- 1,杉並区が広報「好きになることに性別は関係ありません」。はあ?
- 2,自らの意思で同性愛者、両性愛者になる者が間違いなく増えるだろう。それを行政が後押しするなんて!
- 3,同性愛者になるかならないかは、環境的な要因も大きい
1,杉並区が広報「好きになることに性別は関係ありません」。はあ?
男女共同参画社会基本法という法律がある。フェミニストや左翼らの強い影響下で成立したこの法律ですら「男女」という二元論をキープしている。
ところが、この法律が学校教育、成人教育を通じて社会に浸透を始めるや、彼らは次なる目標に向けて動き出した。
それが男女二元論の破壊である。異性愛を前提とした伝統的社会を掘り崩し、社会秩序をぐちゃぐちゃにしてしまおうというわけである。
性的マイノリティーはその名の如く、マイノリティーなのであって、マジョリティーとは同列に論じられない。
にもかかわらず、マイノリティー(例外的ケース)をマジョリティー(圧倒的大多数)と同列に並べ、マジョリティーをモデルに作られた社会を、今度はマイノリティーをモデルとした社会に作り替えようというのだ。
杉並区広報誌23年6月1日号の「好きになることに性別は関係ありません」という言葉が、そのことをよく表している。
これは異性愛を前提とした社会では考えられない言葉だ。
だが、同性愛者や両性愛者らを尊重する行政の方針により、「異性愛がノーマルでそれ以外はタブー」という大原則は粉砕され、「好きになることに性別は関係ありません」という、根本的に異なる新たな大原則が打ち出されたのだ。
これを「革命」と呼ばずして何と呼ぶのだろう。
2,自らの意思で同性愛者、両性愛者になる者が間違いなく増えるだろう。それを行政が後押しするなんて!
この革命が恐ろしいのは、「マジョリティーの人たちも、望めばマイノリティーになれるよ」と誘っていることである。
「異性も同性も好きになる人もいます」と行政が宣伝すれば、それまで抑えていた本能を解放して、自ら進んで「異性も同性も好きになる」道を選ぶ人が出てくるだろう。
同様に、「自分のことを男性(女性)だと認識しています」と行政が宣伝すれば、「認識次第で男にも女にもなれるのだ」と考える人も出てこよう。
女になりたい男は、もう女装する必要はない。男の格好のままで「私は女です」と言えばいいのだ。
生まれつきの(あるいはその可能性の高い)性的マイノリティーと、環境的要因から自ら選択して性的マイノリティーになった人をどうやって区別するのか?
3,同性愛者になるかならないかは、環境的な要因も大きい
自分が読んだ『日経サイエンス』の論文(以下の拙ブログ参照)によれば、同性愛者には生まれつきと思われる人ばかりではなく、環境的要因によってそうなった人もいるという。
だから、環境的要因によって同性愛者となった人は、何らかのケアによって異性愛者に戻ることができる。
「同性愛は生まれつきだから変えられない」などとは言えないのである。
杉並区の広報誌を見ても、この「生まれつきか環境の影響かという問題」を考慮した形跡は見られない。実際、そんなものは容易に区別できないから、結局のところ、本人の自己認識や自己主張に任せるしかなくなる。
結果、「人間はなりたい者になれる。何になろうと自由だ」という美名の下、本能の解放が進むことになるだろう。
先人が本能を抑制して作り上げてきた文化的伝統と秩序は、本能の解放によって、今や崩壊の危機に瀕していると自分の目には映る。