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「旧統一教会との断絶決議」は憲法上も、国際人権規約から見ても「信教の自由」を侵害~富山市を提訴した信者の記者会見(動画・テキスト)

12月16日に「旧統一教会・関連団体との断絶決議」取消しを求めて旧統一教会信者が富山市を提訴したことは、テレビ、新聞等で全国一斉に報じられた。全国紙のみならず地方紙もみな報道した。

拙ブログでは、提訴について取り上げ、次に訴状を全文公開した。調べると記者会見の動画も公開されていた。

12月16日、富山市を提訴後の記者会見で声明を読み上げる安田慎(まこと)氏と徳永信一弁護士~公開動画より

以下にリンクを貼るとともに、画面下に表示される発言をテキストとして記録した。

■富山市を提訴した記者会見の動画および声明・発言のテキスト

www.youtube.com

1、富山市議会による「関係断絶」決議の取消を求める

徳永信一 お手元に訴状は配らしていただいたんですけれども、裁判は旧統一教会の信者さんである原告、「安田慎(まこと)さん(仮名)」が、富山市を相手に、富山市議会が9月28日に決議した統一教会および関係団体との関係を「一切断つ」「遮断する」という趣旨の決議(注・PDF)。

これの取消し、およびそのことによって生じた安田さんの損害について国賠請求、国家賠償請求法に基づいて慰謝料請求する、という裁判です。

2、公の機関が関係を断つことの問題点

徳永 しかし、富山市議会あるいは富山市、これは公の機関です。

そこにおいて特定の宗教団体の、あるいはそれの関係者であるということを理由に一切関係を持たないということは、やはり非常に憲法上、問題が大きい。

誰しも分かるように、憲法は信教の自由、あるいは思想・信条の自由、これを定めています。

【注記】

日本国憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」

同20条「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。(略)」

これに(富山市の)決議は直接的に抵触するのではないかと思われますし、今回の裁判の形は、安田さん本人から議会に対する、これ、憲法16条に規定されている請願権、これを行使するために、地方議会に対する請願には地方議員の紹介が必要です。

その形式要件を踏まえるために、面識ある議員さんに色々尋ねてお願いしたわけですけれども、皆さん、この決議を理由に拒まれました。

そこで、そういう状況なんだということをきちっと示したうえで、富山市議会の代表者である議長に対して紹介議員になってほしいというふうに依頼したんですけれども、これも議長として「決議を尊重したい」ということでお断りになりました。

そういう状況の中で、請願権というのは、参政権を補充する政治参加という、民主主義における根本的な権利ですので、これが侵害されたということで裁判を提起しているわけなんですけれども、そのことは同時に信教および思想・信条の自由、これ憲法19条、20条ですけれども、これを侵害する。

のみならず、宗教を理由に、あるいは信条を理由に、差別的な取り扱いをするということで、憲法14条1項が定める「法の下の平等」にも違反するということで、それを理由に、今回の(富山市の)決議、憲法違反の決議だということで、取消を求めています。

そして、併せて安田さんの受けた損害について300万(+裁判費用50万円)ということで慰謝料請求をしています。

3、原告 冒頭声明

安田慎 「統一教会とその関連団体の関係を絶つ」という決議が9月28日、富山市議会で決議されました。これはただの宗教差別です! 宗教を理由とした「村八分」でしかありません!

そして市議会はこれに異議を申し立てる陳情書を不採択にして、私が請願の願いを依頼しても、ことごとく断られてきました。

「いじめはよくない!」「差別は禁止だ!」。富山市も随分、いじめや差別問題に力を入れておられますが、でしたらこの決議は、それと一体どこが違うんでしょうか。

私たち家庭連合信者が、この富山市を神様の訪ねてこられるような素晴らしい市にするために、どれだけ政治に関心を持って献身的に活動してきたことか。信者の思いは、どれだけ、悔しさであふれていることでしょうか。

もとはと言えば、旧統一教会と「ずぶずぶ」だという報道によって批判にさらされた岸田総理の発言が発端なのでしょうが、どうして、そういとも簡単に「関係を断絶する」という発言が、一国の総理である方から出てくるのか?

私は驚きます。理解に苦しむ。いや、絶対に理解できません! したくもありません! 

いや、旧統一教会が「反社」だからだよ、と言う方が大勢います。では、その定義は、いつ、日本国によって家庭連合が「反社団体」と認定されたのでしょうか?

そうでないとしたら、これはただの「侮辱」です! 悪口です! もう、無茶苦茶です!

家庭連合を少しでも擁護しようものなら、あらゆる方面から袋だたきにあうという有様です。家庭連合の説明、反論、主張などは筋金入りの反対コメンテーターによって瞬殺されており、それで終わりだなど、意見の中立性のかけらも見られません!

今も毎日のように旧統一教会の問題、「被害者救済」という家庭連合を全否定する言葉が飛び交っています。その報道によって家族同然の食口(シック)、シックというのは信者のことを言います。シックたち、そして2世の子供たちが、どれほど苦しみ悩んでいるか。

私は本当に胸が痛いです。

2世の方々は、自分の誕生のルーツを否定され、2世信者は「被害者」だと言われ、今まで大事に、誇りに思ってきた信仰が、「詐欺」「インチキ宗教」などと言われ、本当に傷ついております! このことが2世を苦しめているのです!

そんな中でも、せめてこの愛する故郷、富山市の議会の場では、私たち信者も(含めて)、すべての市民に対して中立、公平で、平等であってほしいです。市政に参加し、意見する場を取り戻したい。このことこそが私の願いです。

「今、このご時世、裁判を起こし、記者会見するなどリスクがあまりにも大きいよ」「何をされるかわからないから思い直すようにしたほうがいい」、忠告してくれた教会の友人たちも、何人もいました。

でも、そのリスクを越えるだけの意義が、この提訴にはあると思っております。

この場に立つことを理解してくれた愛する妻、そして愛する子供たちには本当に感謝しかありません。

またこんな私の思いをすべて受け止めてくださり、とても困難な道のりを、共に行こうと言ってくださった徳永先生、本当にありがとうございます。心から感謝しております。

以上です。ありがとうございました。

4、報道のあり方への思い

安田 でも、そういう問題を火をつけた、火に油を注いだような形になった、私は、報道のあり方というものは、やはり、これは問題ではないか、と…。

これはごめんなさい。皆さんの前でそういうことを言うのは、ちょっと本当に申し訳ないですけど、あまりにもひどくないですか、と。

どれだけの信者の家庭が傷ついて、そのことゆえに危害を及ぼされているか…。心の部分でもそうですし、実際に会社からいろいろ言われたりなど…、皆さん、あるんですよ。

だから、それに対して私自身は、もう我慢できないんです。

それは私が洗脳されている、マインドコントロールされてるからでしょう、と思われるかもしれないけど、まったく、私の視点から見たら、皆さんの考えている教会と、全然、風景が違うんですよ。

全く風景が違います。私たちのこの見方、私たちの事情というものに対して寄り添って見ておられますか?

5、決議の影響 弁護士の解説

徳永 (注・おそらく記者から「決議は個人の信仰の自由を否定したものではない」という質問が出たと思われる。以下はその質問への回答だろう)その結果、結局、誰もが決議を尊重して、請願の紹介議員になることを引き受けてもらえないという事態が生じているわけです。

「個人の信仰者を排除するものではないんだ」という注釈があるかもわかりませんけれども、実際、その決議によって何が生じているのか、あるいは何が生じるのか、ということに対する想像力や配慮があれば、今言ったように、個人も間違いなく決議によって信仰を否定する扱いがなされ、その結果、政治参加ができない。

6、親しくしてきた議員の態度の豹変

安田 本当に今までの親しくお付き合いしてまいりました議員の先生方々は、やはりあの決議によって…もともと岸田総理の発言によって、非常にやっぱり引かれてしまった。

関係を持つこと自体が「ちょっとごめん」「今、もうちょっと無理」ということを、やっぱりおっしゃられるんですね。

それに対しての不利益というものは、これは私たちにありますよね。

じゃあ、なんで今まで頑張って支援してきました、今までお付き合いしてきました、今までいろいろ力になろうと思って頑張ってきました。

でもなんで、なんでなんですか? いや、だって決議されたもん。今、それが結局できない状態にあるから、ごめん。仕方ないよね、って。

だから私はこの決議を取り下げてほしいっていうふうにお願いしているわけです。ただ、それだけの話です。単純な話です。それだけしていただければ本当にうれしい。

7、信教の自由は集団の権利でもある

徳永 それからね。どうも記者(の皆さん)は、そうでないかも分からないけれども、信仰の自由は「個人の権利だ」「個人の自由なんだ」という理解があるんじゃないかなと思っているんですけど。

これ、訴状の中でも、わざわざ国際人権規約を出して説明しているんだけれども、要は「信仰の自由」「宗教の自由」というのは、集団を作って、公に自分たちの信仰する価値を実現するために活動することが宗教的自由、信仰の自由なんだ、という定義を踏まえているんですよね。

だから、これは僕らの世代は、マルクス主義を一生懸命、読んでいましたからね。

『ゴータ綱領批判』というマルクスの著作の中に、共産党の戦略として、宗教の問題を取り上げて、「宗教というのは個人の領域に閉じ込めなければいけないんだ」とか言って、共産党の綱領の中に入れていって、それが入ってないと「これはだめだ」と言って、やっているようなものを読んでいたんでね。

それは1つの宗教に対する考え方で、世界人権宣言をもとにした国際人権規約が、わざわざ「集団で」とか「互いに」(注・訴状では「他の者と共同して」と記載)とか、「公に活動する自由があるんだ」と書いているのは、これは間違いなくマルクス主義に対する意識をして、それを人権規約の中に書き込んだっていう部分があるんですよね。

【注記】

国際人権規約(自由権規約)第18条1項

「すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む

だから、そこから言うと、教団、あるいは関連団体との関係を絶つ、ということは、やっぱり個人の信仰の自由や政治活動の自由といったものも奪うことになるんだ、ということに、もうちょっと思いを至らしてほしいな、というふうに思っています。

8、テレビ報道に対する批判と陳情

安田 もう、もちきりです。その話で。信徒たちが集まると、「これ何とかならないの?」。これ、ごめんなさい。もう本当にテレビを見るの…もう、もう、PTSDになるって…いうような感じなんですよ、皆さん。

それくらい(テレビなどを)見ると胸が痛いんです。「あ、またやってる」「また、この話…」。これって、要するに自分たちを全部、否定されているわけですよ。

だからそれに対して、なんとかこういうおかしいことって、何とかならないものか、ということを、いっつも話し合っております。

だから陳情を出された方は、私の知っている人で、ああ、ほんとに頑張っていらっしゃるな。でも陳情では正直言って、弱いのではないかというふうに私は思って、いつも頭を悩ましています。

9、「請願」「請願権」とは

徳永 「請願」というのは憲法16条で保障された権利。そして、その権利保障を受けて「請願法」という法律があるわけです。

【注記】

日本国憲法第16条

「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」

そして請願法が、請願の対象となる機関だとか、議員も請願の対象になるとかそういうことを書いてあって、しかも、その請願については、「必ず」受理して「誠実」に処理すべきという義務規定があるんですよね。

もちろん、義務規定はあるけれども、その結果、「不採択」という結論になったり、それは議会の自由裁量なんですけれども、しかしながら、それをもって真剣に検討してもらって、対応してもらえるという制度的な裏付けのある「請願」と、そういう裏付けの一切ない「陳情」というのは、これは、法的な性質はまったく異なるという観点でいます。

10、決議に対する深刻な思い

安田 皆さんだったらどうですか? 今まで応援してきた議員さんたちから、総スカンですよ。交流を持てないんですから。

それって、いい関係であった議員さんたちが、やはり、何かの圧力を受けて、その方たちが私たちに対してアプローチできない、こちらのアプローチも通じないっていう、実際、そういう形になっているわけですよね。

だからそれに対しては、「こんなことって、こんな理不尽なことってある?」。それはそう思うでしょう。

こんなに頑張ってきて、こんなにこの議員のために、こんなに結局、この富山市のためにやってきたのに、「何、この言い方」って。「何、この扱い」って…。

そういうような思いが、なんとかこれ自体(決議)を、取り下げないと(取り消してもらわないと)、この決議が自然になくなっていくことはあり得ないと思いますので、何とかしないとっていうことを、私はもう、もうずっと…。

信徒たち、みんなそうですよ。皆さんが思っていることよりも、深刻です、私たちは。

11、知事、市長の姿勢について

記者Q 藤井市長の(関係断絶の)宣言は、激しく動揺して怒りを覚えたと訴状の中にあるんですが、一方で、新田知事(注・新田八朗富山県知事)の場合ですと、旧統一教会と関係を絶つと明言されてないんですね。どうお考えですか?

安田 私自身は、当然、そうあるべきだと思っています。新田知事の姿勢は私は非常に評価しております。

やはり知事というのは富山県の父親、親みたいな立場です。困った人がいれば、何とかしてやろう、と。求めている人がいたら、何とか与えてやろう、というふうに考えるのが、この県民のために汗を流すのが、知事でしょう?

そう考えると、富山市に住んでいて、富山市でいろんな訴えを求める場合があるわけですよね。

でもその時に藤井市長は「いや、もう一切、関係は持たないから」。

でも、考えてみてください。私だって市に税金を払ってますよ。行政サービスを受ける権利はありますよ。でも、そんなこと言えます? そんなケチな話は本当にできないんですけれども。

ただ、やはり「未来永劫、関係を絶つとなぜ言わないのか!」と嚙みついてこられる人がいるじゃないですか。だから「そこまで何で言われないといけないんだろう」というふうに、私は感じるところがあります。。。

■記者会見の動画を見ての感想

信者である安田氏の声明は、「悔しい!」という気持ち、やり場のない怒り、「誰かが行動を起こさなければ状況は変わらない。ならば自分が…」という使命感などがないまぜになった率直なもので、胸を打たれた。

また、記者の質問に対する原告代理人・徳永信一弁護士の答えは、実に明快で納得のいくものだった。

特に、信教の自由についての解説は、一般の我々が気付かない重要なポイントをつくもので強い印象を残した。

我々は日本国憲法が保障する「信教の自由」を「個人の信教の自由」というように理解しがちだが、それは誤りだという。

「信教の自由」を個人的なものと解し、「個人が何を信じようが信じまいが自由」と考える人が多いが、そういう人は知らず知らずのうちにマルクス主義の宗教観に影響されているという。

ある意味、日本社会がいつの間にかマルクス主義的宗教観に染まってしまったとも言える。

マルクス主義は、宗教を個人の領域に押し込め、公の空間から宗教を一掃しようとした。それが旧ソ連、北朝鮮、中国、カンボジアなどで極端な宗教迫害、宗教者・信仰者の処刑や強制収容所送り、教会の破壊などの悲劇をもたらした。

こうした反宗教的な動きへの対抗として、世界人権宣言をもとにした国際人権規約(自由権規約。B規約ともいう)は、「信教の自由」を個人のみならず、個人が集団を作って公に活動する自由をも含むものだ、とわざわざ書き込んだというのである(第18条1項)。

「個人が何かを信じること」にとどまらず、「個人がその信条をもとに組織を作って公に活動すること」もきちんと認めなければ、「信教の自由」(および「思想・信条の自由」)は保障されたことにならないという。

考えてみれば当たり前のことだが、このような考え方は日本ではまだ常識となっていない。

だから人は、政教分離を持ち出して「宗教団体が政治活動をするのはおかしい。統一教会は政治に首を突っ込んで政党や国の政策を歪めている」などと平気で言う。

また、全国霊感商法対策弁護士連絡会の弁護士や一部の宗教社会学者から「旧統一教会が解散となっても、免税資格がなくなるだけで、信教の自由は保障され、宗教活動はできる」と聞かされると、あっさり納得する人も多い。

しかし、宗教団体に政治活動の自由があることは、左傾化した憲法学の世界でも多数説である。

「解散しても信教の自由は保障され、宗教活動はできる」については、国際人権規約(自由権規約)に従うならば、明確に誤りである。

確かに解散しても個人が宗教団体を作ることはできる。しかし、法人格を剝奪されれば、他の宗教法人なら当然できることができなくなる。

営利団体ではないのに税金を払わなければいけないというだけでも、おそらく相当な負担だろう。

まだ解散しておらず、解散命令の請求すらなされていないのに、教団とその関連団体は政治との接触を一切拒否され、公的機関だけでなく、民間組織との接触さえ拒否される被害が発生しているという。

(関連団体の機関誌の発送を民間業者から拒否され、日本郵政に変更を余儀なくされたとネット上で読んだ)

もし解散となれば、表立った宗教活動は大幅に制約される可能性が高い。マルクス主義が言うように、「宗教が個人の領域に押し込められ、公の空間から排除された状態」に近づくわけだ。

これでは「信教の自由」が保障されているとはとても言えない。

確かに、宗教法人解散となっても「個人の内面の信教の自由」は奪われない。しかし「個人が公に活動すること」「組織を作って公に活動すること」は困難になるのだから、解散は「信教の自由」を大幅に侵害することになる。

要するに、宗教法人解散とは、刑罰を科されるようなものだ。

刑務所に入った人は移動の自由を奪われ、自己実現のためやりたいことがあってもできなくなる。

同じように、解散させられた宗教団体は、団体としても、そこに属する個人としても、もはや自由な宗教活動はできない。

そもそも解散となれば、法人名義で所有する土地、不動産、金融資産は原則として没収され、それまで築き上げたものが事実上、無に帰するのだ。

例えば、法人名義の教会堂や教団施設(信者の献金で建てるのが普通だろう)は本部、支部を含めて強制没収されるが、こうした事実に触れた報道はほとんど見かけない。

宗教法人にとって解散とは、法人財産の没収に加え、「信教の自由」の侵害を法的に宣告されることであり、「免税資格がなくなるだけで、信教の自由は保障され、宗教活動はできる」は噓っぱちなのだ。

霊感対策弁護士や一部の宗教社会学者らの発言は、彼らが今もマルクス主義の強い影響下にあることを物語っている。