- 1,同性愛者をやめたい人をケアし、望みをかなえてきた牧師さん
- 2,信仰の力を借りずに同性愛者をやめた人たち
- 3,異性愛が標準となったのは、「進化上の当然の理由」と(それに基づく)文化的、社会的要因による
- 4,文化的、社会的圧力を放棄すれば、同性愛者は増えるに決まってる
1,同性愛者をやめたい人をケアし、望みをかなえてきた牧師さん
産経ニュースが面白いインタビューを載せた。
有料購読しないと全文は読めないが、さわりだけも全体の雰囲気はわかるだろう。
◆母の死、歌舞伎町でゲイバー経営の過去…今はLGBT法制反対
欧米で同性婚推進運動が高まり、日本の自治体でも同性パートナーシップやLGBT(性的マイノリティー)条例制定が進む中、同性愛者をやめたいと希望する人たちもおり、それを支援するカウンセリング活動も世界中に存在する。
韓国・ソウルで活動に取り組むキリスト教の牧師、李ヨナ氏は自分自身もかつて同性愛者で、韓国や日本の東京・歌舞伎町などで「ゲイバー」を経営していたこともあったが、今は同性愛者の苦悩に向き合う。
なぜ支援活動を続けるのか話を聞いた。
――同性愛者であった過去、日本で店を経営するため偽装結婚をした犯罪歴まで正直に明かし、同性愛者のカウンセリングをしている。なぜそこまでするのか
「過去は過去でしょ。今の私は生まれ変わった私。昔の証(あかし)を隠しても私の人生は変わらない。今はそういうものから解放されているし、何より牧師は人を憐れみ、希望を与えなければならない」
同性愛は変えられる。決して先天的、固定的なものではない。変われることは、この李ヨナ牧師(1948年生まれ)の存在それ自体が証明している。
「同性愛は生まれつきだ」という主張は、この1例だけで反証されており、もはや通用しない。
――どれくらいの同性愛者をカウンセリングしたか
「1500人以上。その多くが教会に通うクリスチャンで、『私は同性愛者ですが、どうしたらいいか』。『変わりたい』と言えば、それは個人的な秘密だから、ばれないようにして、カウンセリングを長い間、例えば週1回ペースで続ける。何年かかるか分からない。ただ、うちの教会には『ばれても、同性愛をやめなければならない』と決心して来る人が多い。そういう人は5年か6年くらいでほとんどが変わる。昔の生活はやめ、教会中心に生活するようになる。酒も飲まないし、遊びにも行かないし、両親もびっくりする」
実際には1例どころか相当多くの人が同性愛から転向している。
李氏は韓国のキリスト教会の牧師としてカウンセリング活動をしているが、この種のカウンセリング活動はアメリカの保守系キリスト教会でも盛んだ。
信仰の力を借りて同性愛から離脱した人は相当な数に上るはずだ。
信仰の力を借りずに、同性愛から転向した人もいる。
2,信仰の力を借りずに同性愛者をやめた人たち
たとえば、『別冊日経サイエンス 性とジェンダー』(2018年8月)所収のR・エプスタイン(カリフォルニア大学サンディエゴ校、ケンブリッジ行動研究センター)著「変化するセクシャリティ」が紹介したマット・エイブリーがそうだ。
マット・エイブリーは17歳から24歳までゲイとして過ごしたが、24歳の時、パートナーが突然、ゲイは自分の「真実の姿ではなかった」と言い出し、混乱したマットは彼との性的関係を解消した。
元パートナーが女性と付き合い始めたのを見た彼は、動揺しつつ好奇心をそそられ、「同性愛は僕にとっても本当の姿ではないのだろうと思い至った」という。
その後、マットは女の子とデートし、数年が過ぎた頃、彼のデートの相手は女性だけになった。
R・エプスタインはこう書いている。
「(マットは)治療も受けず、宗教団体の影響を受けたわけでもないのに、転向を果たしたのだ。ただ、ある問題を解決するのに、友人たちがいわば“父親がわり”になって支えてくれたという。マットが自分自身の男らしさを快く感じられるようになるよう、助力してくれたのだ」
つまり、治療や信仰に頼らずとも、同性愛からの離脱は可能だということだ。
彼らが同性愛から離脱できたという事実は、同性愛が決して生まれつきでも、先天的でもないことを意味する。
但し、ここがこの問題の難しいところだが、R・エプスタインは「同性愛は先天的ではない」と主張しているわけではない。
彼によれば、先天的と考えられる人もいる。
「ほとんどの人が異性を好む傾向が強いのは、進化上の当然の理由による。そうした関係によって子どもが生まれ、人類が存続していくからだ。
しかし、少数の人々(おそらく人口の3~7%)は同性のみに惹かれ、その中間に位置する人々も少なくない。
こうした傾向分布を私は『性的指向連続体』と呼んでいる。
遺伝子によってこの連続体の一端に位置づけられた人は、男女を問わず、他端の同性愛者になることはまずありえない。
同様に、遺伝子によって同性愛者側の端に位置づけられた人は、ストレート(同性愛でない)にはまずなりえない…
ところが両極の間のどこかに位置する場合は、環境の影響のほうが大きくなる。若いうちは特にそうだ。
社会はその人がストレートとして生活することを強く求めるため、圧倒的多数の人が異性愛側へと移行することになるだろう」
同じ同性愛者でも、変われる人もいれば、変われない人もいるということだ。
R・エプスタインの主張を自分なりにまとめれば、
その人の性的指向が最終的にどこに行き着くかは、遺伝子と環境によって決まる。特に若いうちは環境要因の影響が大きい。
ということになる。
3,異性愛が標準となったのは、「進化上の当然の理由」と(それに基づく)文化的、社会的要因による
人類社会が異性愛を標準と見なし、長い間、同性愛をタブー視してきたのは、「進化上の当然の理由」と、それに基づいた文化的、社会的要因(異性愛の方が好ましい、異性愛であるべきだ)の働きによるものだ。
この文化的、社会的要因があるからこそ、性的指向が揺らいでいる人たちが、大多数の異性愛側へシフトし、そこに落ち着くことになる。
これは人類社会が知らず知らずのうちに選択し、継承してきた知恵であり、文化、あるいは伝統と呼んでもいいものだ。
それは決して恣意的な選択ではない。その選択は「進化上の当然の理由」という生物学的な要因に基づいているからだ。
早い話が、同性愛が主流の社会になってしまえば、人類は存続できない。こんなことは中学生でも分かる話だろう。
同性愛をおおっぴらに公認するような社会は、この知恵を放棄し、長い間継承してきた文化、伝統を投げ捨てたに等しい。
4,文化的、社会的圧力を放棄すれば、同性愛者は増えるに決まってる
これまで文化的、社会的圧力によって異性愛側に落ち着いてきた人たちは、そうした圧力がなくなれば、同性愛側にシフトするかもしれない。
同性婚が制度化され、「同性婚も異性婚も同じ婚姻だ」という社会になれば、「進化上の当然の理由」は後退し、個人の意志、もしくは「同性愛になってもいいんだよ」という従来とは逆の社会的圧力によって、同性愛に落ち着く人が増えるに決まっている。
それをよしとするのか、それともよくないと考えるのか?
これは文化的、社会的な要因や人類が受けついできた伝統をどう捉えるかという問題だ。
「よくない」と考え、同性婚に反対するのは、差別とは何の関係もない。人類社会や日本社会はどうあるべきか、文化的、社会的要因あるいは文化、伝統をどう考えるかという思想の問題である。
積極的に同性婚を推奨するような人たち、性的指向は本人の自由だ(同性愛も異性愛も、どちらを選ぼうと本人の勝手)と言う人たちは、知ってか知らずか、文化や伝統の破壊に手を貸していることになる。
文化、伝統の破壊により社会は変わる。それをよくないと考える人は、「社会が変わってしまうから同性婚には反対だ」と言うだろう。
日本でも欧米でもそうだが、同性婚に反対するのが主に「保守派」なのは、ある意味当然である。
文化、伝統は尊重すべきもので、安易に変えてはならず、変えるときは慎重に吟味しなければならないと考えるのが保守派だからである。
岸田首相は「社会が変わってしまう」と答弁したが、それが岸田首相本人の考えだとすれば、岸田首相はまぎれもなく保守派ということになる。