吊りしのぶ

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文藝春秋9月号「安倍元首相暗殺と統一教会」深層レポートのデタラメ・その2

文藝春秋9月号の「安倍元首相暗殺と統一教会」深層レポート(森健+文藝春秋取材班)には、随分いい加減なことが書いてある。

tsurishinobu.hatenablog.com

そのデタラメぶりの一端は、上記ブログに書いたので、今日は「その2」として気づいたこと書こう。

1,安倍事務所に16年務めた天川元秘書が、テレビ西日本の一方的報道に激怒

テレビ西日本の10月8日の報道「安倍元首相と旧統一教会の“協力関係” 事務所関係者が語る『第二次政権誕生に力が必要だった』」には、「安倍元首相の地元・下関市で20年に渡り選挙などに関わってきた人物」が登場する。

安倍事務所に16年間勤めた天川元秘書がこの報道に激怒している、と産経新聞・阿比留記者がツイッターで紹介した。

「全くの嘘、偽証する男を取材してテレビに出すテレビ局にも腹が立ちます。(中略)選挙関連での応援の一切、電話作戦、イベントへの動員も頼んだ事は全くない事。そもそも統一教会関係の人の存在すら知らないので、頼みようが無い事」

とある。

テレビ西日本は。匿名のこの人物の証言を「安倍事務所の内情を知る人」と称して垂れ流した。安倍事務所の他の関係者に一切取材した形跡がない。もちろん番組にも登場しない。

登場したのは、有田芳生。最後に彼がもっともらしいことを言って、終わりにしている。

産経阿比留記者のツイッターより

報道するマスコミ側では、もう結論が決まっているのだ。その結論に合いそうな人物が見つかると、あとはもう真偽などはどうでもいい。ウラも取らず、ただ垂れ流すだけ。

なにしろ批判対象の安倍氏が故人だし、世間から「出しゃばるな」とさんざん叩かれた昭恵夫人がクレームをつけてくる恐れもない。

世論は「統一教会をつぶせ」の声が多数派だから、その声に沿った報道なら視聴率を稼げることは間違いなしだ。

恐れを知らないマスコミほど恐ろしいものはない。

2,テレビ西日本が報じた「安倍事務所の内情を知る人」は「文藝春秋」9月号の「安倍の後援会関係者」と同一人物だろう

実は、同じ人物(と思われる人。あくまで推測)が「文藝春秋」9月号深層レポートでも証言している。ここでは「安倍の後援会関係者」を名乗っている。

安倍の後援会関係者は、やはり政権奪回、票のためだと見ている。

「晋太郎さんは3回目の選挙で落選していて、晋三さんはその苦労を知っている。選挙で負けたらただの人以下、だから勝たないといけないというのが晋三さんのポリシーでした。民主党政権のときに、とにかく政権を取るために統一教会を使った。ビデオメッセージは彼らの協力への感謝の表明でもあると思います」

いい加減なことを言うなと、自分でも怒りたくなる。ビデオ出演に至る経緯を分析すれば、「彼らの協力への感謝の表明」なんかであるはずがない。

昨日のブログに書いたように、教団側は安倍氏にも3人の元首相にも断られた末に、トランプ出演決定というビッグニュースを持参してやっとのことで安倍氏を口説き落とした、というのが真相である。

ここでも森健+文藝春秋取材班は、この証言の真実性について一切説明していない。ただ、証言を垂れ流しただけ。安倍事務所が肯定したのか、否定したのかも、全く記述がないし、安倍氏の元秘書のコメントもない。

だが、「地元下関で長年事務局長をしていたN氏」は報道を否定した。テレビ西日本が取り上げた証言も、「文藝春秋」9月号に載った証言も、現時点では信憑性のあやふやな未確認情報でしかない。

3,知ったかぶりの森健+文藝春秋取材班

この未確認情報に続けて、「文藝春秋」深層レポートは、さらに重大なデタラメ証言を垂れ流している。

「だが、そもそも安倍はどこまで統一教会の教義やその実態について知っていたのか」

と書いているが、「よく言うよ」というのが自分の感想だ。

じゃあ、森健よ、文藝春秋取材班よ、おたくらは統一教会の教義をどこまで知っているのか?

1つの宗教団体の教義を、信者でない外部の人間が正確に把握するのは極めて難しい。まるでそれができているような言い方だ。

伝統宗教の教義だって、われわれはよく知らないのではないか。「キリスト教の教義はどんなもの?」と聞かれて、どれだけの人が答えられるだろうか?

たとえば、キリスト教では、人間には原罪があると教えている。

最初の人間であるアダムとエバが神の教えに背いたことで、あらゆる人間は原罪を持つことになった。そして、原罪がもたらしたものは肉体の死と霊的な死である。(『キリスト教は信じられるか』いのちのことば社、内田和彦・ハロルド・ネットランド共著)

ここを読んでなるほどと思う人は少ないだろう。

「霊的な死」は何となくわかる。人間は誰でも心に邪悪なものを抱えており、仏教はそれを煩悩と呼んできた。大抵の日本人はそういう感覚を持っているから、非信者でも「原罪による霊的な死」という言葉を、自分なりに理解することはできるだろう。

だが、「肉体の死」とはなんだ。アダムとエバが神に背いた結果として、人間は肉体的にも死ぬようになった、と言われて「なるほど」と思う人がどれだけいるだろう。

「そもそもキリスト教ってそんな教義だったっけ?」と思う人の方が多いのではないか。しかし、この本(キリスト教の入門書!)にははっきりそう書いている。

アダムとエバの罪の結果、すべての人が死ぬことになりました。「ひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がった」のです(ローマ5・12)。死は決して「自然なこと」ではなく、むしろ「異常なこと」です。死は、神のみこころに反することなのです。

肉体の死だけではありません。霊的な死も生じました。それは、人間が神から切り離されてしまうことです。

伝統宗教であるキリスト教の教義1つを知るにも、非常に多くの苦労がいる。なぜなら、この種の「えっ?」と思うような解説が、入門書ですら目白押しだからである。

そうした箇所の1つ1つについて、「なるほどキリスト教は、こういう理由でこういうふうに考えるのか」と理解を深めていって、初めてキリスト教の教義を知ったことになる。

と言いたいところだが、事はそう簡単ではない。

キリスト教には様々な教派があり、カトリックとプロテスタントでは教義が違うし、プロテスタント内部でも上記の本のような福音派系もあれば、科学合理性を重視するリベラル派系もあって、それぞれ教義は異なり、面倒である。

知ったからといって信者になるわけではないし、その必要もないが、教養として知ることにはそれなりの益がある。しかし、「知る」のは決して簡単ではないのだ。

まして、それが異端の宗教であり、ネット公開されている『原理講論』をちょっと見てもわかるように、独特な専門用語がたくさん出てくる教義の場合は、なおさらだ。

ちなみに、自分が調べた限りでは、統一教会の教義は、「肉体の死」を自然なものとして肯定している。それはキリスト教(上記書籍による)が説くのと違って、アダムとエバがもたらした原罪の結果ではない。

原罪の結果を「霊的な死」とのみ捉える点で、はっきり言って統一教会の教義のほうが、キリスト教の教義(同上)よりもまともだと自分には思える。

統一教会の教義を平気で「異常」と中傷する人がいるが、彼らはこういうことを知って言っているのだろうか?

話が逸れてしまった。

ここで言いたいのは森健+文藝春秋取材班は「安倍はどこまで統一教会の教義やその実態について知っていたのか」と書くが、その言葉はブーメランのように森健+文藝春秋取材班に返ってくる、ということだ。

「統一教会の教義」について、おたくらはどれほどのことを知っているのか?

4,日本人が植民地統治時代に韓国人を虐待した話は日本語版『原理講論』に載ってない、とデマを流す北大大学院教授・櫻井義秀氏

全然わかってないなと思った箇所を2つ挙げよう。

1つは、北大大学院教授の櫻井義秀氏の証言を、やはりウラも取らずそのまま垂れ流した箇所。

櫻井氏はこう言っている。

「日本語版には載っていませんが、『原理講論』の韓国語版には、植民地統治時代にいかに日本人が韓国人を虐待したかが書いてある」

ここがデタラメだ。

櫻井教授は一体何年前の話をしているんだろう。『原理講論』は古本も含めてアマゾンで買えるのに、森健+文藝春秋取材班は原典チェックすらしていない。

日本語版『原理講論』にも、ちゃんと「植民地統治時代にいかに日本人が韓国人を虐待したか」が書かれている。

「それでは韓国民族は、どのような経緯を経て、日本帝国のもとで四十年間の苦役を受けるようになったのであろうか。韓国に対する日本の帝国主義的侵略の手は、乙巳保護条約によって伸ばされた。すなわち一九〇五年に、日本の伊藤博文と当時の韓国学部大臣であった親日派李完用らによって、韓国の外交権一切を日本帝国の外務省に一任する条約が成立した。(以下略)」

といった調子で、約1ページ半にわたって日本統治時代に受けた「虐待」の話が綴られている。

櫻井教授の話は、全く事実無根だ。

昔はこの話は刺激が強いとして省かれていたと読んだことがあるが、もうだいぶ前に解禁されたのだ。

自分が入手した『原理講論』は初版が1996年だから、少なくとも30年近く前から、日本語版にも植民地時代の残酷話が載っていたことになる。

5,北大の櫻井義秀教授の間違いを指摘できない森健+文藝春秋取材班

この事実を櫻井教授は知らなかったのか???

しかも森健+文藝春秋取材班は原典チェックすらせず、櫻井教授の話を鵜呑みにしていた???

こんなことは調べる気さえあれば自分で調べることができるが、面倒なら森健+文藝春秋取材班は、旧統一教会に取材を申し込んで確認すればいいではないか。

結局、それをしていないからウソを垂れ流すことになる。一方の取材源だけを鵜呑みにして活字にする。それは三流ジャーナリズムのやることだ。

一言付け加えると、『原理講論』に載った植民地時代の記述に目新しいものは何もない。強いて言えば、誇張した表現が見られることだろう。

だが、この程度の話は、国内でも日韓史や韓国史に関する本には普通にみられるものだ。これを「反日」と呼ぶとすれば、日本の韓国史研究者も、かなりの割合で「反日」になるだろう。

例えば武田幸男他著『朝鮮』(朝日新聞社)『朝鮮を知る事典・初版』(平凡社)集英社版日本の歴史20『アジア・太平洋戦争』にも同じようなことが書いてある。

いや、これらの本に書かれている内容は、『原理講論』の反日記述どころではない。その数倍も過激である。日本を貶め、日本の加害と残虐を強調する点で、いずれも正真正銘の反日本(もしくは反日的内容を含む本)と言っていい。

そもそも『原理講論』の反日記述は、韓国では平均的な考えであり、親日派というだけで糾弾したり、親日派の子孫の財産は没収すべきとした盧武鉉政権時代に流行った反日に比べれば、ずっとおとなしい。

『原理講論』が最初に書かれた当時の、韓国社会の一般通念をそのまま書いただけではないか、という気がする。

日本でも、韓国近代史を「反日」イデオロギーで解釈するのが最近までの流行だった。朝日新聞の「(済州島で慰安婦狩りをしたという)吉田清治証言」報道も、その延長で長く流布されたものだった。

6,森健+文藝春秋取材班が韓鶴子氏の講演を都合よく「切り取り」

2つめは、2018年7月の「孝情文化ピースフェスティバル」(岡山県で開催)で代読された韓鶴子氏の「み言」を、都合よく切り取って、180度逆の意味にとっている箇所だ。

森健+文藝春秋取材班はこう書いている。

「『日本は過去に誤ったことを認めなくてはならない。人間的に考えれば赦すことのできない民族です」

端的に言えば、反日の思想。安倍には受け入れがたい主張だろう」

問題は「み言」の引用部分だ。ここに「人間的に考えれば」とある言葉を、知ってか知らずか、読み飛ばしているのだ。

「人間的に考えれば」という言い方は、対表現である。「人間的に考えればこれこれだが、人間ならぬもの(神や仏や天)から見れば、それとは違った見方ができる」というように使う。

ここに気づかないのは、故意でないとすれば、読解力がない証拠。

当日のメッセージをネットで検索してみると、全文を記録したものは見つからなかった。その代わり、メッセージを批判しながら重要部分を引用しているブログが見つかった。

fom-club.seesaa.net

このブログによると、該当箇所は案の定、次のようになっていた。

「私は日本に言いたいです。私たちがひとつになるためには、過去に誤ったことを認め、これからは未来のために良くしていこうと手を繋いでいかなくてはなりません。人間的に考えれば赦すことのできない民族です。しかし天の摂理において、真の父母は日本を世界のために生きるエバ国家、母の国として祝福しました。母の特徴は自分を顧みず全てを惜しみなく与えてくれることです」

ここには「天」が出てくる。「人間的に考えれば赦すことはできないが、天の目で見れば、そうではない」と言っているのだ。

森健+文藝春秋取材班の解釈とは真逆になる。

なぜ森健+文藝春秋取材班は「しかし」以下の引用を省いたのか? 引用すれば真逆の意味となり都合が悪いと分かっていたか、読解力がなかったか、いずれかだ。

7,姦淫の原罪により「エバ国家」日本は「アダム国家」韓国に尽くさねばならない、なんていう教義はない。「日本は天の祝福を受けた国」と見るのが統一教会の教義

韓鶴子氏は、韓国人にとって日本統治時代の出来事は赦すことができない悪行だが、「天」は「日本を世界のために生きるエバ国家、母の国として祝福しました」と言っている。

文脈をとれば、そういう意味になるだろう。

森健+文藝春秋取材班は、直前の箇所で、

「教義によれば、世界にはアダム国家とエバ国家があり、韓国はアダム国家、日本はエバ国家。姦淫の原罪により、日本は韓国に尽くさねばならないという教えがその根幹にある」

と書いた。

しかし、韓鶴子氏の言っていることは、それとは全く違う。日本は「エバ国家」「母の国」として「天」から祝福された国だとしている。祝福された国が、なぜ韓国に奴隷のように尽くさねばならないのだ。おかしいではないか。

もし日本が韓国に一方的に尽くさねばならないとしたら、その根拠は「日本が韓国を統治したとき悪逆無道を働いたから」ということになる。

しかし韓鶴子氏は、それは人間的には赦すことができない行為であるが、「天」がそれを脇に置いて、日本を「祝福された国」として選んだと言っているのだ。

植民地統治の時代だけに焦点を当てれば、確かに統一教会の教義は反日である。だが、日本のことを統一教会は「天によって祝福された国」と見ている。

エバ国家の日本は、アダム国家の韓国と共に「世界のために生きるべきだ」。これが韓鶴子氏のメッセージである。

(但し、日本がいつの時点で「天の祝福」を受けたのかまでは、自分にはわからない。少なくとも戦後であることは確かだが…)

日韓で手を携えて世界のために生きよ、と言っているわけで、宗教的メッセージとしては何も不思議なところはない。

聖書がキリスト者に対し「世界の果てまでみ言葉を宣べ伝えよ」と記した箇所に呼応するものだ。

聖書が呼びかけたのは個人だが、統一教会の教義は、個人を超えた国家に対する呼びかけを含んでいる。

個人に使命があるように、国家にも使命があるという考え方。特殊と言えば特殊だ。が、見方を変えれば斬新だとも言える。

もっとも、現実に統一教会がやっていることが「日韓で手を携えて世界のために」というある種の理想通りになっているかどうかは、また別の話になる。

ここでは教義上の話をしているだけだ。

ともかく、森健+文藝春秋取材班がデタラメなことを書いていることだけは、確かであろう。