安倍元首相の死をまるで自業自得のように論じる声を見聞きするたびに、強い憤りを覚える。山上容疑者の減刑を求める署名運動まで始まっているというから呆れて物も言えない。
まだ起訴すらされていないのに。
確かに容疑者には情状酌量の余地がある。若くして親が自己破産し、家庭崩壊に追い込まれた。自己破産に追い込んだ旧統一教会を憎んだとしても無理はない。
しかし、容疑者の親がなぜそこまで宗教にのめり込んだのか。献金が教団から無理強いされたものだったのか、あくまで自らの意志を貫いた結果なのか、その辺りの事情はまだ明らかになっていない。
全財産を惜しげもなく教団に捧げる行為を、第三者が簡単に非難することはできない。なぜか。宗教にはそういう側面があるからだ。
イワシの頭も信心から。他人から見ればイワシの頭でも、当人にとっては命よりも大事な神であり仏であるということは、いくらでもある。
これを笑うのは宗教を知らない人間だ。
仏教の本を読めば、釈迦が妻子を捨てて出家したと書いてある。捨てられた妻や子はどれほど嘆き悲しんだことだろう。釈迦を恨み、憎しみを募らせたことは十分考えられる。
ユダヤ教の祖アブラハムは、正妻との間に生まれた息子イサクを、神の命に従い、あろうことか殺して生け贄に捧げようとした。
結果として殺しはしなかったものの、彼は本気で殺そうとした。親が子をだ。その行為ゆえに、彼は「信仰の父」と呼ばれるようになった。
世俗的に見れば殺人未遂行為でも、ユダヤ教的には信仰の極致。多くの画家がその場面を思い思いに描いてきた。
このように、宗教には俗人には理解しがたいものがつきまとう。
35年前、今はなき「朝日ジャーナル」が「統一教会は原価3万円の壺を147万円で売りつけ」と報じたそうだが、宗教団体のやったことだから別に売ったわけではないだろう。
我々が神社で買うお守りも、厳密に言えば買ったわけではない。あれはお布施を捧げて神社から授与されるものである。だから原価は関係ない。
人が亡くなったとき、菩提寺でつけてもらう戒名は20万円、30万円、はたまた「格」の高いものなら50万円以上することもある。
木の位牌に書かれた戒名(法号)が50万円!
これを「原価は何万もしないのに50万もふんだくりやがって」と怒るのは、宗教を知らない者の戯言である。(言いたくなる気持ちは分からないではないが、、、)
いや、「霊感商法」と言うぐらいだから、壺を売ったのは統一教会というより統一教会系の企業なのかもしれない。詳しいことはよく知らない。
しかし、営利行為として原価3万円の壺を147万円で売ったとしても、買った当人が納得しているなら何も問題はない。
我々はオークションなどで、素人目には大して価値がなさそうなものに高値が付くことを知っている。同じものでも、その時々でいろんな値が付くのであり、決して一物一価ではない。
宗教行為であろうと経済行為であろうと、原価3万円の壺が147万円になることに、驚く理由は何もないのだ。
ところで、産経新聞で「安倍氏銃撃の残響」という連載を読んで、印象に残ったことがある。
8月6日の「上」には、こう書かれていた。
山上容疑者の境遇について「人生を統一教会に破綻させられた身としては理解できる」と同情するのは元信者の40代女性。先に入信した母親に迫られ、教会の教えを受け入れた「信仰2世」だ。合同結婚式で創設者の故文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁にマッチングされた夫から日常的に暴行され、窮乏にあえいだ。現在は離婚・脱会し、母親とも縁を切ったが「すべての2世が理不尽な生き方を(親に)強要されてきた」と語る。
だが、この世の理不尽が共通するとしても、その復讐心を政治家の暗殺に向けたのは山上容疑者だけだ。
「安倍は本来の敵ではないのです」。事件直前、島根県の男性フリージャーナリストに宛てた手紙にこう書き、自身のツイッターアカウントもあえて知らせた。奈良県内屈指の名門高校を卒業し、「頭脳明晰(めいせき)」と言われた山上容疑者のこと。そこにちりばめた「犯行声明」がどう報じられるかも見越していただろう。
「安倍氏を襲えば統一教会に非難が集まる」。山上容疑者はそんな趣旨の供述をした。世論誘導のための殺人、それは冷酷なテロに他ならない。
容疑者が「この世の理不尽」を強いられたとしても、それが安倍元首相を殺害していい理由にはならない、ということだろう。
当然だと思う。山上容疑者の母親が高額献金の果てに自己破産したのは確か2002年。献金を重ねていたのは1990年代だ。
その高額献金に安倍氏は何か関わっていたのだろうか?
もちろん、答えはノー。初当選して間もない1990年代に安倍氏が統一教会と深く関わっていたという話は聞かない。
2000年代に入り次第に知名度が上がってからも、安倍氏は教団側からの接触を断っていたという。
2021年秋に旧統一教会系のUPFなる団体にメッセージ動画を送ったからといって、安倍氏が山上容疑者の家の破産や家庭崩壊に1ミリも関与していないのは明らかだ。
その後の統一教会に「関わり」や「接点」があるというだけで安倍氏に銃口を向けた行為には、一片の正当性もない。
もし正当性があるというなら、彼はマスコミで今名前の挙がっている国会議員や地方議員、自治体首長らの誰に銃口を向けてもよかったことになる。
その場合、その人は「旧統一教会なんかに関わったんだから、殺されても仕方ないよね」となるだろうか?
なるはずがないのだ。
山上容疑者は、安倍元首相を「最も影響力のある統一教会のシンパの1人」と言ったそうだ。しかし、安倍氏は統一教会のシンパなんかではない。
統一教会の教義は韓国中心主義だろう。
詳しいことは知らないが、植民地統治の罪を償うため、日本人は韓国に謝って当然だし、日本の信者は全財産を捧げても韓国の教祖や教団に貢ぐべきだという考え方は、どう転んでも安倍氏の思想・信条とは相容れない。
安倍元首相は、戦後70年談話で謝罪外交を終わらせ、韓国の朴槿恵(パク・クネ)政権とは慰安婦問題で「最終的かつ不可逆的な解決」の合意を結んだ。
軍による慰安婦の強制連行説を完全に打ち砕いたのも安倍元首相だ。
かつて日本から韓国に嫁いだ女性たちが、韓国の伝統衣装を着て謝罪パフォーマンスをやって話題になったように、統一教会がこの「軍による慰安婦強制連行説」を主張していることはよく知られている。
しかし、安倍元首相は、慰安婦強制連行を認めた「河野談話」を何とか無効化しようと苦心惨憺した人だ。
元徴用工(戦時労働者)問題でも、在任中、一歩も譲らない姿勢をとり続けた。妥協すれば、「植民地支配は不法であり無効だ」という韓国最高裁の言い分を認めたことになってしまうからだ。
韓国併合を理由に日本を「サタン国家」とみなす統一教会が、韓国最高裁と同じ認識を持っていることは容易に想像できる。
しかし、それは安倍元首相の思想・信条とは完全に矛盾し、交わるところが全くない考え方である。
山上容疑者の言う「(安倍氏は)最も影響力のある統一教会のシンパの1人」は、どこで吹き込まれたのか知らないが、とんでもない勘違い、もっと言えば一方的な思い込み、妄想にすぎない。
従って、「(安倍元首相殺害は)冷酷なテロ」という産経の結論に、自分は全面的に賛同する。
山上容疑者の家庭的背景に情状酌量すべき点があるとしても、一切無関係な安倍元首相に銃口を向けた時点で、そんなものは吹っ飛んでしまう。
「減刑」なんていう言葉を持ち出す余地は全くないと言うべきだ。