吊りしのぶ

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宗教法人法を逸脱してでも旧統一教会をつぶしたい岸田内閣。これは宗教弾圧だ!

岸田内閣の旧統一教会に対する「質問権」行使は、「解散命令」の請求を視野に入れたものであり、もはや「何が何でも解散命令請求をするぞ」と言わんばかりの強引で、強硬な態度になりつつある。

これを宗教迫害、宗教弾圧と言わずして何というのだろう。「信教の自由」はいともあっさり侵害され、教団側が信者が人権侵害行為にさらされているといくら訴えても、人権を守ると称する弁護士らは完璧に無視を貫いている。

「被害者」の一方的な主張がクローズアップされる一方、信者や教団側の言い分はまともに取り上げられたためしがない。

■宗教法人法の恣意的な運用による露骨な宗教弾圧

岸田内閣の旧統一教会攻撃が宗教迫害だというのは、そのやっていることが法に則っていないことを見れば、明々白々だ。

世界日報に載った11月12日の「記者の視点」という記事が分かりやすいので、それを取り上げよう。宗教法人法の恣意的な運用から、岸田内閣の一連の動きが、旧統一教会を狙い撃ちした宗教迫害そのものであることがよくわかる。

これは宗教団体の側に立った感情的な評価ではなく、法の運用に照らして明らかなことなのだ。

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本来は二重三重の手続きを経た上で「質問権」行使を決めなければいけないのに、岸田首相はいきなりそれを決めてしまった。

統一教会に対して「質問権」を行使するという結論ありきで「行使の基準」が決められた。

もともとは、先に「行使の基準」があって、それに合致した場合に質問権の行使ができるという仕組みなのに、行使すると決めてから「行使の基準」を作ったのでは、旧統一教会に対して行使できるような緩い基準になるに決まっている。

記事にある通り、これは「後出しじゃんけん」そのものだ。

岸田首相は「あらかじめ宗教法人審議会に諮問してその意見を聞く」(第78条の2第2項)こともしていない。聞く前にもう「質問権」行使を決めていたのだ。

そして、一連の手続きを終えてから、永岡文科相が「質問権」の行使を「正式に」表明した。

正式に表明もなにも、とっくの昔に総理大臣が文科省に「質問権を行使して調査しろ」と指示しているのだから、これは出来レースというものだ。

首相は10月25日、政府が確認している民法の法令違反22件では「過去に解散を命令した事例と比較して十分に解散事由として認められるものではない。報告徴収・質問権を行使することでより事実を積み上げることが必要だ」と国会答弁した。

犯罪捜査で司法警察を指揮する検事のような感覚で、「有罪にするには証拠が足りないからもっと集めろ」と言っているようにも聞こえる。

同法78条の2第6項は「(報告徴収・質問権は)犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない」と、憲法が保障した「信教の自由」を守るため、質問権は抑制的に行使することを求めていることは無視されている。

宗教法人法は「信教の自由」の侵害にならないように、極めて慎重に作られているが、政府が恣意的な運用をすれば、どうにでもできるということがよくわかる。

ひとたび政府に目を付けられたら逃れることはできない。そこに権力の恐ろしさがある。

マスコミは普段は「権力の濫用を監視する」と大見得を切っていながら、目の前で宗教弾圧が進行しているのに知らん顔。むしろ政府の後押しをしており、権力の濫用に加担している。恐ろしいことだ。

■全ては「旧統一教会と関連団体との関係を断つ」から始まった

岸田首相が「旧統一教会と関連団体との関係を断つ」という方針を示したとき、事態がこのように展開するとは想像もしていなかっただろう。

しかし、全てはこの方針表明から始まった。

自民党には「結社の自由」があるとはいえ、弱小政党とは訳が違う。この方針が宗教団体の政治活動の自由を阻害することは明らかだ。

宗教団体でなんであれ、陳情や要望を行ってある政治課題を達成しようとすれば、与党に対して行うことが優先順位の上位に来る。

政治活動は市民団体の専売特許ではないし、宗教団体がやってはいけないという法はない。その宗教団体に達成したい政治課題があれば、政治活動はむしろ自然なことだし、働きかけの対象は真っ先に自民党に向かうだろう。

それを「旧統一教会が政治をゆがめた」とか「旧統一教会と自民党の癒着」なんて言うのはナンセンスだ。

どこの宗教団体もやっている政治活動、ロビー活動と何も変わらない。この種の政治活動、ロビー活動は当然、一般の市民団体や政治団体もやっている。

政策協定を結ぶなんてのは、去年の衆院選で反安倍の市民連合が立憲民主党や日本共産党とやっていたことだろう。

同じことをやっても、旧統一教会系の団体がやるとマスコミは批判する。頭がクラクラするほどのダブルスタンダード。

協定を結んでも、最終判断は議員や政党側がする。責任も議員や政党が負う。

政治に影響力を及ぼすことを「政治が歪められた」と表現するのなら、あらゆる市民団体、宗教団体が政治活動をしてはいけないことになるではないか。本当にバカバカしい批判だ。

■宗教団体が政治活動を行う自由は宗教法人法で保障されている

宗教法人法は、「宗教団体」を「宗教の教義を広め、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的」とする団体と定めているが、「従たる目的」として政治活動を行うことはなんら問題ないとしている。

『逐条解説宗教法人法』(ぎょうせい、第3版、2007年)に、

宗教団体は、一般の他の団体または個人の場合と同様に、政治的活動の自由が許されている。

と書かれている通りだ。

ただ、宗教団体が行う政治活動は、あくまで「従たる目的」でなければならない。

そこでしばしば、宗教団体は別に政治団体や市民団体を作り、それらの団体がその団体固有の目的を掲げて、ある団体は政治活動に専念し、ある団体は慈善事業を行い、ある団体は女性支援の活動を行う、というように、団体ごとに多様な活動を行うようになる。

旧統一教会の場合、

となる。

これら関連団体に、もし活動実態がないならダミー団体と言うこともできるだろうが、それぞれのホームページを見れば、活発に活動していることがわかる。

政治的悪意や底意がなければ、ダミー団体なんて口が裂けても言える話じゃない。

そして、これらの関連団体は「主たる目的」では団体が掲げる活動をしなければならないが、「従たる目的」では宗教活動をしたっていいのである。

例えば、世界平和女性連合が「女性の地位向上や貧困の撲滅」を主たる活動としていたとしても、旧統一教会の教祖夫妻が創設した団体なのだから、「従たる目的」で宗教活動を行うことには法的な問題はない。

ところが、反統一教会勢力は、世界平和女性連合の会員が宗教活動をしたことをあげつらって、同団体は統一教会のダミー団体で、布教が目的なのにその正体を隠して活動している、などと不当な非難を浴びせている。

彼らは統一教会の活動をつぶすのが目的だから、法に則った活動でも、そうやって平気で悪意のレッテルを貼り、悪宣伝に余念がない。全くふざけた話だ。

■信仰の表白を強いて議員やスタッフを選別する行為は「信教の自由」の侵害

いずれにせよ、旧統一教会ならびに関連団体には政治活動の自由があるにもかかわらず、岸田内閣は、「社会的に問題のある団体だから」という理由で、その活動に大きな制約を課したのである。

これが「信教の自由」に反することは明らかだ。「社会的に問題のある団体」というレッテル自体、主観的なものであり、何一つ法的裏付けのない決めつけだからである。

ところが、このレッテルが水戸黄門の印籠のようにまかり通ってしまった。

この方針により、信者の議員やシンパの議員は離党もしくは棄教を余儀なくされ、信者であることをプライベートな問題だとして公表してこなかった議員は、信仰の表白を強いられることになるだろう。

「私は信者です。よって自民党を離党します」と表明する(表明させられる)地方議員がこれから何人も出てくるのではないか。

彼らは、もろに信教の自由を侵害されたことになる。

本来、議員に立候補するときに自分の信仰を表明する義務はない。何の宗教を信じていようと、その人の勝手のはずだ。

しかし、これからは、自民党から立候補する人は、「自分は旧統一教会の信者ではありません。同教団や関連団体とは何の関係もありません」と誓約しなければならなくなった。

これは「内心の自由」「信教の自由」の侵害にほかならない。

さらに問題がある。それぞれの議員は秘書を雇うときや、選挙でボランティアを頼むとき、いちいちその人たちの信教の自由を侵害して「あなたは旧統一教会の信者ですか?」と聞くつもりだろうか。

■「民法上の不法行為」は刑事事件とは重みが異なり、解散要件として不適当

岸田総理がおかしな方針を出したことで、旧統一教会を狙い撃ちした不当な攻撃はどんどんエスカレートしていった。

こうして行き着いた先が文部科学大臣による「質問権」の行使、それも「解散命令」の請求を既定路線とした質問権行使である。

宗教法人法における解散請求の要件とされてきた「法人本体の刑法犯罪」が、突如としてどこかへ吹っ飛び、「民事の不法行為」でも解散請求できるとされた。

しかし、刑事と民事は性格が根本的に違う。

刑事は検察が証拠を握って有罪にできる確率が高いと見込んで起訴する事件だが、民事は双方の言い分が対立し、そのままでは解決不能だから裁判所の判断を仰ぐものだ。

裁判開始の時点ではお互いに言い分があり、結果は明らかではない。

教団側が敗訴した例が多いようだが、勝訴した事例もある。

となると、宗教法人法が定める解散命令の要件「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」のうち、「明らかに認められる」にはあてはまらないことになる

民事での教団敗訴の事例が「公共の福祉を害する行為だった」とは言えても、「著しく」とまで言えるのかどうかは極めて怪しい。

「著しく公共の福祉を害する」とは、殺人や凶悪犯罪、重大犯罪のような刑法犯罪を指すと見るのが自然である。

もし民法上の不法行為が「著しく公共の福祉を害する」に該当するのなら、殺人や凶悪犯罪、重大犯罪のような刑法犯罪はどうなってしまうのか。

「非常に著しく」「甚だしく著しく」とか「とんでもなく著しく」とでも表現しない限り、釣り合いがとれないだろう。