元NHKの看板アナウンサーの有働由美子さん。確かNHKを辞めるとき、「ジャーナリストになるのが夢だった」とか何とか言ってなかったっけ。
フタを空けてみたら報道番組「news zero」のキャスターに就任。キャスターとジャーナリストは全然違う。当時、ジャーナリスト志望は口だけだったのかと呆れたものだ。
ジャーナリストというのは、つらい職業だ。日本でフリージャーナリスト一本で食べていける人は数えるほどしかない。雑誌に原稿1つ書くのにも、膨大な取材経費がかかる。売れっ子になれば、会社側が経費をある程度負担してくれるだろうが、そうでなければ全部自腹だ。
戦場ジャーナリストなら死の危険と隣り合わせである。また新聞記者もジャーナリストだが、彼らも会社に守られているとはいえ、加藤達也記者(当時、産経新聞ソウル支局長)のように海外で拘束され、裁判にかけられることもある。
有働由美子さんがどんなジャーナリストになりたかったのか知らないが、news zeroのキャスターぶりを見ていると、とてもジャーナリスト志望の人とは思えない。
番組を見ていて何度かそう思うことがあった。つい最近、こんな記事を読んだ。
有働さんとは関係ないが、TBSの「news23」が自民4候補にこんな質問をしたそうだ。
「飲食店でのお酒の提供の解禁など制限の緩和はいつごろを目指しますか」と質問した。答えは三択でAが「11月ごろ」。Bが「年末年始」。Cが「来年春の卒業式・入学式ごろ」で、それぞれAからCの札を上げて回答することを求めた。
なんじゃこれ。「news23」は報道番組だろう。ワイドショーではないのだ。こんなくだらない質問を平気でできる神経が分からない。候補者たちも「内心、レベルが低いな。馬鹿にしてるのか」と思ったに違いない。
内心の思いとは別に割り切って回答した岸田、高市、野田3候補に対し、1人河野氏は回答を拒否した。私は河野太郎氏を支持しないが、この人の苦言は至極もっともだと思う。
目下、感染状況が急速に収まってきているが、このまま9月末に向けて一気にレベル3からレベル2までいくか、収まってもレベル3止まりとなるかは、現時点でもまだ断定的なことは言えない。
緊急事態宣言解除となっても、蔓延防止等重点措置に移行するのか、それとも全ての制限を緩和するのかは、政府の分科会の意見を聞いた上で決めることだ。しかし、いずれにせよ緊急事態宣言を解除すれば、人流が増加することは間違いない。それが何をもたらすかは、はっきり言って誰にもわからない。
リバウンドが起きて再び新規陽性者が増えるかもしれない。いわゆる第6波がすぐさまやってこないという保証はない。逆に、リバウンドがすぐ起きないこともありうる。その場合、抗体カクテル療法ができる体制を全国的に整備する時間的余裕が生まれる。重症化リスクを大きく下げることができれば、経済活動の再開を前倒しすることもできるだろう。
しかし、こういったことは、今月末の動向、緊急事態宣言解除後の動向などをしばらく見ないことには、何とも言えないはずだ。
にもかかわらず、「news23」はABCの三択で答えさせようというのだ。Aの11月頃と答えて、できなかったら、後で「あいつはウソを付いた」と非難されかねない。「私はこういう無責任な質問はよくないと思います。特にメディアが」という河野氏の反応は当然すぎるほど当然だ。
「前提も分からない中で何がいつごろできるんですか?ということを申し上げるのは何か淡い期待のようなもの。で、それができなかったらどうする。どういう状況になるのかも分からない。変異がどういうふうになるか分からない中で、やっぱり科学的なデータをきちんと集めて、お示しをして、それを政府としてどう解釈するのか。だから、こういう政策に協力をして欲しいと申し上げるのが筋だと思うんです」
「そういう前提のデータも何もなくて、じゃあどうしますか?というのは…。それは簡単ですよね、こうしたいです、ああしたいです、と。それが責任のある政治だとは私にはとても思いませんし、責任のあるメディアがこういう報道の仕方をするのは、私は少しおかしいのではないか?やっぱり、みんなで科学的データをきちんとそろえてそれをどういうふうに解釈するのかというところを議論するのだったらそれを議論すればいい。
その上でじゃあ今、こういうことをやるべきかどうかを議論するんだったら、それを議論して、こういう政策をやろう、それにぜひ協力をしてくださいと申し上げるのが筋だと思いますが、そういう科学的な根拠となるデータもなしに、さぁどうしますか?というようなことを日本のマスメディアがまだ、このコロナ禍でやっているのは私はちょっとメディアにも反省していただけなければいかんと思います」
正論だ。私が見たNHKだったか忘れたが、総裁選告示直後のテレビ討論会では、○か×かの二択で答えさせていた。候補者たちが「どちらでもない」「○か×かの二択では答えられない」と質問のたびに混乱して○と×の両方の札を上げる人が続出した。二択で答えられないケースを、番組のディレクターは想像できなかったのだろうか。
そして日本テレビの「news zero」である。ここでも河野氏は回答を拒否した。
番組では、様々な分野の質問に「A」か「B」か考えが近い方の札をあげて答える企画を実施した。その中で年金や医療などの社会保障について、「A」が「国民の負担を増やしても給付などの水準を維持すべき」で「B」は「給付などの水準を下げて国民の負担を抑えるべき」と有働由美子キャスターが問うと、「こういう質問は僕、やめた方がいいと正直、思います。あんまり意味がない質問じゃないかな」と回答を拒否していた。
これも河野氏の対応は至極もっともで、やはり番組のやり方が幼稚すぎる。これでも報道番組かと呆れるしかない。こういうことをやらないと視聴率が取れないほど国民のレベルが低いのか、それともレベルの低い国民しかテレビを見なくなったからこういう番組作りをしているのか、どっちなんだろう。
どちらにせよ、報道番組がやることではない。
国民の負担を増やして給付水準を維持すべきという場合でも、国民の負担の在り方は「広く薄く」もあれば、「高所得層に負担増をお願いする」もある。「低所得層の負担は現状維持」ということも考えられる。そういう細かい議論を抜きにして、いきなりA「国民の負担を増やしても~」と答えれば視聴者に誤解を与えることになる。
河野氏が恐れたのはこの「誤解」だろう。視聴者は小学生じゃないんだから、議論を極端に単純化するなと言いたかったのかもしれない。
で、キャスターの有働由美子さんは、こういう番組作りを是とするのだろうか、というのが私の疑問だ。有働さんは番組のお飾りではない。当然、企画・制作にも関わっているはずだ。こんなAかBかの二択で候補者に答えさせるような質問はおかしい、となぜ言わなかったのか。
番組キャスターなら、まず日本における社会保障の現状と課題を自らの言葉で語ってみせ、その上で一定の時間制限で4人の候補者の意見を聞き、最後にそれぞれの主張について有働さん自身がポイントをまとめ、それを視聴者に見せて4人の考え方の違いを説明する。そのぐらいのことをやってみせてこそキャスターと言えるのではないか。
クイズもどきの二択、三択で答えさせ、それから候補者に語らせるのは、一番安易で楽なやり方だ。
有働さんは、これから自民党の総裁、そして総理大臣になろうという有力政治家相手に、こんなくだらないことをやりたくてキャスターになったのか? これが「ジャーナリストになりたい」と言っていた人のやることなんだろうか。
私は前にも「news zero」を見て疑問を感じたことがある。それはLGBT理解増進法案をめぐって自民党が賛成・反対で割れ、LGBT運動団体が自民党の反対派を激しく罵っていた時だった。
番組がこのニュースを伝えた後、有働さんはゲストに意見を尋ね、その人が「反対派の発言は論外。差別に反対するのは当たり前です」という趣旨の発言をすると、彼女は厳しい表情で「そうですよね。なぜ自民党の人たちは反対するんでしょうか」といったことを喋って、それで終わってしまったのだ。
ジャーナリストの1つの使命は、何が何だかよくわからないこと、こんがらがって整理のつかないこと、異なる意見や主張が対立して何が真実か分からないこと等の事象について、一般の人によく分かるように交通整理をして考える材料を提供し、同時に自分の主張を打ち出すことにある。
このLGBTの問題も、「LGBT差別反対の法律を作ればよい」というような簡単な話ではない。まず、
- なぜ自民党内で議論が紛糾したのか、
- 自民党は「理解増進法案」で立憲民主党は「差別解消法案」、その違いはどこから来るのか、
- そもそもなぜ法律が必要と考えられるようになったのか、
- 法律が求められるほどの差別の実態はあるのか、
- これまでどれだけの裁判が起こされ、判決はどうであったのか、
といった疑問が浮かぶ。番組はこの基本的な疑問にすら答えることはなかった。
さらに、ちょっと調べればわかることだが、自民党の反対派のところへはLGBTの当事者から「反対してほしい」という声が多数届いているという。これはどういうことなのか。
事実、かつて「新潮45」が休刊に追い込まれたLGBT特集には、LGBT当事者の元参議院議員・松浦大悟氏も寄稿していた。松浦氏はLGBT運動団体とは一線も二線も画し、運動団体の主張や活動に批判的だ。最近、『LGBTの不都合な真実 活動家の言葉を100%妄信するマスコミ報道は公共的か』(秀和システム)という本も出している。LGBT当事者の中に、法律制定を危惧する人たちがいるのだ。
より大きな視野に立てば、LGBT問題はアメリカで長らく保守とリベラルの文化戦争の主要テーマの1つだった。
また宗教界でも、保守派とリベラル派では賛否が分かれる。イスラム教は原理主義でなくても同性愛に不寛容だし、キリスト教も聖書の言葉に重きを置く保守派は同性愛に寛容とは言えない。宗教の自由は日本でも保証されているが、LGBT法はこの宗教の自由と矛盾することはないのだろうか。
「差別をなくすのはいいことではないか」と思うかもしれないが、欧米の実例を見ると、この種の法令制定は必ずしも、自由民主主義社会にいい結果だけをもたらしているとはかぎらないようだ。
と述べて、「欧米の実例」をいくつか挙げて警鐘を鳴らしたのが、弘前学院大学教授の楊尚眞(ヤン・サンジン)氏である(産経新聞21年5月23日)。
こうやって調べればLGBTをめぐる問題が一筋縄ではいかないことがわかる。ジャーナリストなら、この一筋縄ではいかない問題を交通整理し、LGBT法に賛成・反対それぞれの主張と根拠を示した上で「自分はこう考える」と言うべきだろう。
しかし、有働キャスターの「news zero」での語り口には、このようなバランス感覚が全くない。「多様性の尊重」と言いながら、物事には多様な見方があるという当たり前の事実を無視して平然としている。どんな問題でも、だいたい大衆世論の多数派が肯定しそうなことを言って、それで終わり。
有働さんのコメントを聞いていると「キャスターって楽な商売だな」と思えてくる。その時々の世論に寄せて語ればいいのだから。本当にジャーナリストになりたいと思っているのなら、「news zero」のキャスターなんかさっさと辞めた方がいい。
もっとも、有働さんに地位も高額報酬も投げ捨てて一介のフリージャーナリストになる勇気があるとは思えないけど。