吊りしのぶ

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元信者で金沢大学教授、仲正昌樹氏の研究と体験に根ざした「マインドコントロール論」批判

1981年4月から92年10月まで11年半、旧統一教会の信者だった仲正昌樹・金沢大学教授。元信者であることを隠さず、研究者の道を歩み、気が付いたら売れっ子哲学者となっていた人物だ。

大きな書店に入って哲学コーナーに行けば、「仲正昌樹」のプレートでコーナーができているほど。NHKの長寿番組「100分de名著」には、ハンナ・アーレント『全体主義の起源』の解説者として出演していた。

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仲正氏の本は読んだことがないが、売れっ子なのだから相当な切れ者なのだろうと思っていた。その割に、旧統一教会問題でのこれまで発言を聞いても、今ひとつ切れ味が感じられなかった。

仲正氏が哲学者であるだけに、哲学的に深遠な分析を期待したので、物足りなさを感じたのかもしれない。ただ、今回「正論」でマインドコントロール理論を批判したところは、さすがだと思った。

もっとも、「あれっ」と拍子抜けしたところもあるのだが。

■仲正昌樹教授が「正論」12月号に書いた「旧統一教会が『闇の政府』という妄想」

最新号は1月号だからその前の号になるが、「正論」12月号に「旧統一教会が『闇の政府』という妄想」を寄稿している。タイトルからもわかるように、至極もっともな主張だと思った。

「正論」22年12月号より

寄稿の最後の方で、デタラメなことばかり言っているマスコミの取材に注文を付けていた。

それはよいのだが、その直後の一節に首をかしげたのは自分だけだろうか。

東京・松濤にある家庭連合本部や、天宙平和連合など関連団体が入っている成約ビル、「世界日報本社」や「勝共連合本部」などの様子を外から観察するだけでも、あの教団の現状をある程度窺い知ることができるのではないか。

ええっ? 本気ですか、仲正教授。

外から観察すればわかることがある、というのはその通り。しかし、「ある程度窺い知ることができる」はちょっと、いや、かなり言い過ぎでしょう。

そもそも勝共連合本部は渋谷、世界日報本社は日本橋茅場町と場所が違う。

世界日報は、昔は渋谷駅前のビルの上にやたら目立つ看板を出していて、本社も渋谷にあったが、今は移転している。

渋谷区の松濤と宇田川町、新宿、茅場町の4箇所を回って外から観察したところで、一体何がわかるのか、少々疑問だ。

観察から得られた結論が「この教団と関連団体はあまりカネを持っていないな」では、面白くもなんともない。そんなことは今時、グーグルのストリートビューを使えば、すぐわかることだろう。

それに教団本部と関連団体本部の建物が「普通」(=豪華でない)だったとしても、カネを持っていないという証明にはならない。集めたカネを自己投資せず、極力対外活動に使っているかもしれないからだ。

売れっ子哲学者の提言としてはいささか陳腐では?

■体験に基づく常識的な統一教会論は、新鮮に映る

とはいえ、この寄稿が全体としてまともで、公平かつ多くの真実を含んでいることは間違いない。

  • 「信者はマインドコントロールされて、自ら進んで、喜んで献金している」
  • 「正体隠し伝道なので、気付いた時には信者になっていて断れない。いつの間にか熱心に活動している」
  • 「『拉致監禁』は教会側の宣伝でウソ。『保護説得』と言うのが正しい」
  • 「日本はサタンの国」
  • 「統一教会の教義は反日だから関連団体の保守思想は偽装だ」
  • 「植民地支配の罪を償うために日本人信者は韓国に貢がなければならない」
  • 「植民地支配の罪を償うため、韓国人と結婚した日本人女性信者はひたすら夫に尽くさなければならない」
  • 「統一教会の活動目的はカネ」
  • 「統一教会の手口は違法な正体隠し伝道や勧誘で、今もあなたを狙っている」
  • 「合同結婚式は人権侵害だ」
  • 「旧統一教会と勝共連合はKCIAが作った」
  • 「旧統一教会の全ての2世が親から理不尽な教育を強要されている」
  • 「世界日報は統一教会の機関紙」
  • 「関連団体はみな布教のためのダミー団体」
  • 「安倍晋三も安倍派も統一教会とズブズブだった」
  • 「選択的夫婦別姓制への反対は統一教会の教義に基づくもの」
  • 「米紙ワシントンタイムズに意見広告を載せた国会議員は統一教会とズブズブか関係あり」

等々、およそあり得ない、ナンセンスで荒唐無稽な主張が、世の中には当たり前のように流通している。

こんな状況では、仲正教授の体験に基づく常識的な統一教会論は、とても新鮮に映る。

上にずらりと並べた世に流布する言説は、全てウソである。

これらの1つでも信じている人は、そう信じる根拠について理性的に検証し、ファクトチェックをやったほうがいい。

「無知の知」という言葉もあるように、「自分が知っていると思っていることは本当に真実なのか?」と疑うことは、生きていく上で大事なことだ。

■「マインドコントロール論」を一刀両断し、元信者がこの言葉にすがる理由を分析

仲正教授は、立憲民主党や維新の会、共産党、霊感対策弁護士、教会批判の研究者、マスコミ、元信者らが耳にたこができるほど繰り返し語ってきた「マインドコントロール論」を一刀両断のもとに切り捨てる。

まず、「マインド・コントロール」について検討してみよう。これは極めて曖昧な言葉であり、心理学的に広く認知されているわけでもない。

「マインド・コントロールの恐怖」というようなタイトルの本や雑誌でも、言っていることは全くマチマチだ。

どういう認知科学的なメカニズムによってその状態が生じ、それを人為的に生じさせるためにはどういうテクニックが必要か、それはどれくらいの効果があり、どのくらい持続するのかについて、科学的に検証可能なデータに基づいてしっかり定義したものは皆無だ。

これは事実上、マインドコントロール論を疑似科学と断じたものとみてよいだろう。

さらっと書いているが、西田公昭氏(立正大学教授、日本脱カルト協会代表理事)のような「マインドコントロール論」の権威とされる研究者もいる中で、現役の国立大学教授がここまで言い切るのは簡単ではない。

しっかりこの分野の研究書や文献を読み、研究した上で書いているはずだ。

では、なぜ元信者は「自分はマインドコントロールされていた」と言うのだろうか。これについては、次のように分析する。

旧統一教会の場合、脱会者の中に、「私はそれを正しいことと信じてやっていました。今から振り返ると、マインド・コントロールされていたんです」という主旨の証言をする人がしばしばいるので、それが論拠になっていると思われる。

しかし、統一教会に限らず、長年所属していた団体と喧嘩別れした人であれば、以前の自分の行動を否定したくなるのは、ごく当然のことである。

統一教会の脱会者は「この先、普通の社会の中でやっていけるだろうか」という不安を抱えている。

脱会するように説得してくれた人、脱会した自分を受け入れてくれた人に対して、以前の自分と違うんだ、ということを強調したくなるのは当然だ。そこで、「マインド・コントロール」という使い勝手のいい言葉に頼りたくなるのも、分からないではない。

しかし元信者が証言したからといって、それで「マインド・コントロール」が科学的に定義されたことになるわけではない。

つまり、元信者はこの言葉を使うことで、「統一教会を信じていた当時は教団に操られて本当の自分を見失っていた。でも今はマインドコントロールが解けて本来の自分に戻った」と周囲にアピールできる、というのである。

■責任を回避し、責任を他者になすり付ける。元信者にとってこれほど「便利な道具」はない

仲正教授はそこまで言っていないが、「自分はマインドコントロールされていた」と思うことにより、「統一教会を信じてしまった自分は悪くない。自分は巧妙にだまされていただけで、悪いのはだました教団の方だ」と自己責任を回避することもできる。

(余談だが、いったんこのような思考回路が出来上がると、教団への憎しみが生まれ、「だまされた」ことへの怒り、恨み、憎悪がふつふつと湧き上がってくる。これが、元信者がやたら教団に対して攻撃的になる理由だと思われる)

思うに、マインドコントロール論とは、疑似科学であると同時に、責任回避の理論でもある。元信者にとって、これほど便利な道具はないだろう。

オウム真理教事件でも、一部の被告はこの理論を使って責任逃れを画策していた。この理論が有害なのは、自分の責任から目をそらさせ、責任を他者になすりつけるところにある。

オウム事件に関して言えば、地下鉄サリン事件に関わったのは自分が麻原教祖にマインドコントロールされていたからで、自分は悪くない。責任をとるべきは、自分を巧みに操った教祖の方だ、という理屈になる。

自己の無罪を主張すると同時に、全ての責任を他者に押し付ける。そこに見られるのは、責任転嫁という、自分をごまかし、自分を欺いて恥じない、極めて不誠実な態度である。

同じことが「自分はマインドコントロールされていた」と言う元信者にも当てはまるのではないだろうか。

入信するとき、信者として活動するとき、献金するときなど、その時々で自分がした決断や自分の意志は本来の自分のものではなく、本来的な自己はすっかり麻痺させられ、自己決定力も奪われ、他者に操られるままに入信し、信者として活動し、献金していた、なんてことがあり得るだろうか?

確かに非常に特殊なケースでは、そういうこともないとは言えないし、だからこそ元信者側が裁判で勝訴し、損害賠償を勝ち取ることもできたのだろう。

しかし、それはマインドコントロール理論として一般化できるようなものではない。

■「いつのまにかいなくなっている人が多かった」。マインドコントロールとは無縁だった集団生活

仲正教授の信者時代の生活実感も、マインドコントロールとは無縁、もしくはほとんど取るに足らないものだったようだ。

ドラマであるような、心を完全にからっぽにし、与えられたコマンドだけに反応するロボットのような存在に変換する、SF的なテクニックなどないので、いつのまにか脱会している人も少なくない。

私が入信していた当時の東大CARP(引用者注・原理研究会)でも、何の前触れもなくいなくなる人や、恋愛禁止の戒めを破っていなくなる人、親から説得されて心変わりした人などがしょっちゅういた。さほどすったもんだがあるわけではなく、いつのまにかいなくなっている方が多かった。

集団生活していてさえ、そうである。ある程度社会的地位のある人や自前でビジネスを始めて成功したような人だと、私のようにはっきりと脱会の意思を表明することなく、何となく距離を置き始め、幽霊信者化しているらしき人もいる。

さもありなんと思う。仲正教授自身、「はっきりと脱会の意思を表明」して実際にやめることができたわけだし、周りを見れば「いつのまにか脱会している人も少なくない」という状態だ。「親から説得されて心変わりした人」もいたという。

一人ひとりの信者にマインドコントロールが効いていたら、そんなことはあり得ないはずだ。

やめる人は何もしなくてもあっさりやめていく。これはどの宗教、どの集団にも当てはまることだと思う。

しかし、霊感対策弁護士や反対活動をしている連中は、「信者をやめさせるには保護説得しかない」と言って信者の親を説得したり、アドバイスしたりしてきた。その結果、数千人もの信者が拉致監禁されてしまった。

なぜそこまでしないと教団をやめないのか。その理由は、彼らがマインドコントロールされていたからではなく、彼ら自身が主体的な、強い意志を持っていたからだ。そうとしか考えられない。

教団側がいくら働きかけても、やめる人は放っておいてもやめる。一方、熱心になり、のめり込んでいく人もいる。両者を分けるのは、結局は本人の自由な意志と決断だろう。

そして、信仰に対して強固な信念を持った人をやめさせるのは至難の業だ。

中学生、高校生だって「自分は将来、○○になるんだ」と固く決意した場合、その夢や希望を諦めさせるのは簡単ではない。親が家業を継いでほしいと思っても、「自分はこれをやりたい」「自分は○○になりたい」と強い意志を持った子どもは、親元を飛び出してでも自分の信念を貫くものだ。

そこにマインドコントロールなる概念を持ち出す余地はない。統一教会だろうがエホバの証人だろうが同じことである。