吊りしのぶ

気の向くまま、思い付くままに。記憶にとどめたいoutputの場として。

旧統一教会信者の「拉致監禁・棄教の強要」はこうやって行われる。1990年代初期、既にマニュアルができていた

駅近くの書店に立ち寄ったら、月刊「Hanada」12月号は売り切れだった。「WiLL」はまだたくさん積んであるのに。

返品が出ないように絞って売っているのか、それともバカ売れなのか?

tsurishinobu.hatenablog.com

米本和広氏の『我らの不快な隣人』(情報センター出版局)は、kindle版も制作したのはよかったが、本当は紙でも増刷してほしかった。kindle版と同時に増刷しておけば、爆笑問題の太田光氏の発言が注目を浴びた頃から売れ出したんじゃないかな。

テレビで「拉致監禁」という言葉を聞いた人も、それが具体的にどういうことを意味するのか、おそらくあまりよくわからないだろう。

被害者の体験記がアマゾンで軒並み入手できない(品切れ)状況では、それもやむを得ない。

1,拉致監禁の具体例:被害者は20代後半の日本人、結婚相手は同じくらいの韓国人女性

月刊「Hanada」12月号のルポ「“脱会屋”の犯罪」を補強する意味で、手元にある本から少し引用してみようと思う。

著者は旧統一教会の「合同結婚式(祝福)」に参加し、1990年12月、韓国に行ってソウル江南教会に所属した。お相手は韓国人女性。

著者はこの時20代後半。女性もおそらく同じくらいだろう。

「日本人女性が韓国男性に嫁いで韓国に住む」ケースはよく取り上げられるが、この本の主人公は男性が日本人、妻が韓国人である。

1980年代、日本にとって韓国はマイナーな存在だった。韓国は日本文化の流入を制限し、韓国内では日本のテレビ番組や映画が自由に見られない時代。

日本は日本で、ようやくマニアの間で韓国ブームが起きた頃だ。

「日本は植民地時代に随分ひどいことをした」という情報が、マニアや韓国・朝鮮の歴史研究者から一般の人へと拡散していった。

これが、朝日新聞が報じた吉田清治証言(旧日本軍人の吉田氏が済州島で数百人の慰安婦狩りをした)などの影響で増幅され、90年代の「旧日本軍による従軍慰安婦強制連行20万人説」や国連クマラスワミ報告、「河野談話」「村山談話」「国会の戦後50年謝罪決議」などにつながっていく。

反日自虐史観全盛期前夜といったところか。なお、朝日新聞が2014年に吉田清治証言の記事を取り消したのは周知の通りだ。

2,実家に1人呼び出され、完全無防備の時に突如として事件は起きた

さて、やはり韓国にいた奥さん(著者は「相対者」と書く)は、日本の著者の実家に挨拶で度々電話をしていた。

 そのうち、父とも話すようになっていった。

「統一教会はいろいろ悪く言われていますが、結婚は許してください。どうか心配しないでください、これからどんどん良くなります」

「いや、認めるわけにはいかない。どうしてかというと、知り合ったのが合同結婚式だ。だからいやだ。韓国人だし、とにかくいやだ」

 というようなやり取りだったそうだ。

しばらく完全拒絶状態だったが、春になって父親から著者に電話があり、会ってやるから連れてこいと言われたという。

ところが、まず1人で来いと妙な言い方をされた。まず著者と会って、奥さんと会うのは翌日にしたい、と。

言われた通りにして彼が帰国したところ、お父さんは、会う日をさらに1日遅らせてきた。

さて、事件はここから始まる。

 1991年4月7日、●●●(引用者注・念のため伏せる)の実家に帰ったのは、夕方5時ごろだった。皆で食事をして8時ごろになると、仏壇のある部屋で話をしようということで、父、母、姉、弟そして私は仏間に移った。父も母も真剣なんだなということは分かった。

「ご先祖様にお参りしろ」

 と言うので、お線香を上げた。

 いろいろ話を始めて、15分くらいしたら、親戚が20人くらい私たちのいる仏間にぞろぞろ入ってきた。その時まで、親戚がいるなどということは全然気がつかなかった。(中略)

 仏間は母屋と離れの二つをつなぐ中間の位置にあるので、入ってくるルートがいっぱいある。その全部の入口から同時に入ってきた。

 私は正座して、

「きょうはどうもどうも、わざわざすみません」

「統一教会で韓国の人と結婚したというんだけれども、説明を聞いていない。だから聞きたい」

(あれ? 親父からは、祝福を受けたことはだれにも言うなと言われていて、だれにも言っていないのに、どうして分かったんだろう。親父がもう皆に話しているんじゃないか。まあ、いいか)

「あ、そうですか。どうもありがとうございます」

「君の話も聞くから、こっちの話も聞いてくれ」

「はい、分かりました」

「そのための場所も取ってあるから、行きましょう」

 親をはじめ、皆が口をそろえて言う。

「どこですか」

「言えない」

「場所を言えないような所に行って、いつ帰ってくるんですか」

「分からない」

「悪いけれども私は、明後日には韓国に帰るようにチケットも取ってある。韓国に待たせている人もいるから困ります」

「そういうわけにはいかない」

「だけど、それはあんまりでしょう。ぼくは、どこに行け、だれに会え、だれと話せと言われれば必ず会った。全部言うとおりやってきたじゃないですか。

 連絡場所を教えないということも一切なかった。ちゃんと筋を通してやっている。それなのに、おかしいじゃないですか。

 そちらに都合があるように、こちらにも都合がある。韓国からはまた必ず帰ってきます。また呼ばれたら必ず帰ってきます。だから、今日は訳の分からない所に行くことはできないですよ」

 押し問答が続く。

「どうしてもダメか」

「どうしてもダメですよ。いきなり言って、いきなり連れていくったってダメですよ。こっちにも予定がありますよ。すみませんが」

「どうしても駄目なら、力ずくでも連れていく」

「……帰らせていただきます」

 と言って出ようとした。そうしたら、

「そうはいかない」

 と、突然そこにいた男性が、ダーッと10人ぐらい来て、押さえつけてきた。こちらも暴れるけれども組み伏せられてしまう。折り重なってきて、体の自由がきかない。

 だれかの手をおもいっきり噛んだ。私は暴れているわけだけれども、皆押さえるのに苦労しながら必死に押さえつける。(中略)

 母親が、

「このままでは運べませんから、皆さんフトンムシにして連れていきましょう」

 と叫ぶ。

「分かった。おとなしくついて行くから、チョット放せ」

「だめだ、信用できない」

 その時、母方のクリスチャンの叔母さんがいて、

「ここでお祈りしなさい。本当の試練の中にいるときこそ、信仰が試されるのよ」

 と言う。

(チクショウ)“試練”をわざわざ作り出しておいて、その当事者たちがその“試練”に遭っている私に、「祈れ」もないもんだ。

3,親戚10人が一斉に襲いかかりフトンムシ、羽交い締めでワゴン車に押し込む

韓国語がある程度できるようになっていた著者が、いつもやっているように韓国語で祈り始めると、その叔母さんが日本語で祈れと叫んだそうだ。

仕方なく彼は日本語で声を出して祈ったという。

 立ち上がると、みんなあっちこっちから手をかけて、私は羽交い締めにされ、ワゴン車に押し込められた。

 身動きもできず、行き先も知らされないまま、車は新宿方面に向かい、午後11時ごろ、東京■■にある「★★ホテル」(引用者注・念のため伏せる)に到着した。

 車から降りると、親戚や見知らぬ人々が、既に要所、要所に配置されていた。私は親戚ら10人くらいに取り囲まれたままエレベーターまで行った。

 地下の駐車場からエレベーターに乗るが、20人くらい入って、わざわざ定員オーバーのブザーが鳴るまでいっぱいに入り込み、最後の人が出るといった念の入りようだ。

 私はエレベーターの一番奥で動けないでいる。

 絶対逃げられない。

 エレベーターが開くと、またそこに人がずらりと並んで固めている。

 確か36階だったと思う。2つつながっている部屋だった。

 私が連れ込まれた二つ目の奥の部屋のドアは、大きな鏡台が置かれてふさがれ、ドアにロックもされていたから容易に脱出できる状況ではなく、隣の部屋を通って脱出するのは、両親や親戚が見張っており、もっと難しい。

ここまでの引用でわかるように、「君の話を聞きたい」「こちらの話も聞いてほしい」という理由で、拉致監禁は青天の霹靂のように始まる。信者にとっては完全なだまし討ちである。

親に「会ってやるから帰ってこい」と言われて、断る子どもはいないだろう。それまで結婚に反対して「絶対認めない」と言っていたのだから尚更だ。

喜び勇んで実家に帰ったが最後、飛んで火に入る夏の虫、となるわけだ。

拉致は絶対に失敗しないように、入念な準備が施された上で実行されていることがわかる。

著者のケースでは、20人もの親類縁者が取り囲み、うち10人くらいが一斉に襲いかかってフトンムシにしたり、羽交い締めにしたりして、あっという間にワゴン車に押し込んだ。

4,たどり着いた先はホテル36階の監禁部屋。待ち受けていたのは元教会員たち

こんなやり方をされてその場を逃れられる人はいない。正真正銘の拉致である。

 部屋の中に入ると何人かに交じって変な男がいて、

「おお来たか」

 と言う。

(なに、この人?)

 部屋の中には、知らない人たちがいっぱいいるし、若い人もいる。

(何なんだこれは?)という感じだった。

 私は連れられていったツインルームのベッドの上に座った。周りの人たちは、話をしようということで床に座る。

 と、その中に1人、◆◆◆◆(引用者注・念のため伏せる)という元教会員の女性がいて、急に、

「ちょっと、何であなただけベッドの上で偉そうにしているのよ。ちゃんと下に降りなさいよ」

 と叫ぶ。

(再び、何だこれは?)

 仕方なく降りて正座した。

 話してみると、初めて見るその人たちは、元教会員の人たちであることが分かった。

 つまり、自宅からホテルに連れていくまでは、全部家族と親戚がやるので親戚以外はいない。しかし、ホテルに着いた時点では元教会員だった人がいるわけだ。

拉致監禁、すなわち鈴木エイト氏や霊感商法対策弁護士らが「脱会説得」と称しているものには、明らかにマニュアルが存在していると思える展開だ。

5,民事不介入をタテに警察官を排除。殺し文句は「家族内のことですから」

つまり、信者を拉致して監禁場所へ連れていく係は肉親や親戚(人手が足りない時は、友人や元教会員が補うこともあるようだ)が担当するので、万が一、人目について警察官がやってきても、「家族内のことですから」と言い訳ができる。

民事不介入を原則とする警察は、ほとんどの場合、信者本人の口から事情を聞くことなく引き下がるらしい。

警察が「家族だから」と言われても、一体何が起きているのか、状況をきちんと把握する労力を惜しまなければ、拉致された本人に質問ができるはずだ。

本人に年齢を確認し、何をされているのかと質問すれば、その答えから意に反してどこかへ連行される途中だと分かる。

成人ならば、もはや「家族だから」は通用しない。家族だからといって成人した子どもを有形力を行使して、本人の意に反してどこかへ連れ去っていいという法はないからだ。

しかし、親が子どもを拉致するなんてことは、警察官もたやすく信じられる話ではない。

2022年の今でさえ、「拉致監禁ではない。脱会説得だ」という虚偽言説が世にまかり通っているのだから。

しかし既に1991年の段階で、旧統一教会信者を対象に、社会の常識が通用しない異常な人権蹂躙が日常化していた。

6,「おれが宮村だ、荻窪栄光教会の宮村だ」。立憲民主党のヒアリングに招かれた「脱会支援者」の正体

引用をあと少しだけ。

 もう夜も遅いので交通機関のこともあり大変だろうと思い、親戚の方々には丁重に、

「きょうはもう遅いですよね。どうぞ、お引き取りください」

 と言ったら、

「そうはいかない」

 と、さっきの中の1人の男が全体の場を取り仕切って言う。

「正座することはない、楽に座れ。そう、あぐらをかけばいい。自己紹介しておこう。おれが宮村だ、荻窪栄光教会の宮村だ」(中略)

「おれのこと知らないか?」

「知りませんねえ」

「ま、あんまり知らないかもしれんな。お前、統一教会の対策講座とか聞いていないのか」

「昔ちょっと聞いたけど、最近あんまり聞いていないです」

「そうか、お前はもうここから出られない。ここから出るためには、落ちる(原注・統一原理によって明かされる、神様と理念に対する信仰を捨て、教会をやめること)しかない。

 でも、お前は落ちるなんて考えていないよな。お前が本当にここから出るためには、一生懸命、統一教会の正しさを訴えて、ここにいる人たちや、親戚や両親を伝道しろ。1人でも伝道したら出してやる。

 それ以外には、偽装脱会(原注・信仰を捨てていないのに、捨てたと偽る)しか出られる道はないよな。いいか、おれはそのへんの“ヘッポコ”牧師とは違うぞ。覚悟しておけよ。君は相当、雄弁だそうだな。大分ヘリクツを言うようだな。

 でもそれが通用するかな。お前らは、何も知らない相手に対しては強く出るが、自分が勝てない相手だと思うと黙りこくる、いじける、すねる、そんなのが多いからな。お前は今の自分の状況が分かっているのか」

「大体、こんな所に閉じ込めるなんて人権侵害、憲法違反ですよ」

「お前たちは、いつもは、天の法律のほうが地上の法律に優先するんだと言って、地上の法律なんか破ってもいいと言っているくせに、こんな時に限って人権侵害だなんて言うのはチャンチャラおかしい」

「荻窪栄光教会の宮村」氏は相当に雄弁である。

状況描写から察するに、その場には元教会員たちのほか、彼を拉致してホテルに連れ込んだ両親、親戚もいることが分かる。

両親の面前で、その実の息子、それも30近くになる立派な大人を相手に、これだけの口の利き方は、そうそうできるものではない。

7,「親の愛で捕まえる」~拉致監禁の内情を知らない人がコロッとだまされるフレーズ

しかし著者も負けていない。

「もし、本当に法律を破っているのなら、法律によって裁いたらいいでしょ、私を。法律を破ったかどうかもはっきりしていないという状況では、個人的なリンチが行われないように法律があるわけでしょう。そしてちゃんと弁護士さんをつけて、裁判が行われるわけでしょう。

 裁判で有罪と認められて、刑罰のために監禁されるというのなら分かりますよ。おかしいじゃないか」

「お前考えてみろ、ある悪いやつがいて、夜な夜な放火したりする大変に悪いやつだ。そのことを、親は知っている。自分の息子が悪いことをしていることは分かったんだ。それなのに警察は、なかなか証拠がないから捕まえられない。そういう状態を見て、お前ならどうするか」(中略)

理路整然と反論する著者に、「荻窪栄光教会の宮村」氏は次第に苛立ちを露わにし、切り札となるフレーズを吐く。

「とにかく、警察は証拠がないといってなかなか捕まえない。だから、親の愛で捕まえるんだ」

誰が思いついたのか知らないが、「親の愛で捕まえる」とはよく言ったものだ。拉致監禁の内情を知らない人は、これでコロッとだまされてしまう。

著者の言葉による抵抗は続く。

「その悪いやつが統一教会だと言うんですか」

「そうだ」

「それが親の愛だったら、関係ないあなたが何でそこにいるんだ。出ていってほしい」

「とにかくおれは、親に頼まれた。泣くほど頼まれた。そうですよね、お父さんお母さん」

 両親はかしこまって

「はい、お願いします」

 とやっている。(中略)

 私がそれでも執拗に監禁の不当性を訴えると、

「統一教会に入ると、本当に頭が悪くなる。同じことを何度も言わせるな。うちのポチは三度でお手を覚えた」

 と言う。このフレーズは宮村の十八番の決まり文句の1つで、その後、何度も言っていた。(中略)

 あとで宮村自身から聞いたのだが、

「絶対に脱会させますから。必ず落としてあげるから」

 と宮村が言ったという。

 この宮村の言葉を両親は信じたらしいが、……(以上『監禁二五〇日 証言「脱会屋」の全て』光言社より)

こんな調子で話は進んでいく。いくら著者が抵抗しても、どうにもならない状況であることは容易に分かるだろう。

こうしてその年の12月下旬まで250日に及ぶ監禁生活が始まった。この後は「脱会カウンセラー」と称するプロテスタント系キリスト教牧師が現れ、「話し合い」「聖書の勉強」などと称して棄教の説得が延々と続いていく。

説得といえば聞こえはいいが、監禁され自由を奪われた環境での説得である。そういう状況を我が身に置き換えて想像してみれば容易に分かることだが、これは「話し合いの強要」「聖書の勉強の強要」である。

パワーハラスメントと言ってもいい。キリスト教牧師は絶対的な強者である。牧師の話を拒否したり、批判している間は監禁部屋から出られないのだ。

「私が間違っていました。統一教会をやめます」と言うまで牧師の「棄教の説得」はずっと続く、1カ月でも2カ月でも3カ月でも…。こういうのを普通は「話し合い」「説得」とは呼ばない。正真正銘の棄教の強要、強制である。

さて、牧師が現れる前、監禁現場を仕切っていた「荻窪栄光教会の宮村」こそ、今回、立憲民主党が有田芳生氏とともにヒアリングに招いた宮村峻(たかし)氏である。

cdp-japan.jp

宮村峻氏は、すぐ下に述べる後藤徹氏の拉致監禁に関わり、裁判で最高裁まで争って敗訴、1100万円の損害賠償を命じられた。(高裁判決最高裁が上告棄却

このことからも、立憲民主党が宮村氏を「脱会支援者」としてヒアリングに呼んだことがどれだけ異常かわかるだろう。

8,民主主義社会で重要なのは手続き・手段。結果がどうあれ、拉致監禁は刑法犯罪

以上の引用は著書のほんの冒頭部分である。こののち、1冊の本になるくらい実にいろいろな、もし自分がそんなことをされたらと思うと身の毛もよだつような、苦痛に満ちた体験を彼はすることになる。

著者はそれでも1年未満で監視の目が緩んだ隙に逃れることができた(途中、偽装脱会し、本当に脱会したかどうか確認するため様々な踏み絵を踏まされたが、著者は忍の一字で踏み絵を踏み続ける。例えば賃金請求訴訟、婚姻無効訴訟の強制など。これで宮村氏は油断した)。

月刊「Hanada」12月号で福田ますみ氏が取材した後藤徹氏の場合、監禁期間は12年以上に及ぶ。

こんなことがG7、先進7カ国の一翼を占めるこの日本で行われていたなんて信じられるだろうか。

250日でも信じがたいが、12年以上は想像を絶する長さだ。よく生きていられたと思う。

人は意に反して監禁され、絶対にそこから出られないと言われたら、発狂してもおかしくない。あるいは、死を願うようになるだろう。

しかし、自分に非がないのになぜ死ななければならないのか? 人間、死にたいと思ってもそう簡単に死ねるものではない。その代わり、精神に異常を来し、PTSDを発症したり、鬱病になったりといった後遺症を背負わされることになる。

もちろん、「監禁なんか耐えられない。さっさとやめよう」と考えて脱会する人もいる。しかし、拉致監禁の結果がどうなるか、それはやってみなければ分からないことである。

結果は大きく3通りに分かれる。

  • 脱会できて良かったと思う人
  • 脱会はしたが、心に深い傷を負うか後遺症に悩まされる人
  • 隙を見て逃げ出して信仰を守った人(ただし、逃げる過程で怪我をしたり、病気になったりすることがある。後遺症が出る人も当然おり、2度目、3度目の拉致監禁に怯え続ける人もいて、「脱出できたから安心」とはならない)

民主主義社会では、結果よりも手続きが重視される。警察が違法な手段で証拠集めをすれば、それが犯人逮捕の重要な決め手であっても、裁判所は証拠採用しない。それが現代社会の基本ルールだ。

結果はどうあれ、手段・手続きが違法ならばアウト。だから、拉致監禁によって統一教会を脱会できて良かったと言う人がいても、そのやり方が違法である以上、やってはいけないのだ。

9,警察が適切に行動していれば、とっくに根絶されていたはず。なのに4300人も

しかも、拉致監禁は民法の不法行為とは次元が違う。刑法220条の逮捕監禁罪である。警察がその都度、適切に行動していれば、とっくに根絶されていたはずだ。

なのに、およそ4300人もが拉致監禁により棄教・改宗を迫られた。

この警察の不作為こそは、旧統一教会が警察と癒着はおろか、警察権力に何の影響力も持ち得なかったことの悪しき証拠である。

癒着は許されないが、被害実態を訴え、適正な法執行をしてくれるよう影響力を行使するのは、教団として信者の命と人権を守るためには当然すぎるほど当然のことだ。それすらままならなかったようだ。

教団が出した本には、少数ながら、警察が動いて被害を防いだり、信者の救出に成功した事例もあった(と記憶する)。これは個々の警察官の能力や判断力が優れていたから可能になったことだろう。

さて、著者が監禁から逃れ、奥さんとも再会し平静を取り戻した後のこと、そしてこの本を刊行した後のことなど、書いておきたい興味深いエピソードがある。それはまた改めて。

なお、著者は本書を刊行する頃には、両親を恨む気持ちは消え、「ある意味で、両親の愛を実感する貴重な体験の期間だったと思っている」と振り返ることができるところまで精神的回復を遂げた。

この「ある意味で」のフレーズには、複雑な思いが込められていると自分は想像する。

言うまでもなく、「両親の愛を実感する貴重な体験の期間だった、だから拉致監禁してもいいんだ」などと言っているわけではない。

全く逆。著者は、

「強制改宗、強制脱会が、このようにして行われる非人間的蛮行であるという事実を1人でも多くの人に知っていただき、今後、同様のことが行われないよう、心から祈るものです」

と書いて、本書を締めくくっている。