吊りしのぶ

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「安倍元首相は統一教会と深い関係にあった」はデマ・謀略情報~悪質な文藝春秋9月号の「安倍元首相暗殺と統一教会」深層レポート

安倍事務所に16年間務めた元秘書の心中は察するに余りある。

何の根拠もなく「安倍元首相は旧統一教会と深い関係にあった」と決めつけられ、それに真っ向から反論できる当の本人は既にこの世にいないのである。

産経新聞の阿比留記者が「謀略戦が仕掛けられているのか」とツイートしているが、まさにそうだと思う。

superred2020kiroku.hateblo.jp

どこかのツイッター動画で見たが、集会で「安倍は昭恵の店の前で殺されればよかった」と公然と話す人が出てくる世の中である。

反安倍勢力は、「安倍晋三」の名誉をここぞとばかり木っ端みじんにしようとしている。そのためなら何をしても許されると考えているかのようだ。

どうやら今の日本は、「反日無罪」の韓国と同じレベルまで落ちてしまったようだ。

1,「第2次政権誕生に統一教会の力が必要だった」なんてあり得ない

「死人に口なし」。何を言われても言われっぱなしで、黙っているしかない辛さ、悔しさ。

挙げ句には、「事務所関係者」と称する人物が「第2次政権誕生に統一教会の力が必要だった」などと、およそあり得ない話を平気でテレビで語る。

www.fnn.jp

「証言」というものが信用できるとは限らないこと、裏取りできちんとチェックしなければそのまま流してはいけないことを、我々は「慰安婦問題の吉田清治証言」で思い知ったはず。

なのに、マスコミは少しも学んでいないように見える。

tsurishinobu.hatenablog.com

そもそも旧統一教会に対する批判自体が臆測に基づく誹謗・中傷だらけである。テレビでちょっとでも弁護的なことを言うと、「統一教会を擁護するのか」と批判が殺到するらしい。

他のメディアも一斉にその人物を叩く。しかし、たとえ弁護的な発言であったとしても、それは事実かもしれないではないか。

事実を事実として発言すること、あるいは「こういう事実があるのではないか」と発言することは、弁護ではない。結果として弁護になったとしても、それはあくまで結果論にすぎないのだ。

東京五輪の時に突如として噴き出した「小山田圭吾氏騒動」が、振り返ってみればほとんどウソだと明らかになったように、いつか、誰かが、今の安倍元首相を巡る報道のデタラメぶりを明らかにしてくれるだろう。

今回もそうだが、騒動はマスコミが作り出すのが常だ。

「オセロ・中島知子の洗脳騒動」も、今ではデタラメだったことが分かっている。しかし、騒動の最中では「やれ洗脳だ、やれマインド・コントロールだ」とテレビを含むマスコミは言いたい放題だった。

2,腐臭を放つ「文藝春秋」9月号の森健氏らの論考。テロ礼賛であり、憤怒を禁じ得ない!

安倍元首相が統一教会と深い関係にあったはずがない。あたかもそうだったかのように論じた「文藝春秋」9月号の森健氏と同誌特別取材班の罪はとりわけ重い。

自分には、森氏らの論調は、どう読んでも自業自得論にしか見えない。

山上容疑者が安倍元首相を狙ったのは思い込みなどではなく、ちゃんとした理由があった。だから安倍氏は命を狙われても仕方なかった。殺されたのは異常な宗教団体と関係を深めたからで自己責任だ――森氏らはそう言っているように見える。

最後の見出しはこうだ。

「我、一命を賭して解放者とならん」

はぁ? 一国の元宰相を殺した容疑者を「解放者」と呼ぶのか、文藝春秋は。容疑者の言葉の引用とはいえ、よくこんな見出しを付けたものだ。

「統一教会がどんな教義に基づき、何を得ようとしていたのか、安倍は深く考えていただろうか。山上と向き合ってから倒れるまでの刹那、安倍はなぜ自分が撃たれることになったのか、思い至ることはできただろうか」

原稿はこう結ばれている。

腐臭を放つ文章とはまさにこれだ。

応援演説の最中、後ろを振り返った瞬間に命を失った安倍氏に、何を思い至れというのか。

思い至ってほしいことがあるなら、安倍氏はなんとしても死んではならなかったはずだ。

殺した人物を「解放者」と持ち上げて、「なぜ自分が撃たれることになったのか、思い至ることはできただろうか」と書くのだから、森氏らは完全に山上容疑者の側に立っている。

即死に近い状態だった安倍氏に向かって「なぜ自分が撃たれることになったのか、自分の胸に手を当てて考えてみよ」と説教しているのである。

復讐を遂げた犯人が「思い知ったか!」と叫んでいるようなものだ。テロ礼賛と言われても仕方が無い。

これほど胸クソの悪い文章が高級誌とされる「文藝春秋」に載ったことは、本当に信じがたく、憤怒の念を禁じ得ない。

3,「安倍元首相は統一教会と深い関係にあった」はウソ、デタラメの謀略情報

安倍元首相が統一教会と深い関係になかったことは、この原稿で引用されている梶栗正義氏の日曜礼拝での発言からもはっきりわかる。

旧統一教会の政治団体「国際勝共連合」会長、UPF(天宙平和連合)ジャパン会長の梶栗氏が、安倍氏がUPFの国際イベントにメッセージ動画を寄せた約1カ月後、2021年10月17日に語ったとされる内容である。

森氏らはこう書いている。

「当初、梶栗は安倍以外の3人の首相経験者にアプローチしていた」

これだけでもう明らかではないか。

少なくとも2021年8月頃の時点で、安倍元首相と旧統一教会は何ら深い関係になかった、ということだ。

もし深い関係にあったというのなら、なぜ梶栗氏は3人の元首相経験者にアプローチする必要があったのか? ただ1人、安倍氏にお願いするだけで出演は決まったはずではないか。

安倍氏に断られたか、安倍氏に頼んでも引き受けてもらえる見込みがないから、3人もの元首相経験者にアプローチしたのだろう。

それはつまり、安倍氏と旧統一教会の関係が薄かったまぎれもない証拠である。

「安倍氏と旧統一教会が第2次政権発足当時から深い関係にあった」

「安倍元首相は、岸信介、安倍晋太郎と続く3代目として、ずっと深い関係を続けてきた」

「第2次政権になってから、選挙のたびに関係を深めていった」

「第2次政権当時、旧統一教会幹部を官邸に招待するほど親しい関係にあった」

等々、臆測だけでもっともらしいことを書きまくり、言いまくるマスコミ。

頭を使ってモノを考えているのかと言いたい。

4,なぜ安倍氏の前に3人の元首相にアプローチしたのか? 1人は出演OK寸前まで行ったではないか!

梶栗氏はこう言っている。

「そのうちお一人は玄関先まで行っている。これは、あのメタファーです。実際にその人の家の玄関まで行ったんじゃなくて、本当にOKギリギリまで行ったんです」

もしこの元首相が出演をOKしていたら、安倍元首相のビデオメッセージはなかったはずだ。

上の話しぶりからして、梶栗氏はこの元首相から出演OKをもらうべく全力で交渉していたことがうかがえる。

つまり、この元首相は旧統一教会にとって、安倍氏よりも優先順位が高かった、ということだ。

しかし、結局、元首相3人に断られる結果となり、梶栗氏は一縷の望みをかけて安倍氏にアタックした。

元首相3人の方が安倍氏よりも優先順位が高かったのである。元首相4人を並べたとき、一番距離が遠かったのが安倍氏だったということだ。

そう考えるのが自然だろう。

確かに梶栗氏は、2021年の春、安倍氏から「トランプが出るなら出なくちゃいけない」という言質を取っていた。

この時の面談が、梶栗氏が3人の元首相にアプローチを始める前だったのか、後だったのか、その点ははっきりしない。

しかし、いずれにせよ、安倍氏にとって、UPF国際イベントへの出演、それも直接出演ではなくビデオでの出演は、元米大統領のトランプ氏を引っ張ってこられるほどのイベントでなければ、出るに値しないものだった。

安倍氏にとって、統一教会などどうでもよかったのだ。トランプ氏が出るから出た、それだけのことである。

その際、「トランプ氏が出演するのだから、よほど大きな、信用度の高いイベントのはずだ」と安倍氏が考えたとしても不思議はない。

さらに、ビデオ出演する以上は、儀礼として主催者に敬意を表し、その団体の活動や理念の中でほめられるものがあれば、ほめる。これも社交辞令(リップサービス)としてごく当たり前のこと。

安倍氏がUPFを本気で支持し、応援する気があったのなら、トランプ氏が出ようが出まいがイベントに出演したはずだ。「トランプが出るなら」と条件を付けるはずがない。

また、UPFの価値観に深く共鳴していたのなら、もう総理大臣の座を降りたのだからUPFの会員になっていてもおかしくない。しかし、そんな事実は確認されていない。

5,統一教会と深い関係にあったのなら、「岸信介と文鮮明」のツーショット写真はとっくの昔に見せていたはず

梶栗氏の話には、彼が安倍家3代の話をして、岸信介氏と文鮮明のツーショット写真など過去のアルバムを見せたところ、安倍氏がそのアルバムを持ち帰ったとある。

自分が最初、梶栗氏の話を自称「ジャーナリスト」エイト氏らのウェブで読んだときは、「安倍氏は岸氏と文教祖のツーショット写真だけをほしいと言った」と書いてあったと記憶する。

しかし「文藝春秋」の文章では、見せられた「岸氏と文鮮明」「安倍晋太郎氏と梶栗氏の父親」「安倍元首相と梶栗氏」の3種類を全部持ち帰ったように読める。

「安倍はそのアルバムを持ち帰ったという」

が「文藝春秋」の原文だ。

そのアルバムが何を指すのかわざとぼかしている。「その」は単数形だから3種類のうちの1つとも読めるし、「その」で前に挙げた3種類全部を受けていると取ることも可能だ。

普通に読むと、3種類全部を持ち帰ったような印象を読者に与える。ファクトチェックをしたいが、現在、鈴木エイト氏らのサイトから記事は削除されているので確認できない。

ここなど、何気なく読み飛ばしてしまうところだが、よく考えればおかしなエピソードだ。

そうだろう、安倍元首相が統一教会と深い関係にあったのであれば、祖父で畏敬する岸信介氏と文鮮明のツーショット写真は、真っ先に安倍氏に見せたい写真のはずだ。

それをなんで梶栗氏は、UPFイベントへの出演者が決まらず、焦りまくっている時に持ち出したのだ。それは安倍氏と統一教会との関係が、この日になってようやくできたということのまぎれもない証拠である。

逆に言えば、この日(2021年8月某日)以前は、なんら関係はなかったということだ。

そして、その年秋の参院選で統一教会側が井上義行氏を応援したのは、教団としてUPFへの動画出演のお礼の意味があったのだろう。

政治の世界はギブ&テイクだから、別に不思議なことは何もない。

統一教会の政治信条は基本的に自民党寄りだから、自民党の候補者なら誰でもよかったのだろうが(別の元首相3人のうち誰かが出演していたら、その元首相に近い候補者を応援したはず)、安倍元首相が出演してくれたので安倍氏に近い人を応援した。それだけのことだ。

(その2へつづく)