更迭された荒井元首相秘書官は、同性婚や同性愛に嫌悪感を表明し、「見るのも嫌」と言ったと報じられている。
特にオフレコ破りで報じた毎日新聞以下、マスコミはこぞって批判して「とんでもないこと」のように報じている。
彼らの認識は「差別発言で許されないとするもの」。だが、嫌悪感の表明が差別発言になるのか?
これはオフレコでの発言なのだ。飲み屋の雑談、喫茶店での茶飲み話と同工異曲だろう。
- 「~が嫌い」
- 「~の顔なんか見たくもない」
- 「あんなやつ死ねばいい」
- 「さっさと消えろ(=退職しろ、左遷されていなくなれ)」
こんな言葉が飛び交っているのが日常のプライベート空間だ。公の場では決して言わないような言葉も平気で使う。
公開されないことが前提だから言えるわけだが、荒井元首相秘書官も非公開の気安さから本音を漏らしたに過ぎない。
それを差別発言だと槍玉に挙げて糾弾するのは、喫茶店の茶飲み話で出た「あんなやつ、顔も見たくない」といった言葉を暴露して、大々的に攻撃するのと同じ。実に卑劣な行為だ。
オフレコ破りをするなら、そもそもオフレコの懇談などやらなければいい。
オフレコはルールだ。ルールを破っても公益性があるなどと正当化しているようだが、そんな言い分を認めたら人によって何を公益と考えるかは異なるから収拾がつかなくなる。
混乱を避けるために「何があっても公開しない」と決めたのがオフレコのルールなのだ。ルールを守れない毎日新聞は、新聞社の看板を下ろすべきだ。
それに、「(同性愛者は)見るのも嫌」という発言をマスコミはしきりに「差別発言」と呼んで批判するが、その同じマスコミが「嫌いな女優ランキング」や「嫌いな男トップ10」を活字にしても、どこも批判しないのはなぜなのか?
下のリストは文春オンラインからとったもの。
荒井発言が差別なら、文春オンラインの「嫌いな女優ランキング」(2020年)でワースト1位~3位になった泉ピン子、広瀬すず、石原さとみ、沢尻エリカは、文春オンラインという媒体によってもろに差別されたことになる。
この場合、個人名を特定して嫌悪感を表明している。しかも公表されたランキングである。
文春オンラインは堂々と公の場で差別を行ったことになり、荒井発言などよりはるかにタチが悪い。
「嫌いな女優ワースト3」で名指しされた女優さんは、さぞ気分が悪いことだろう。
文藝春秋のような日本を代表する出版社のメディアから「お前は嫌いだ!」と宣告されたのだから。
しかも、マスコミがこんな企画をやってもどこも批判しない。それどころか、似たようなことをやっているメディアがいくつもある。
マスコミは普段からこんなことをやっておきながら、荒井氏の発言はオフレコにもかかわらず、わざわざ表に出して叩いている。
喫茶店の茶飲み話、飲み屋の放言は、武士の情けで秘してやるのが記者たるものの信義ではないのか。
卑劣な毎日新聞。さっさと潰れてよし!