吊りしのぶ

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立民・打越さく良氏が国会で白昼堂々と人権侵害。公益性もない。

立憲民主党の打越さく良氏が国会で白昼堂々と「信教の自由」を侵害した。山際大志郎経済再生担当相に旧統一教会の信者かどうか尋ねたという。

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ありえないことだ。立憲民主党の反宗教イデオロギーが牙をむいた瞬間だ。

しかし、その質問にどんな公益性があるというのだろう。山際大臣が旧統一教会の信者かどうかを明らかにしないと職務に支障があるとでも言うのだろうか。

支障などあるはずがない。仮に支障の可能性があるとしても、山際大臣はその仕事ぶりで評価されるべきだ。

打越さく良氏は、全く意味のない質問をして山際氏のプライバシーを暴いた。

人権意識のかけらもない不届きな行為であり、山際氏に謝罪すべきだ。

弁護士ならわかるはずだ。普通なら「公の場で信仰の表白を強いられ、精神的苦痛を受けた」として損害賠償請求の裁判を起こされても、おかしくない。

山際大臣が何の宗教を信じていようとそれは本人の勝手。たとえそれが社会的に問題があるとされる旧統一教会であっても、だ。

現時点で旧統一教会は宗教法人であり、暴力団(反社会的団体)ではない。信者か否かを公にする必要はなく、聞くこと自体が無礼な行為である。

そもそも選挙において、所属宗教を明らかにしなければならないという規定はない。国会議員への立候補でも、大臣への就任でも、宗教や宗派、信仰の有無を明らかにする法的義務はないのである。

ただ、このような質問が国会の場でなされたことは、自民党にも責任がある。

それは、自民党が「旧統一教会&関連団体との関係を断つ」という方針を表明したことだ。

「関係を断つ」と言った場合、旧統一教会の信者と公表していた自民党議員(地方議員も含む)はどうすればよいのか、公表はしていないが同教団の信者である自民党議員はどうすればいいのか、という難しい問題が出てくる。

「賛同会員」を称していた井上義行参院議員は、会員資格を返上したという。

ということは、自民党の新方針は、議員が旧統一教会の信者になることを禁じたと受け取れる。つまり、打越さく良氏が堂々と人権侵害を行った背景には、自民党の「旧統一教会絶縁宣言」があり、打越氏はそれを踏まえて質問したとも言えるのだ。

ハッキリ言えば、この自民党の絶縁宣言自体が人権侵害であり、違憲の行為である。信者になれば、必然的に旧統一教会と関係を持つことになり、自民党の方針に抵触してしまうからだ。

しかし、もっと踏み込んで考えれば、立憲民主党や共産党などの「旧統一教会の信者が自民党の国会議員(地方議員)になり、国政(地方政治)に関与するなんて許せない」という反宗教イデオロギーに基づく政府・自民党攻撃が、岸田首相に旧統一教会との絶縁を決意させたともいえる。

因果関係からいえば、この見方の方が正確だろう。

もはや日本の国会は「信教の自由」を踏みにじっても何とも思わない場所になってしまった。

国会議員が国民の民度を反映するのだとすれば、日本人もまた「信教の自由」の何たるかを分かっていないと言ってよい。

例えば、ジャーナリストの池上彰氏は選挙特番で、平気で当選者に所属宗教を聞いていた。公明党の議員に創価学会の信者かどうか質問している。

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このやり取りを、多くの視聴者は「聞きにくいことをよくぞ聞いてくれた」と拍手喝采した。

池上氏の質問の仕方はある意味、絶妙だ。「あなたは創価学会の信者ですか?」と聞かないで、「ご自身も創価学会員ですよね」と聞いている。

「質問したのではない。自分が取材で得た情報を投げかけただけ」と、ちゃんと逃げ道を用意している。

この辺はさすが。批判を受ける可能性も頭に入れて言葉を選んだのだろう。

しかし、これはやはり禁じ手と言うべきだ。こういうことをやるから、視聴者の間に「国会議員は信仰の表白をすべきだし、聞かれたらちゃんと答えるべきだ」という認識が広まってしまう。

池上氏はストレートに質問すれば「信教の自由」の侵害、人権侵害になると分かっていたと思う。しかし、多くの視聴者はそこまで深く考えていない。

「議員に信仰の表白を求めて何が悪い。それは有権者として知るべき情報だ」などと自分勝手に考える恐れがある。

こうして「信教の自由」は損なわれていくのである。