- 1,異彩を放つ気鋭の政治学者、岩田温氏
- 2,FNNの「岸田をここに呼びつけて」は悪意に満ちた誤訳。ミヤネ屋の訳の方が正確
- 3,「誤訳と文脈無視のキリトリ報道だ」と早くから指摘していた統一教会2世たち
- 4,岩田氏がわざわざFNNの扇情的な訳を採用したのはなぜ? 韓国語原文はチェックしたのか?
- 5,ベースには「韓国における一般的な反日的な歴史認識」がある、という指摘はその通り
- 6,岩田温氏はキリトリ報道を真に受けた。なぜ文脈を確認しようとしないのか?
- 7,統一教会は宗教団体。信者ならではのやり方で韓国を支援し、世界宣教を行った。日本の加害責任を強調し、「国家賠償」「責任者の処罰」「総理大臣の謝罪」を求める反日左翼とは大違いだ
- 8,「日本人からの収奪」を狙っているのは反日左翼。統一教会を攻撃するのは筋違い
- 9,内村鑑三が「代表的日本人」の1人に挙げた日蓮は、法華経を信じなければ外敵の侵略を受けると執権・北条時頼に諫言した。これも「不愉快」で「失笑してしまいかねない発言」だろうか?
1,異彩を放つ気鋭の政治学者、岩田温氏
①の続き。
政治学者の岩田温(あつし)氏が今よりずっと若かった頃(今もお若いが。いや、もう働き盛りの壮年か?)、あるシンポジウムを聞きに行って、いたく感銘を受けたことがある。
そのシンポジウムは、怪物知識人として著名な佐藤優氏や保守派の重鎮評論家、宮崎正弘氏をはじめ錚々たる面々が壇上に並び、今は亡き井尻千男(かずお)氏が司会・進行を務めるという、それはそれは見応え、聞き応えのある豪華なイベントだった。
パネリストたちはそれぞれ持ち時間を使って短い講演を行い、その後、自由闊達な議論に入ったのだが、この時、異彩を放っていたのが岩田温氏だった。
パネリスト中、最も若く、最も知名度は低かった(失礼!)にもかかわらず、井尻氏は簡単には答えにくいような質問も遠慮容赦なく岩田氏に振り、聴衆が固唾を呑んで見守る中、岩田氏はどの質問も真正面から受け止め、はぐらかしたり、抽象的な物言いで逃げたりせず、淀みなく、かつ雄弁に自説を述べていた。
話の内容も、気鋭の政治学者らしく、学問的な香りを漂わせていたのが印象的だった。目立ったという意味では佐藤優氏と岩田氏が双璧をなしていたと思う。
どんな話だったかはもうすっかり忘れてしまったが、
「こりゃ、すごい人が出てきたな」
と思ったことだけは、今も鮮明に覚えている。
案の定、その後、保守系政治学者として人気が出て、いまでは毎号の保守系誌に名前を見ない月はないほどである。
自分は、左翼・リベラルが強い力を持つ言論界や学界で、岩田氏のような人が八面六臂の活躍を見せていることを心から喜んでいる。
……といった具合に、場末の夏枯れしたブログが岩田氏を褒めちぎったところで、岩田氏がニコリともしないであろう(たぶん読むこともないだろう)ことは重々承知しているが、ここは自分の考えや思いつきを書く場所。ただのモノローグを書き連ねているだけなので、気にせず書く。
2,FNNの「岸田をここに呼びつけて」は悪意に満ちた誤訳。ミヤネ屋の訳の方が正確
さて、その岩田氏の「月刊WiLL」9月号掲載の論考「『岸田をよびつけなさい』旧統一教会・韓鶴子にナメられた岸田首相」についてひと言だけ書いておきたい。
論考のタイトルにもなっている韓鶴子氏が語ったとされる言葉。この訳文が適当かどうか岩田氏は検討したのだろうか? 岩田氏はFNNの報道を引用して、
「政治家たち、岸田をここに呼びつけて、教育を受けさせなさい!」
と書いている。
一部マスコミはこの発言を大々的に報じて騒ぎ立て、なかには松野官房長官に岸田総理はどう考えているのかと質問した記者もいた。
しかし、FNNの邦訳は悪質な誤訳なのである。
韓鶴子発言は音声が外部に流出し、その一部がキリトリ報道されたものだ。
しかし、統一教会から名誉棄損で訴えられているミヤネ屋は、「岸田をここに呼びつけて」とは報じていない。
ミヤネ屋のフリップでは、
「政治家たち、岸田に教育を受けに来いと伝えなさい」
となっている。
かなりニュアンスが違うことがわかるだろう。
統一教会と係争中のミヤネ屋は、より慎重に訳語を選んだと考えられる。もちろん、より正しいのはこちらの邦訳である。
「月刊正論」9月号も、
7月7日に日本テレビ系「ミヤネ屋」が旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の韓鶴子総裁の「日本の政治は滅びるしかない」「岸田に教育を受けに来いと伝えなさい」などという発言を伝えていました。
と書いて、FNNの邦訳は採用していない。(p.305)
3,「誤訳と文脈無視のキリトリ報道だ」と早くから指摘していた統一教会2世たち
FNNが報じた韓鶴子氏の発言が、訳語がおかしいこと、またどの報道も文脈を無視したキリトリであることは、教団の2世たちがいち早く動画で発信していた。
見れば分かるように、「呼びつけ」などという扇情的な言葉が出てくる余地はない。FNNがこういう邦訳をしたのは、悪意があるからとしか考えられない。
韓国語の分かる日本人などごく少数なのだから、どこからもクレームは来ないだろうとFNNは日本人をナメているのである。
「韓国に来て教育を受けるように岸田に言いなさい、わかった?」
といったところが無難な訳ではないか。
4,岩田氏がわざわざFNNの扇情的な訳を採用したのはなぜ? 韓国語原文はチェックしたのか?
岩田温氏が、ミヤネ屋の訳をとらず、わざわざFNNの扇情的な訳を採用したのはなぜだろう。そもそも岩田氏は韓国語の音声(原文)を調べたのか? その上でFNNの訳が間違いなく正しいと確認したのだろうか?
学者なら、日本の学術書、専門書ですら、邦訳のレベルがまちまちで、ものによっては使い物にならない訳書が多いことはご存じのはず。
出版における翻訳は基本的に独占契約だから、翻訳権を入手した出版社しか翻訳できない。海外作品には著作権が切れたものを除けば1種類の訳書しか存在しないのが通例だ。
そのため、訳者の能力が不十分であったり、短期間のやっつけ仕事であったりした場合、せっかくの邦訳書が何を言っているのか分からない代物になることさえある。
そんな作品を世に出す出版社は罪深いが、往々にしてそういうことが起こるのが日本の現実だ。
だから学者は(学者に限らず一般人でも)、邦訳がなってないと思えば、原書に当たるのが常識である。
よくできた邦訳書でさえ、どこに誤訳が潜んでいるかわからないため、重要な文献の場合は原書(電子版を含む)も手元に置くのが良心的な姿勢だろう。
岩田氏も学者として当然、そうした訓練を積んできたはずなのに、なぜ今回は誤訳(良く言って、悪意ある意訳)を使ったのだろう。
マスコミが日常的にいい加減な報道を繰り返していることを、岩田氏は嫌というほど見聞しているはずだ。
にもかかわらず、あっさりFNNの誤訳を採用した。これは岩田温氏の早とちりではなかったか。
5,ベースには「韓国における一般的な反日的な歴史認識」がある、という指摘はその通り
もっとも、岩田温氏は、大方の批判者たちと違って、韓鶴子氏の発言が「韓国における一般的な反日的な歴史認識」をベースにしていることをきちんと指摘している。
ここは大変素晴らしい。イデオロギー的な反統一教会勢力やそれに便乗したメディアや大衆の非難とは一線を画している。
韓国では、反日はほとんど国是のようなもので、もし韓国統一教会が親日的だったら、そもそも韓国社会では存在できなかっただろう。
あまり知られていないが、創価学会は韓国にも進出している。日本の創価学会が表立って「竹島は韓国領だ」と言うことはないが、韓国の創価学会は「独島は韓国領」と堂々と本家とは違う主張をし、日本の歴史教科書糾弾運動までやっていた。
これは『反日宗教の真実』という本に出ていることだが、さらに驚くべきは、韓国創価学会の機関紙に載った池田大作氏の寄稿では、「加害国日本」が強調され、「韓国は日本にとって“文化大恩の国”だ」と書かれているという。*1
自分は創価学会の歴史観についてはよく知らない。ただ、同書の指摘を信じるならば、韓国では反日色を出して信者を獲得しているようだ。
さて、岩田氏は「韓国における一般的な反日的な歴史認識」がベースにあるとした上で、「統一教会の教えが混淆され」て出来上がったのが「統一教会独自の反日史観」だと分析した。
この分析が妥当なのかどうか、自分にはよく分からない。だが、少なくとも今回問題となっている韓鶴子氏の発言から、「韓国における一般的な反日的な歴史認識」以上の強烈な反日史観を読み取るのは難しい。
例えば、
「日本は第二次世界大戦の戦犯国だということ。犯罪の国なのよ。ならば賠償すべきでしょ、被害を与えた国に」(FNNより。この訳は特に問題はない)
という箇所を捉えて、韓国が日本人から収奪することを正当化したものと見ているのは正しくない。
この発言の真意を知るには、当然、この発言の文脈、どのような話の流れの中でこの発言が出てきたかを知らなければならないが、FNNもミヤネ屋もそれについては口をつぐんでいる。
「キリトリだ」という批判が出ても、彼らは前後関係を明らかにしようとしない。
これについては教団側が批判声明を出して、韓鶴子氏の真意を説明している。
教団の声明を読んでの感想はすでに拙ブログで書いた。
6,岩田温氏はキリトリ報道を真に受けた。なぜ文脈を確認しようとしないのか?
このキリトリ報道を真に受けたところも、岩田氏の早とちりだったと思う。
文脈なしに抜き出された発言だけで1本の論考を書き上げてしまうのだから、さすが岩田温氏だとは思うが、随分的外れなことを書いているなあというのが自分の印象だ。
結論から言えば、韓鶴子氏の上記発言は、今も続く韓国教団本部への献金を奨励したり、上納を命じたりするものではない。
それは過去形で語られたものだ。
- 日本は「戦犯国家」であり、朝鮮特需で大いに潤ったのだから、「日帝統治」を贖罪する意味でも韓国に援助すべきである。
- 日本は戦後、「神側のエバ」となった。*2「神側のアダム(韓国)」と共に力を合わせて世界宣教に汗を流せ。
といった程度の意味である。
もちろん、これ(1のこと)は韓国側の歴史観に基づくものだ。「戦犯国家」などという言葉に脊髄反射する必要はない。
それは「韓国における一般的な反日的な歴史認識」から出てくる言葉だからである。
7,統一教会は宗教団体。信者ならではのやり方で韓国を支援し、世界宣教を行った。日本の加害責任を強調し、「国家賠償」「責任者の処罰」「総理大臣の謝罪」を求める反日左翼とは大違いだ
岩田氏はここで、統一教会が宗教団体であることを思い起こすべきだろう。韓鶴子氏は、日本は「戦犯国家だ」と言いながらも、日本政府に「国家賠償せよ」とはひと言も言っていないのである。
ここが統一教会が反日左翼と根本的に異なる点であり、日本における政治活動が保守派寄りになる理由もここにある。
贖罪行為を求める対象はあくまで信者であり、その贖罪も日本は朝鮮特需をきっかけに高度経済成長を達成したのだから、豊かになった分、韓国の教団を援助しなさいという程度の意味しかない。(教団の説明によれば、韓国に集められたお金は世界各国での活動にも使われる)
そして「神側のエバ」として、韓国と共に率先して世界宣教をやりましょう、と言っているわけだ。
実際、日本の教団はこれまでそういう活動をやってきたと評価し、韓鶴子氏は日本の信者たちを褒めている。
以上が、教団本部の批判声明から読み取れる内容だ。
実は、これと大して違わないことを、戦後の日本も行ってきた。国家賠償を求める韓国の要求を拒否する代わりに、日本政府は莫大な経済協力金を支払うことにし、1965年に日韓基本条約と請求権協定を結んだ。
本来ならば、韓国は戦前、戦中は日本の一部だったのだから、日本が国家賠償するいわれもなければ、経済協力金を払う理由もない。
しかし、それでは国交回復が難しいので、同じ反共・自由陣営の一員として早く手を結ぶ必要から経済協力金を払うことで妥協し、また日本支配に付随して韓国人が「被害」と主張するものには道義的責任があると認め、一定の反省を示してきた。
これで十分というのが日本の保守政権の考え方だったが、現実にはそれだけでは韓国社会では受け入れられない。
そのため韓国に進出した企業などは、積極的に技術移転に協力したり、「日本統治時代に随分と迷惑をかけたからその償いに」などと言いながら韓国社会に根を下ろそうと努力してきた。
基本的に、統一教会がやってきたことも同じだ。そこには
- 「罪の償いのためには加害責任を認めて総理大臣が謝罪すべき」
- 「天皇に加害責任を取らせろ」
- 「責任者を処罰して国家賠償すべき」
などという反日左翼的な考え方は見られない。
8,「日本人からの収奪」を狙っているのは反日左翼。統一教会を攻撃するのは筋違い
岩田氏は「日本人から収奪」という言葉を使っているが、どうしてこういう発想になるのか自分には理解できない。
韓鶴子氏が語っている相手は、日本人一般ではなく、日本人の信者なのだ。信条を共有した信者に自発的行動を促しているにすぎない。これを「収奪」と呼ぶのは不適切だ。
むしろ、日本人からの収奪を狙っているのは反日左翼ではないか。日本国民の税金を使って国家賠償せよ、と言っているのだから。
韓国同様、東南アジアに進出した日本企業も、やはり「戦争で随分と迷惑をかけたからその償いに」と言いながら、現地の人たちの反発をなだめて、徐々に信頼を勝ち取っていった。
統一教会の場合は、宗教団体だから、「昔は随分とご迷惑を掛けましたね」と言いつつ、世界宣教という形で各国へ進出していった。
このような過去を振り返りながら、「よくやったね」と言っているのが、韓鶴子氏の発言内容である。
ところが、マスコミは文脈を完全に無視して統一教会叩きに都合のいい言葉だけを選び出して騒いだのである。
だいたいあの発言は教団内部の幹部信者を対象にしたものだ。日本人信者を相手に話したのであって、日本人一般に向けて語ったものではない。
9,内村鑑三が「代表的日本人」の1人に挙げた日蓮は、法華経を信じなければ外敵の侵略を受けると執権・北条時頼に諫言した。これも「不愉快」で「失笑してしまいかねない発言」だろうか?
「韓鶴子=救世主を理解できなければ日本の政治は滅びる」も、信者相手ならどこの宗教だって、この程度のことは言っている。
「統一教会を信仰しない者にとっては理解に苦しむ不愉快な発言、あるいは突拍子もなく失笑してしまいかねない発言だ」
と岩田氏は言うが、自分が信じてもいない宗教の教祖が信者向けに語った言葉をいちいち取り上げてあれこれ言う方がよほどおかしい。
こんなもの、無視すればいいだけだろう。この辺の感覚は、評判のよくない評論家の菅野完氏の言っていることの方がまともだ。
それに日本では過去に、この種の発言を信者相手ではなく、大胆にも時の為政者に向かってストレートに言った宗教家がいる。
言わずと知れた日蓮聖人である。
日蓮は、日蓮の門徒でも法華経の信奉者でもない執権・北条時頼に向かって、「法華経を信じなければ天変地異や外敵の襲来がある」と諫言した人物である。言っていることは、趣旨において韓鶴子氏と大して違わない。
岩田氏は、時の執権に『立正安国論』を送った日蓮についても、「理解に苦しむ不愉快な発言」とか「突拍子もなく失笑してしまいかねない」などと批判するのだろうか?
内村鑑三は「代表的日本人」の1人に日蓮を挙げた。歴史上の人物とはいえ、岩田氏がこの偉大な宗教家をどのように評するのか興味あるところだ。
なお、寄稿のリードには「総理大臣を呼び捨て、天皇すら“ひざまずかせる”反日・独善の宗教」とある。
天皇のことはともかく、内輪の会議なら他国の総理大臣を呼び捨てにするくらい、ざらにあるのではないか。
「月刊WiLL」の編集部だって、編集会議で編集長が「認知症疑惑のあるバイデンは次の選挙までもつのか」とか「エマニュエルの野郎、内政干渉しやがって。さっさとアメリカへ帰れ」とか、好き放題言ってるんじゃないの?