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百地章氏の極めて真っ当な正論「同性婚訴訟、違憲判決への疑問」~産経3月20日

産経新聞3月20日の正論は憲法学者、百地章氏(日大名誉教授)の「同性婚訴訟、違憲判決への疑問」だった。

論旨明快で説得力があり、同性婚に関する憲法解釈としては申し分ない。「現行憲法の下でも同性婚の法制化が認められる」とか、「同性婚を認めないのは違憲だ」とかの主張は、牽強付会としか言いようがない。

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現在、同性婚訴訟で3つの判決が出ている。

同性のカップル13組26人が札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の各地裁に提訴した「同性婚訴訟」―。大阪地裁は合憲だったが、札幌地裁は同性婚を認めない民法を憲法14条(法の下の平等)違反とし(令和3年3月17日)、東京地裁も民法が「個人の尊厳」を定めた憲法24条2項に違反する状態にあるとした(4年11月30日)。

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百地教授は、同性婚を認めない現行制度を「違憲状態」とした東京地裁判決を次のように批判する。

東京地裁判決は「憲法24条は同性婚や同性婚類似の制度を禁止していない。にもかかわらずこのような制度が存在しないことは、個人の尊厳に照らして合理的理由がなく憲法24条2項に反する違憲状態にある」とした。

判決には様々な疑問がある。

1つは判決が「憲法24条にいう『婚姻』とは異性間の婚姻を指し、同性間の婚姻を含まない」と明言しておきながら、「憲法24条は同性婚を禁止していない」としている点である。

憲法は法規範だから、「婚姻が両性の合意に基づいて成立する」というのは「婚姻が両性の合意に基づいて成立しなければならない」、故に「同性婚は認められない」ことを意味している。判決は矛盾しており、これは詭弁ではないか。

もう1つは「婚姻及び家族に関する事項は法律で定める」とした憲法24条2項の解釈方法である。判決は、2項にいう「個人の尊厳」を強調し、同性婚などの法制度が存在しないのは「個人の尊厳に照らして合理的な理由があるとはいえない」とした。

しかし、これも疑問だ。

というのは憲法24条2項は、同条1項が「異性婚」を定めていることを前提に、その範囲内で国会に家族に関する事項を法制化するよう求めたものであり、その際の立法裁量の限界として挙げているのが「個人の尊厳」だからである。

つまりここにいう「個人の尊厳」の保障は無条件でなく、「異性婚制度」のもとでの保障にとどまる。それ故、「同性婚」を認めなくても問題はないはずだ。

極めて真っ当な正論で、論旨は明快だ。

「憲法24条は同性婚や同性婚類似の制度を禁止していない」という東京地裁判決は、百地氏の言う通り詭弁だろう。全く判決文を書いた裁判官の頭の中はどうなっているのか。

「同性婚類似の制度を禁止していない」は分からないではないが、理解できるのはそこまでだ。同性婚を認めない現行民法が「違憲状態」と言うに及んでは、何をとち狂ったのかと憤りを禁じ得ない。

憲法24条は、

  1. 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
  2. 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

と定めている。

2項に出てくる「個人の尊厳」は、百地教授のように解釈するのが正しい。そのことは日本国憲法の英文を見ればよりはっきりする。

2項は、「配偶者の選択」「財産権」「相続」「住居の選定」「離婚」「婚姻及び家族に関する他の事項」に関しては……と読むべきところである。

つまり、婚姻に関する他の事項について法律を作るときは、「個人の尊厳」に立脚しなければならないと言っているにすぎない。

婚姻そのものについては、既に1項で異性婚でなければダメと明確に規定しているのだ。