吊りしのぶ

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ミヤネ屋(読売テレビ)は、読売新聞編集委員が統一教会イベントに参加した過去を知っているのか?

今、旧統一教会追及の先頭に立っているのは日テレが放送する「ミヤネ屋」だろう。

その「ミヤネ屋」は読売テレビ(正式には「讀賣テレビ放送」)が制作している。「読売」を冠していることで分かるように、読売新聞グループの会社である。

で、「ミヤネ屋」にしろNHKにしろ、今はどのテレビ局のワイドショーや報道を見ても、旧統一教会と「接点」があっただけでアウトというスタンスだ。

「接点」は、旧統一教会本体はもちろん関連団体であってもダメ。旧統一教会の関連団体と知らずに祝電を送ったり、会合に参加してもダメ。

統一教会系の「世界日報」は新聞社なのに、取材を受けても、インタビューに応じても、著名評論家のお誘いで対談に出てもダメだという。

とにかく、関連団体と知って接触したのであれば悪質で、知らないで接触した場合も「知らなかったでは済まされない」のだそうだ。

しかし、全国紙も地方紙も、これまで旧統一教会の関連団体を好意的に紙面に載せてきた事実がある。

ちょっと調べただけでも、ピースロードや世界平和女性連合の活動を「いいことやってるじゃん!」というニュアンスで報じた記事がボロボロ見つかった。

こうした事実があるにもかかわらず、該当する新聞社がきちんとその事実を公表し、釈明したかといえば、そんなことはどこもしていない。

記事を削除し、簡単なコメントを付して終わり。または放置。

自分たちも「接点」があったのだから、これは大きなニュースのはずだ。

「知らなかったでは済まされない」という主張が大手を振ってまかり通っている以上、メディアも多くの国民の目か耳に入るような形で「接点があった」事実を公表するのが筋だろう。

ところで、問題の読売テレビだが、読売新聞グループの会社なのだから、読売新聞社の人間が公の肩書で統一教会のイベントに参加したとなれば、これはかなり問題ではないか。

政治家は、統一教会ともその関連団体とも接点さえ持ってはならないと言っているのだから、当然、自分たちマスコミ人だって接点を持つのはまずいはずだ。

彼らは、政治家が接点を持つと統一教会の広告塔に使われてしまうからダメという理屈を使っている。だったら、大手マスコミだって接点を持てば広告塔に使われてダメだろう。

彼らが旧統一教会を批判する際の理屈は、そのままマスコミにも当てはまるわけだ。

ミヤネ屋も、政治家が関連団体と知らずに「接点」を持ってもダメと言うのなら、マスコミが「接点」を持っていたら、当然それも厳しく批判しなければおかしい。フェアじゃない!

そこで、先日取り上げた1990年6月の「第11回世界言論人会議」。

これは統一教会系の世界言論人会議とソ連のノーボスチ通信社が共催した国際イベントだった。

会議では文鮮明教祖本人が基調講演を行っている。ソ連側の事実上のホストはゴルバチョフ大統領。

会議の目玉は文教祖夫妻とゴルバチョフ大統領の会談だ。

これにNHKの放送総局特別主幹・磯村尚徳氏が出席し分科会でスピーカーを務め、また取材ではなく会議参加者として高橋祥起NHK解説委員も名簿に名を連ねていた。

しかし、改めて名簿をよく見ると「平田明隆読売新聞編集委員」とあるではないか!

「世界思想」1990年6月号の「会議の主な参加者」から

編集委員は論説委員よりも格下かもしれないが、その新聞社の顔であることには違いはない。

ウィキペディアの「編集委員」を見ると、誰もが知っている名前がズラリと並んでいる。

政治家らを厳しく追及する読売テレビ制作の「ミヤネ屋」は、同じグループ内の、しかも読売テレビよりずっと格上の読売新聞社の編集委員が、統一教会肝いりの大々的な国際的イベントに、堂々と参加していたことをどう考えるのか?

政治家や政党に自己点検を迫る前に、「読売グループ内で旧統一教会や関連団体と取材以外で関わった者はいなかったか」と自己点検しなかったのだろうか。

平田明隆編集委員は、取材で参加したのではない。「第11回世界言論人会議」の参加者の1人なのだから。

むしろ取材される側の一員になったのである。

読売新聞が社としてこの会議に関心があったのなら、政治部か社会部の記者を送って取材させれば済むこと。会議参加者に名を連ねる必要はない。

しかも「第11回世界言論人会議」は、統一教会との関連が最初からハッキリしている会議だ。

参加したNHKの磯村氏も読売の平田氏も、統一教会系の国際イベントと分かってモスクワへ行ったはず。「知らなかった」はあり得ない。

ネットサーフィンして調べたところ、次のようなことが分かった。

そもそもこの「第11回世界言論人会議」は、統一教会内では「モスクワ大会」の名称で呼ばれてるらしい。

1976年のアメリカ建国200年に合わせて統一教会が開催した「ワシントン大会」に次ぐ特別で、歴史的な大イベントというのが、教団内の位置付けのようだ。

次の写真は「今日の訓読のみ言友の会」ブログから引用したもの。

「今日の訓読のみ言友の会」ブログから

ワシントン大会というのは、ワシントン・モニュメント塔のある広場で30万人(人数は同ブログによる)を集めたという大会。

これが終わった後、文鮮明教祖は「次はモスクワでやる」と宣言した。しかし、当時は冷戦真っ只中の時代。誰も本気にしなかったそうだ。

次は文鮮明教祖の発言。

Google Books『神様の摂理から見た南北統一』(文鮮明著、光言社)から

別の本に「誰も真剣に受け止めようとはしなかった」と書いてある。

Google Books『頭翼思想時代の到来』(李相軒著、光言社)より

それから14年後、ソ連の首都モスクワで、参加人数は「30万人」と比べてはるかに少ないけれど、世界各国から政治家、マスコミ人、学者らを集めて国際会議を開催。

これこそ、かねて予言していた「モスクワ大会」なのだ、という。

Google Books『頭翼思想時代の到来』(李相軒著、光言社)より

つまり何が言いたいかというと、読売新聞の平田明隆編集委員が参加したイベントは、ただの関連団体イベントではなかったのだ。

それは、統一教会の歴史において特別な位置を占める、その時点での2大イベントのうちの1つだった(アメリカでは「ワシントン大会」、ソ連では「モスクワ大会」)。

読売新聞の編集委員がそんなイベントに出たことは、「接点」のレベルをはるかに超えていないだろうか。

「知らなかったでは済まされない」という批判は、ここには当てはまらない。明らかに知って参加していたのだから。

もちろんそれは、統一教会の広告塔に進んでなったことを意味する。

統一教会側から見れば、日本のテレビメディアの代表格であるNHKと、部数日本一を誇る読売新聞から、それなりの肩書を持った人が参加してくれたのだから、万々歳といったところだろう。

1990年6月は、1992年の合同結婚式で大騒ぎになる前だが、1980年代後半に朝日ジャーナルが「霊感商法」批判キャンペーンを初めて以来、「統一教会=霊感商法」ということで、やはりマスコミも世間も大騒ぎしていた時期にあたる。

印鑑や大理石の壺の販売が大問題になっていた。ピークを迎えるのは92年、93年頃(90年代中頃?)と思われるが、90年当時も社会問題になっていたことに変わりはない。

読売テレビと同局が制作する「ミヤネ屋」は、こうした事実を知っていたのか?

知っていながら隠しているのか? それとも同じ読売グループ内だから公にはできないと考えているのか?

ひょっとして知らなかったのかもしれないが、「知らなかったでは済まされない」のでは?