吊りしのぶ

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「旧統一教会との関係を断つ」との岸田首相発言は、露骨なマイノリティー宗教差別で違憲

岸田首相が「旧統一教会との関係を断つ」と宣言し、自民党としてもこれを徹底すると述べた。茂木自民党幹事長は、決定を守れない者は離党してもらうとまで踏み込んだ。

「聞く力」を発揮したつもりだろうが、芯のない政治家はこれだから困る。この先、自民党は茨の道を行くことになるだろう。

既に菅義偉政権の時からこの傾向は顕著になっていた。

ツイッター民(工作員多数)が騒ぎ、それをマスコミが大きく取り上げ、大手紙や地方紙の多くがそれに同調。

「多様性」とはかけ離れた単一の論調が支配的となり、支持率低下に焦った政府・自民党が方針の変更や撤回に動く。

ここには、政治の側からの「たとえ世論の声であろうと、おかしな声には従えない。なぜおかしいかは、これこれこういう理由である」という主体性、リーダーシップが全くない。

味を占めた連中は、これから何度でも同じ手法で政府・自民党を追い込んでいくに違いない。彼らの目的は旧統一教会つぶしではなく、自民党つぶし、もっと言えば自民党保守派つぶしなのだから。

「騒げば折れる」とわかった以上、彼らはもっともっと騒ぐだろう。これで静かになるはずがないのだ。

「政治家なんて、国民世論の多数派の声に従っていればいいんだ」という世間の風潮も一層強まるだろう。

もはや政治家は国民の小間使いか、何でも言うことを聞くロボット程度の存在にしか見られていないようだ。

岸田政権の将来は暗い。今後、自民党らしい政策は、声の大きいツイッター民と朝日新聞やそれと歩調を合わせるマスコミが大騒ぎして、ことごとくつぶされることになるのではないか。

既に参院選直後、あんなに張り切っていた「憲法改正」への取り組みは、どこかへすっとんでしまった。

「何でも国民多数の声に従って決める」なら、たとえば裁判所は必要なくなる。何か事件が起きたら、世論調査をやって判決を出せばいい。

しかし裁判所は、世論がどうあろうと、当事者双方の話を聞き、証拠を吟味して、憲法や諸法令、社会の慣習・慣行などに基づいて判決を下す。

従って、世論が求める判決とは真逆の判決になることもしばしばだ。

夫婦同姓に関する判決もその1つで、マスコミや左派は「女性差別だ。選択的夫婦別姓制度を導入せよ」と金切り声を上げるが、裁判所は「現行制度は合憲」、すなわち夫婦同姓の戸籍制度は女性差別ではないとする判決をいくつも出してきた。

岸田首相は、「社会的に問題のある旧統一教会ならびに関連団体とは今後一切関係を持たない」というのだが、

  • そもそも「社会的に問題がある」というレッテルに法的根拠はあるのか?
  • 「社会的に問題がある」と決めたのは国のどういう機関なのか?
  • 「社会的に問題がある」とした場合、その団体と一切関係を持ってはならないとどの法律が定めているのか?
  • 仮に旧統一教会が社会的に問題があるとして、それの関連団体までが、単に「関連がある」というだけで社会的に問題があるとどうして言えるのか。関連団体も同類として扱うことに法的根拠はあるのか?
  • 「社会的に問題がある」というなら、破壊活動防止法に基づき公安調査庁が監視対象にしている日本共産党も、社会的に問題があるのではないか?
  • 同じく、北朝鮮の体制を支える集金マシーンと化し日本人拉致に関与した疑いのある朝鮮総連は、社会的に問題ではないのか?
  • 同じく、教義上、離婚を禁じ、幼児洗礼があり(=子どもは自動的にカトリック信者となる)、同性婚も認めず、世界各国で聖職者による児童性的虐待が次々に明らかになったカトリック教会(バチカン)は、社会的に問題ではないのか?
  • 同じく、教義上、棄教や脱会の自由がなく(死刑宣告されることも)、両親がイスラム教徒なら子どもも自動的にイスラム教徒になり、一夫多妻が容認され、預言者ムハンマドや教典コーランへの冒涜を一切許さない(フランスでは風刺画がイスラム教徒の非難にさらされ、テロが相次いだ)イスラム教は、社会的に問題ではないのか?

など、疑問は次から次へと浮かんでくる。

自民党がこの決定を実行すれば、宗教法人である旧統一教会の政治活動は確実に制限される。また旧統一教会の関連団体も、団体として自民党に接触できないことから、陳情や要望、意見具申、提言などができなくなる。

岸田内閣と自民党は、宗教団体の政治活動の制限にとどまらず、政治団体、市民団体、メディア(たとえば「世界日報」)などの活動まで制限したことになり、これが信教の自由を含む「自由」それ自体の侵害であることは明白だ。

どこからどう見ても違憲だろう。

旧統一教会側は、裁判に訴えて法廷で争うべきだ。教団本体、UPF、世界平和女性連合など、それぞれの立場で訴えたらどうだ。

対策弁護士や宗教に無知な宗教学者らは、しきりに「被害、被害」と言うが、彼らが公表した「被害額」は、10年前、20年前と比べて激減している。

今回の怒濤のような報道の結果、被害相談が急増したとのことだが、それはあくまで「相談」であって、「被害」と確定したものではない。

報道を見る限り、信者の家族が相談しているケースが多い。それを「被害」と決めつけるのはナンセンスだ。

対策弁護士は、自由な意思で入信した信者までも平気で「被害者」呼ばわりしている。驚くべき偏見だ。

洗脳されて信者になったのだから、本人の意思ではないと言いたいようだが、人を洗脳して信者に仕立て上げることなんて、本当にできると思っているのか。

余りにも荒唐無稽と言わざるを得ない。

こんなあり得ない筋書きを本気で信じている連中に、一宗教団体の教義を「特異」だとか「異常」だとか言う資格はない。

「被害」は、被害を受けたと申し出た側と、被害を与えたと見られる側の双方の言い分を聞き、証拠を吟味した上、諸法令に基づいて初めて決定できる。

最初から反統一教会の立場を明確にしている側が持ち出すデータを、鵜呑みにして報じるマスコミのレベルの低さには呆れるばかりだ。

当然、そこには「反統一教会」的立場から来るバイアスがかかっていると見るのが、まともな感覚だろう。マスコミ人ならなおさらだ。

前にも書いたが、産経新聞は40代元信者の「すべての2世が親から理不尽な教育を強要されている」という証言を、何の注釈も付けずに記事にした。

「すべての」とは、全員という意味だ。1人でも理不尽な教育を受けていない2世がいれば、この証言はウソだったことになる。

発言した元信者や産経新聞記者は、どうやってこの「すべての」という部分のウラを取ったのだろうか?

全国紙が、こんなデタラメをしれっと活字にしてしまうのである。本当に世も末だと思う。