固唾を呑んで見守った自民党総裁選。大方の予想を覆して、1回目の投票で岸田文雄氏が第1位に。地方票も含め岸田氏256票、河野氏255票。
議員票だけみれば、岸田―高市―河野―野田の順で、高市氏が大健闘、大躍進を果たした。地方票でも、高市氏がトップになったのは地元奈良県だけだが、得票数では382票のうち74票も取っている。初めての総裁選立候補で当初、党員・党友の間でも「高市、who?」の声が強かったというが、ここまで浸透したのは大したものだ。
そして岸田文雄氏。第1回投票で堂々の1位。決選投票は、岸田氏257票、河野氏170票。岸田氏が高市票を取り込んで大差で河野氏を破った。誰はばかることのない堂々たる勝利だったと思う。
河野太郎氏の敗因は、地方票を45%程度しか取れなかったこと。かつて小泉純一郎氏が自民総裁選に勝利したときは、小泉旋風が巻き起こり地方票で9割近く取った。今回、そのような旋風は起きなかった。
マスコミはしきりに「国民的人気が高い河野氏」と言うが、結果を見れば、マスコミの作り出した虚像、印象操作だったことがわかる。
もう一つの敗因は、石破茂氏と手を結んだことだろう。石破氏が勝手連的に応援するだけだったら傷は浅くて済んだのに、自分から応援要請をしてしまった。
安倍晋三首相(当時)に後ろから鉄砲玉を打ち続けた石破氏を、自民党議員が良く思わないのは当然だ。判官びいきの国民はやんやの喝采を送っても、責任政党たる自民党の議員からすれば、石破氏の行為は敵である野党に塩を送るようなもの。
そもそも石破氏は、第2次安倍政権で安倍氏に請われて自民党幹事長に就任した。安倍氏は挙党体制を作るため、あえて政敵である石破氏を党の要職に据えたのだ。石破氏は、この党幹事長時代、総裁選で地方票の比重を上げる総裁選規定の改定を行っている(以前は地方票は300票に固定されていた)。むろん、将来、総裁選に出るとき、自分が有利になることを見越した動きだ。安倍氏はこれを黙って容認した。
その後も、石破氏が地方票を伸ばしやすくなることを知った上で、安倍氏は石破氏を地方創生担当大臣に就けている。
つまり、安倍氏は石破氏に対して極めて寛大な、度量の広い態度を示したのだ。にもかかわらず石破氏は、不祥事やら問題やらが発覚するたびに、安倍氏の足を引っ張ることばかり言ってきた。恩を仇で返すとはこのこと。国民にはそんな事情はわからないかもしれないが、身近で見ている自民議員たちはよく知っている。
まさにお天道様はお見通しで、「派閥は作らない」と言っておきながら前言を翻して作った派閥もじり貧、この総裁選のさなかに山本有二・元農相が退会届を出す失態を演じ、もはや自民国会議員から見放されたと言ってよいだろう。
さらに河野氏の致命傷になったのが年金改革で、唐突に最低保障年金をぶち上げたことだ。これには多くの自民議員が呆気にとられたはずだ。旧民主党政権が打ち出して「実現不可能」と決着が付いた案を、自民党の総裁候補が何の前触れもなく持ち出すという展開には、啞然とした自民支持者も多かったと思う。地方票が伸びなかった最大の要因は、これではないだろうか。
ともあれ、新しい自民党総裁が誕生した。高市氏は一躍、ポスト岸田の有力候補に浮上した。ベストは高市早苗氏、ベターが岸田文雄氏と見ていたが、総裁選初挑戦の高市氏が勝つにはハードルが高かったのも事実。上々の結果だったと言えよう。