- 1,「強制はだめ」と発言した山口広弁護士は、自分が担当した裁判につき、原告が脱会したプロセスに強制性がなかったかどうか調査・公表すべき
- 2,信者をだまして誘い出し、親族がよってたかって拉致し、監禁して棄教を迫る。過去30~40年、「正体隠し」の極致を行ってきた反統一教会勢力
- 3,「強制的な脱会説得」は絶対悪だが、「正体隠し伝道」は一定の条件を満たす限り何の問題もない
- 4,「統一教会をやめるのは困難」は真っ赤なウソ
- 5,研究者でありながら「統一教会を利する情報」は伏せるのか? 櫻井義秀氏の党派性と非学問的態度を批判~魚谷氏のコメント
1,「強制はだめ」と発言した山口広弁護士は、自分が担当した裁判につき、原告が脱会したプロセスに強制性がなかったかどうか調査・公表すべき
最近は山口広弁護士も「強制はだめ」と殊勝なことを言うようになった。
以下は、2022年7月22日付の記事でのインタビュアーと山口広弁護士のやり取りだ。
ーー教会側は、信者が牧師や改宗業者らによる拉致監禁・脱会強要の人権侵害に遭ってきたと主張し、「12年5ヶ月間監禁された当法人信者が加害者側を提訴した事件で同信者は、東京地裁、高裁、最高裁と全面勝訴し、数千万円もの損害賠償を命ずる判決は連絡会弁護士らの主張を退けました」と説明しています。
山口 確かに2014年に地裁判決が出て、その後最高裁で確定しています。
マインドコントロールされた信者を、家族が家庭に取り戻すのは本当に難しい。よかれと思ってやる家族と、冷静に話し合って、本人も納得して、というプロセスは大変だけど、強制はだめ。入会して活動している本人の気持ちをよく聞いて、対応することが必要です。
「強制はだめ」と言うようになったのは進歩だが、今更何を言ってるんだというのが正直なところだ。
山口広氏が本気でそう思うのならば、信者を脱会させるため、過去30年、40年にわたって強制的手法がとられてきたことについてどう考えるのか?
相も変わらず「マインドコントロールされた信者」などと疑似科学を盲信しているところを見ると、この言葉を手放しでほめるわけにはいかない。
山口氏は、これまで頻発してきた「監禁を伴う強制的な脱会説得」の実態を進んで白日の下にさらし、「強制的な脱会説得」に関わった者たちを自ら先頭に立って厳しく追及すべきだろう。
実態を知りながら止めなかった、あるいは見て見ぬ振りをした弁護士たちの“罪”も厳しく問わねばならないはずだ。
そして当然、その前に自己批判が必要だ。
- 自分が過去に関わった裁判の原告たちの何人が強制的手法によって脱会したのか。
- 監禁された、または身体的自由を奪われた信者に対し、いつ・どこで・誰が強制的な脱会説得を行ったのか。
「強制はだめ」と発言した当人が、「強制的な脱会説得」によって脱会した元信者の代理人として、賃金請求訴訟やら婚姻無効訴訟やら損害賠償請求訴訟やらに携わっていたとしたら、しゃれにならない。
自分た担当した裁判の1つ1つについて、原告が脱会するプロセスに強制性がなかったかどうか、きちんと調査して公表すべきである。
「強制はだめ」と言った山口広弁護士はなぜそれをやらないのか? なぜ何事もなかったかのような顔をして、ひたすら統一教会の追及に明け暮れているのか? 実に不誠実極まりない。
「強制はだめ」発言は、12年5カ月監禁された後藤徹氏の裁判で敗訴し、判決で「監禁を伴う強制的な脱会説得」が違法とされ、下手をすると自分たちも批判の対象になるかもしれないと恐れてのアリバイ作り、と言われても仕方あるまい。
2,信者をだまして誘い出し、親族がよってたかって拉致し、監禁して棄教を迫る。過去30~40年、「正体隠し」の極致を行ってきた反統一教会勢力
「強制的な脱会説得」には正当化の余地が一切ない。
「監禁」という言葉を使おうと使うまいと、身体的自由を奪い、特定の部屋や家から逃げられないようにして行う脱会説得は、そもそも説得の名に値しない。
監禁は刑法220条違反であると同時に深刻な人権侵害である。これは「軟禁」であっても同じことだ。
監禁や軟禁に至る前に、拉致が行われていれば(大抵の場合、行われていると推測される)、その罪はさらに重大だ。
信者を拉致する際は、信者をだまして実家に来させたり、食事に誘ったりするケースが多いようだ。
これは「正体隠し」の極致である。家族みんなで楽しく食事しようと言って信者を誘い出し、油断した隙をついて親族がよってたかって襲いかかり、車に押し込めて連れ去る、というような手法がとられてきた。(連載54の櫻井義秀氏巻末資料10番の元信者の陳述書)
こんなことを目をつぶって見逃してきた連中が、統一教会の伝道方法は「正体隠しだから違法」などと言っているのだ。
「いったいどの口がそれを言うか!」と言いたい。
厚顔無恥もここまで来ると閻魔大王も真っ青、「上には上がいるものだ」と悪魔サタンも舌を巻くのではないか。
3,「強制的な脱会説得」は絶対悪だが、「正体隠し伝道」は一定の条件を満たす限り何の問題もない
「強制的な脱会説得」は絶対悪だが、「正体隠し伝道」は一定の条件を満たす限り、何の問題もない。
「強制的な脱会説得」には刑法220条違反の疑いがつきまとう。家族であっても違法という国会答弁も出ている。
全国弁連の郷路征記弁護士は「違法性は阻却される」と言っているが、時代錯誤も甚だしい。
これに対し、「正体隠し伝道」には抵触する刑法が存在しない。民事的に違法になる場合があるという程度のことであり、刑法220条違反と隣り合わせの「強制的な脱会説得」とは比較の対象にならないのだ。
反統一教会勢力が「正体隠し伝道は違法」と言うのなら、彼らが手を染めてきた、あるいは目をつぶって見逃してきた「強制的な脱会説得」の犯罪性はどうなのか。その罪を問うべきは、後者に決まっているではないか。
「正体隠し伝道」に問題があるとすれば、当事者が知らないうちに信者になっていた、というようなケースである。これは道徳的に問題があり、絶対にやってはいけないことだ。
だが、入信前に宗教法人名、教義その他が明らかにされている限り、それより前の段階で「正体」を明かしていなくても問題はない。入信の強制は不可で、そんなことは当たり前である。
「正体隠し」であろうと、布教プロセスのどの瞬間を切り取っても「監禁」も「身体的自由の拘束・制限」も「軟禁」も存在しないのだから、批判されるいわれはないのである。
4,「統一教会をやめるのは困難」は真っ赤なウソ
信者予備軍であれ信者であれ、途中でやめようと思えばいつでもやめられる。
そのことは元信者の仲正昌樹・金沢大学教授が証言している通りだ。ここが「監禁を伴う強制的な脱会説得」との決定的な違いである。
監禁された、あるいは自由を制限された信者は、脱会を表明し、本当にやめたと証明しない限り、自由になることができない。
「本当にやめたと証明する」とは、酒を飲む、男女の関係を持つ、教祖文鮮明への憎悪を言葉にする、「青春を返せ」裁判の原告になる、損害賠償請求訴訟などの原告になる、統一教会撲滅運動に進んで協力するなど、教団とキッパリ縁を切ったことを形で示すことを指す。
これをやって初めて自由の身になれるというわけだ。
テレビやメディアなどに登場する元信者たちが、やたらと攻撃的で教団批判一辺倒の態度を取る背景には、一定程度、こうした事情が絡んでいると思われる。
5,研究者でありながら「統一教会を利する情報」は伏せるのか? 櫻井義秀氏の党派性と非学問的態度を批判~魚谷氏のコメント
ここまでのまとめとして、連載53の末尾に記された魚谷氏のコメントを引用しておこう。
以上の証言から、櫻井氏の調査対象の中には、自らが文字通りの「監禁」を伴う脱会説得によって教会を離れたことを裁判の場ではっきりと認めている者が、最低でも5名いることになる。
にもかかわらず、櫻井氏は自身の研究の情報源となっている統一教会元信者について、「自発的脱会者」であると言い切り、外部からの介入による強制的脱会をさせられた事実を伏せているのである。
ここでも櫻井氏は統一教会を利するような情報に関しては、「統一教会に対して批判的な立場から調査を行う筆者とは利害関係において合致しないと思われる」(p.199)ので、黙殺しようということなのだろうか?
櫻井・中西著『統一教会―日本宣教の戦略と韓日祝福』の学術的価値が相当に疑わしいことは、もはや明らかだろう。
(⑦に続く)