさ、結構また、仲良くなっちゃって……仲良くって言ったらアレなんだけど(笑)、俺、ファンだからさ、色々聞いたりとかするようになったんだけど。」(58ページ上段末尾~下段にかけて)

この2箇所には、中学・高校時代の小山田氏は沢田君をいじめていなかったこと、小山田氏が彼のファンになったこと、結構仲良くなって色々話を聞くような関係になったことが示されているが、上記全文サイトには書かれていない。また、小山田氏が沢田君のファンになった理由は『クイック・ジャパン』の57ページ下段と58ページ上段で語られているのに、全文サイト管理人はそこもカットしている。

おそらく、これらを載せると「小山田圭吾氏=加害者、沢田君=被害者」の図式が崩れるからだろう。私にはそうとしか考えられない。

■AERAdot.が伝聞調の記事でフェイクニュースの拡散に手を貸す

次に、『クイック・ジャパン』の原文に直接あたっていないと思われるメディアを紹介しよう。既に引用したAERAdot.7月19日の記事「小山田圭吾氏の『いじめ問題』批判が収束せず、組織委に辞任を申し出」である。

AERAdot.はその中で「報道によると、……語っているという」と伝聞調で書いている。この時点でAERAdot.は『クイック・ジャパン』の雑誌原文にあたっていなかった可能性が高い。AERAdot.としては、各種報道で言われていることだからたぶん間違いないが、オリジナルの原文で確認していないから断定的に書くわけにはいかない。内容には確信が持てない。そこで伝聞調で書いた、ということではないか。これが私の推測である。

同誌ライターのこの判断は一応正しかったと言える。これを伝聞調ではなく客観的事実として書いていたら、AERAdot.の立場は危ういものになっていた。

なぜなら、「サブカルチャー系雑誌『クイック・ジャパン』の95年8月号でも、障がい者の下半身の服を脱がせるなどのいじめを告白している。」という記述には、2つの虚偽が含まれているからだ。

1つ目。『クイック・ジャパン』に95年8月号は存在しない。存在するのは95年8月1日発行の『クイック・ジャパンVOL.3』である。

2つ目。小山田氏は「障がい者の下半身の服を脱がせる」というイジメを行っていない。したがってそんな告白は同誌に載っていない。載っているのは「僕、個人的には沢田のファンだから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。」、「そういうのやるのは、たいがい珍しい奴って言うか、外から来た奴とかだから」という記述で、これは小山田氏が、他の生徒たちが行った「障がい者の下半身の服を脱がせる」行為から距離を取っていたことを示すものだ。

他にも虚偽がある。

AERAdot.には「小山田氏が学生時代に、被害者を全裸にして~」と書いた箇所があった。学生時代とは、一般に大学生や短大生などを指す。しかし「被害者を全裸にして」以下の行為が行われたのは、『クイック・ジャパン』によると中3の修学旅行の最中である。

AERAdot.の書き方では、「大学生にもなってもう大人も同然なのに、『被害者を全裸にして』以下、なんてひどいことをしたんだ。人の風上にも置けないヤツだ」という印象を与えるだろう。

AERAdot.はなぜ「学生時代」と書いたのか。わざとか? もしそうなら悪質だ。そうでないとしても、裏取りをすれば中学生時代のことだと分かったはずだ。「学生時代」と「中学生時代」とでは、天と地ほどの差がある。

このように、ネットに公開された『クイック・ジャパン』の切り貼りもしくは原文に何らかの手を加えたものを読んだだけでは、正確な情報は得られない。それどころか、誤った結論が導かれてしまうのである。

また、直接原典に当たる手間を省くと、AERAdot.7月19日の記事のように、伝聞調の形を借りて間違った情報を拡散することにもなる。オリジナルの原文を確認すれば事実でないと分かるのにそれをしなかったのだから、結果としてAERAdot.はフェイクニュースの拡散に手を貸したのである。

同誌の現物もしくはコピーを実際に入手して「村上清のいじめ紀行第1回」の全文を読んでみれば、小山田圭吾氏が加害者、沢田君が被害者だったのは小学生までで、中学進学後の二人の関係は良好であり、小山田氏が沢田君を指して「俺、ファンだからさ」と言うように、彼の持つ特別な才能に敬意を払っているらしきことが分かる。

小中高で変化していく2人の関係を「加害者と被害者」という図式で捉えることはできない。それは明らかに事実に反する。

■当時の事情を知る現・百万年書房社長の北尾修一氏は、なぜ小山田氏の冤罪を晴らそうとしないのか

私の以上の考えは、『クイック・ジャパン』で小山田圭吾氏インタビューに同席した元太田出版の北尾修一氏が7月下旬に期間限定でネット公開した記事に負うところが大きい。

ところで、北尾氏がなぜ期間限定公開としたのか、私は全く理解できずにいる。小山田圭吾氏の冤罪を晴らす上で、インタビューの現場に立ち会った当事者の回想と分析は極めて貴重である。永久公開してもいい文章なのに、なぜかわずか10日ほどで削除してしまった。

たった10日で削除するとは、要するにいつまでもこの問題に関わりたくないという気持ちの表れだろう。小山田氏を一時的に弁護しただけで、後は突き放してしまっている。

現・百万年書房社長の北尾氏は、週刊文春で懺悔告白をしても、まだ叩かれ続けている小山田圭吾氏を気の毒とは思わないのだろうか。それとも火の粉が自分に飛んでくるのが怖いのか。あまりにも非情だ。いずれにせよ、残念なことである。

■障害者団体声明「(東京五輪の)楽曲制作への参加とりやめまでを求めるものではない」

最後にもう一つ、毎日新聞の報道によると、障害者団体が7月18日、小山田氏の問題で声明を発表した。

その中で知的障害者の権利擁護団体「全国手をつなぐ育成会連合会」は、小山田氏と大会組織委員会を厳しく批判しながらも、「開催直前であること、小山田氏が謝罪していることなどから『楽曲制作への参加取りやめまでを求めるものではない』」と懐の深い、寛大な態度を示している。

イジメ被害に苦しんでいるであろう障害者の権利擁護団体が許しの心を示し、五輪の楽曲制作を続けて結構と言っているのに、謝罪文を出し、楽曲制作も辞退し、正直に懺悔告白までした小山田圭吾氏を今なお批判する人たちの気持ちがわからない。それこそイジメそのものだ。イジメは許されないと言っている人間が、平気でイジメをやっている。この矛盾に気づかない者は、精神の根っこが腐っている。

※9月21日「小山田圭吾氏の『懺悔告白』に続き、ライター村上清氏が釈明。次は『ロッキング・オン』山崎洋一郎氏の番だ。百万年書房社長・北尾修一氏は削除したコラムの復活を!」に続く。

※なお、上部タグの「小山田圭吾」をクリックして過去の関連ブログもお読みいただきたい。