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有田芳生氏が認めた「行き過ぎがあったことも事実」の「行き過ぎ」って何だ?~旧統一教会問題

有田芳生氏が10月28日付けで興味深いツイートをした。旧統一教会の「拉致・監禁」キャンペーンを批判する趣旨のようだが、そこに「なかには行き過ぎがあったことも事実」と書いてある。

有田芳生氏のツイッターより

なるほど。「行き過ぎ」を認めたわけだ。ということは、有田芳生氏は「行き過ぎ」の個別事例を知っていることになる。

どんな「行き過ぎ」があったのか、ぜひ具体的に示してもらいたいものだ。

例えば、12年以上も監禁されたあげく、着の身着のまま放り出された後藤徹氏(「月刊Hanada」12月号の福田ますみ氏「“脱会屋”の犯罪」「hanada」プラスプレミアムで¥200税込みで買える〉が取り上げた)のケースは、この「行き過ぎ」にあたるのかどうか?

同じく福田ますみ氏が取り上げた、病院勤務医だった小出浩久氏を約2年間にわたって監禁・軟禁し続けたケース。これは「行き過ぎ」に分類されるのか?

小出氏は末期ガン患者や重症糖尿病患者の担当医だったにもかかわらず、実力行使(有形力の行使)で拉致され、都内のマンションに監禁されている。

また、拙ブログで紹介した『監禁二五〇日 証言「脱会屋」の全て』の著者のケースはどうか?

tsurishinobu.hatenablog.com

答えははっきりしている。当然「行き過ぎ」に含まれる。

これら拉致監禁による棄教の強制がもし行き過ぎでなかったら、有田氏の言う「行き過ぎ」の事例などどこにも存在しないだろう。

後藤徹氏は民事裁判で最高裁まで争い2015年に勝訴した。そして他の2人は本まで書き、関わった人たちを実名を挙げて非難している。

そこにウソがあれば名誉毀損で訴えられ、とっくに敗訴しているはずだが、そんな事実は全くない。

この3件、全てにおいて宮村峻氏が拉致・監禁に深く関わっている。

しかし、有田氏の言う「行き過ぎ」に少なくとも3件、実際には何十件、何百件とも言われるほど数多く関わってきた宮村峻氏を、有田氏はなぜ厳しく非難しないのか?

常識の持ち主ならば、「行き過ぎは良くない。すぐやめましょう」と言うはず。しかし、宮村氏の「行き過ぎ」は『監禁二五〇日 証言「脱会屋」の全て』(光言社)が刊行された1994年の時点で明らかになっていた。

有田芳生氏は、当時はもう統一教会問題に詳しいジャーナリストとして活躍していたのだから、この本のことを知らないはずがない。

なぜ宮村峻氏をいさめなかったのか?

その時有田氏が「行き過ぎは良くない。すぐやめましょう」と宮村峻氏をいさめ、「行き過ぎ」をやめさせていれば、後藤徹氏は12年以上も人権を蹂躙され続け、貴重な人生を浪費しなくて済んだはずだ。

これは、「中には行き過ぎもありました。しかし、問題の根源は統一教会にある」などと論点をずらしてスルーしていい問題ではない。

「行き過ぎ」とは、要するに刑法の逮捕監禁罪(220条)に当たる行為だからである。それは露骨な人権侵害であり、当然、信者・元信者に深刻なダメージをもたらす。

後藤徹氏は月刊「Hanada」12月号で語っている。

「強制的に棄教させられた元信者、教会に戻った信者を問わず、重篤なPTSDを発症して正常な社会生活を送ることができないケースも珍しくなく、拉致監禁の加害者である肉親との関係も修復できないことが多い。

拉致監禁中に自殺した女性、脱会説得者にレイプされた女性もいます。脱出するために、洗剤を飲んだり、醬油の一気飲みをしたり、マンションの高層階の監禁部屋から転落して重傷を負った信者もいます」

これらの不幸な事例を「行き過ぎもあった」の一言で済ませられると有田芳生氏は本気で思っているのだろうか?

立憲民主党が旧統一教会問題で行ったヒアリングには、「行き過ぎ」の張本人、宮村峻(たかし)氏が出席しているが、その時、有田芳生氏も同席していた。

cdp-japan.jp

有田氏はその場で、「宮村峻氏こそ長年『行き過ぎ』を行ってきた張本人です。『行き過ぎ』は許されない」とちゃんと発言したんだろうか?(するわけないか。聞くだけ野暮だった)