吊りしのぶ

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アクセス急伸、何が起きたのか?

1,9月16日からアクセス急伸、何が起きたのか?

16日からアクセスが急伸し、何が起きたのかと思ったが、15日の拙ブログ「旧統一教会信者の皆さん、今は1人ひとりがアクションを起こす時。イエス曰く『自分の命を救おうと思う者はそれを失い、……』」が多くの人の目に留まったようだ。

実際に「偉い人」からコメントもいただいた。ご本人はさぞ不愉快だったと思うが仕方ない。ここはフラットなネット空間であり、リアルな世界ではない。匿名だろうと実名だろうと、年齢も地位も肩書も全く関係ない世界である。

コメントは承認制にしているので、何を書き込んでいただいても結構。おかしなコメントはゴミ箱行きだが、賛成反対、肯定否定の如何にかかわらず、自分が公開したいと思えば公開させていただく。

言いたいことをまだ尽くせていない感じがするので、以下は追加の説明だ。

2,最終決戦を受けて立つ? 逃げているようにしか見えないが

いわゆる旧統一教会問題の本質は、旧統一教会VS全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)+日本共産党の最終決戦だという点にある。端的に言って、これは戦争なのである。

共産党の志位委員長は最後の決着を付けるんだと言い、国際勝共連合の人も「受けて立つ」みたいなことを言っていたと思う。

ところがだ。「最終決戦だ」「受けて立つ」と言う割には、全国弁連や共産党の攻勢が目立つばかりで、統一教会側の戦いぶりがよく見えない。

昨年、韓国で在韓日本人信者が大勢、抗議デモをやったとき、日本国民の多くがこう思ったはずだ。

「なんで日本でやらないの?」

「韓国でやるなら韓国人信者もやればいいのに、なぜ在韓日本人だけなの?」

当然の感想だろう。解散命令が取り沙汰されているのは韓国の教団ではなく、日本の宗教法人なのだから。

韓国でデモをやるのであれば、韓国人信者も一緒にやって日本の教団を応援するというのなら分かる。韓国人信者は知らん顔で、在韓日本人だけとは…。

信者有志による嘆願書の提出にも、奇異の念を覚えた。文化庁側が庁舎での受け取りを拒否したため、郵送で送らざるを得なかったと「月刊Hanada」で福田ますみさんが書いていた。

卑劣な官僚のやり口だとは思うが、それならそれで、なぜ信者有志の代表は記者会見を開かなかったのだろうか?

郵送で送ろうと庁舎で直接渡そうと、とにかく文化庁に嘆願書が届けば、一応の目的を達したとは言える。

だが、そういうことをやるからには、国民へのアピールが必要だろう。

「嘆願書を提出すれば、文化庁の担当者は、切実な訴えが書かれているであろうその1つ1つに目を通して、信者に同情し、解散命令請求を諦めるはず」

と思ったのだとすれば、余りにもナイーブではないか。

彼らにとって統一教会信者は「加害者側の人たち」だ。第三者が嘆願書を出すのならともかく、「加害者団体」に属する人たちが嘆願書を出したところで一体どんな効果が見込めるのだろう。見込めるはずがない。

この見方は間違っているだろうか? ごく常識的な見方だと自分は思うが。

それでも嘆願書を出すというのなら、国民にアピールしなければ意味がない。

しかし、それはなかった。記者会見なし。その場で嘆願書を読み上げて国民の涙を誘うようなパフォーマンスもなし。

「統一教会信者の多くは加害行為とは無縁。みんな熱心に宗教活動や信仰生活を送っているだけ。我々の存在を無視しないでくれ」

と世間に訴える絶好のチャンスだったはずだが、信者有志を代表する人物は1人も公の場に出てこなかった。

外から見ると逃げているようにしか見えない。敵と同じ「戦い」の土俵に上がっているという感じがしないのだ。

3,名誉毀損裁判をバンバン起こし、シンポも相次いで開催

では、統一教会が戦っていないかと言えば、そうは思わない。教団トップは記者会見を開いたし、かの有名な勅使河原さんが、いつの間に証券会社をやめたのか、教団改革の責任者となって我々国民の前に現れた。

名誉毀損裁判もバンバン起こしているし、自治体相手の訴訟も5つか6つ起こしたはずだ。統一教会2世たちが顔出しでシンポジウムを開き、鈴木エイト氏とも対決するなど、その勇気ある行動は称賛に値する。

教団本部の広報ページには、マスコミ報道への反論が次々にアップされている。櫻井義秀氏のような、著名だが平気でウソをつく宗教社会学者*1を相手に、本格的な批判論文も公開された。

数多くの動画での反論や解説に加え、被害者の会のシンポや出版記念シンポも開かれた。ブックレットや書籍も出版され、戦える材料は揃ってきている。

火中の栗を拾う奇特な識者やメディア(「月刊Hanada」や「月刊正論」など)が現れたことも大きい。

「統一教会は嫌いだが、岸田内閣のやり方は魔女狩りだ」「支持率回復のためのスケープゴートにするのはおかしい」「手続きが法に則っていない、異常だ」等々の声が上がり、統一教会が完全に孤立しているわけではない。

4,「敵を愛し迫害する者のために祈る全国一斉集会」をやったらどうか

しかし、何かが足りない。足りないからこそ、いよいよ解散命令請求が秒読みというところへ来てしまったとも言える。

足りないのは、7万ともいわれる信者たちの集団行動ではないだろうか。その半分でも3分の1でもいい。何千、1万、2万という信者たちが国民の前に姿を現せば、みんな驚かないはずがない。

それなのに、デモ行進もなければ、抗議集会もない。

宗教団体らしく「敵を愛し迫害する者のために祈る全国一斉集会」なんかをやってもいいと思うが、そういう話も聞かない。

存亡の危機に立っている、つまり人間で言えば、生きるか死ぬかの瀬戸際に来ているというのに、これっておかしくないか。

山口広弁護士は2011年に「文鮮明は地獄に堕ちろ!」と全国弁連の東京集会で絶叫したそうだ。

blog.goo.ne.jp

教会の人たちは、「可哀想な山口広弁護士が地獄に落ちないように、生きている間に少しでも徳を積めますように」と祈ってやればいい。

格の違いを見せつけてやったらどうだろう。

ひょっとしたら教団内でやっているのかもしれないが、今は敵と戦っている最中である。祈りの刃を敵に突きつけるにしても、その姿を敵に見せつけ、国民にも見てもらって少しでも味方を増やさなければ意味がない。

もちろん、「敵を愛し迫害する者のために祈る」と言っても、悪は悪、罪は罪だ。罪を憎んで人を憎まず。「拉致監禁による強制的な脱会説得」という犯罪を見て見ぬ振りをしてきた山口広弁護士と全国弁連の罪業は、厳しく批判されなければならない。

ここまで書いたら、もうひと言書かずにはいられない。

マスコミや全国弁連から叩かれているのは、教団本体だけではなく、関連団体も一緒に叩かれている。であるならば、その人たちも加わって共同行動を起こしたっていいはずだ。

自分が不思議に思うのは、統一教会の関連団体の多くは、何らかの形で「関連団体」だと認めている。「正体隠し」という言葉を国民は信じ込まされているが、これについては事実誤認も甚だしい。

例えば、昨年は「ピースロード」というイベントが関連団体主催ということでさんざん批判されたが、当時の拙ブログで自分はこう書いた。

「ピースロード」のウェブサイトを見れば、このイベントがUPFによるもので、そのUPFは統一教会教祖の文鮮明・韓鶴子夫妻が創設したとはっきり書いてあるのに!

このように、関連団体ということを隠す気がないのなら、いっそ統一教会と関連団体で統一的なポータルサイトを作ればいいのに、と思う。

こうすれば、「正体隠し」と批判される余地は一切なくなる。関連団体といっても、関連の度合いには濃淡があるだろうから、そこは各団体がきちんと説明すればいい。

今は、関連団体のウェブサイトがネット上のあちこちに点在しているから、一見すると無関係のように見えてしまうのだ。

そんなこんなで、信徒たちの目に見える集団行動、大衆行動がないために、多くの国民は、

統一教会の人たちは怖がって表に出てこないんだな。「罪」を認めているから、出てきたくても出てこられないんだろう。

と思っている(と自分は想像する)。

今の統一教会は、「あいつらもなかなかやるな」「てごわい連中だ」「うっかりしたことは言えないな」と世間に思われているだろうか? たぶん創価学会や幸福の科学はそう思われている。

だが統一教会は、

「せいぜい7万人くらいしかいないんだろ。2世も寄りつかなくなっているというじゃないか。日本人からカネを収奪して韓国に貢いできたとんでもない反日カルトだ。問答無用でさっさと消えてくれ」

などと思われている。これが現実だ。

水に落ちた犬は叩けで、マスコミも世間もやりたい放題、言いたい放題である。

5,国民の前に姿を現して、街頭や駅頭でみんなに訴えるべきでは?

だから、その現状を変えるには、集団行動、大衆行動、街頭活動が必要ではないのかというのが自分の考えだ。

集団でなくても個人でもいい。1人で街頭に出たっていい。ただし、のぼり旗ぐらいは立ててほしい。1人でも、全国一斉に各地で行動をおこせば、トータルで50人、100人が動いたことになる。それはそれで目立つはずだ。

その際、ネックになるのは、今の時代、そう簡単に顔出しができないことである。マスコミは個人情報保護の法律を守るかもしれないが、一般人は違う。公の場所で集会など開こうものなら、一般の人たちが面白がって写真や動画を撮り、SNSに上げて拡散させるだろう。

これがあるために集団行動、大衆行動、街頭活動ができないのだと自分は推測している。

しかし、これをやらなければ戦いにならないのだ。識者も含めた国民世論の間に味方を増やしていくことはできないと思う。

でも、いったいどうやってそれをやる?

「偉い人たちや偉かった人たち、信者歴の長い人たちが先頭を切るしかないんじゃないですか!」と自分は言いたい。

いつだったか、新たに公職者になったという若い宗教2世たちが、記者会見場にズラリと並んだことがあった。彼らは公職者だから顔出しを恐れない。

そういう顔出しをいとわず、ネット上に写真や動画をばらまかれてもびくともせず、大勢の信者たちを引っ張っていける人たちとなると、「偉い人たちや偉かった人たち、信者歴の長い人たち」が先頭に立つべき、という結論が自然と出てくるわけだ。

彼らは「霊感商法」や「正体隠し伝道」が実践されていた、2009年3月のコンプライアンス宣言以前のことも知っているはずだから、道行く人たちに質問され、難癖を付けられても、答える術を持っているだろう。

そんな人たちが「俺についてこい」「わたしについてこい」と言えば、少々のリスクを恐れない勇気ある信者たちは付いてくると思うが、どうだろうか。

誰も付いてこなかったら、その人たちだけで動けばいいだけのこと。付いてこれない人がいるのは当然だし、顔出し絶対不可の人もいるだろう。

でも、「この際、そんなこと言ってられるか。教団存亡の危機なんだぞ」と思う信徒だっているのではないか。

前のブログで、

家庭連合の人たちが看板を出して道行く人にチラシを配ったり、のぼり旗を立てて街頭演説をやったりして、宗教迫害の不当性を訴え、「私たちの本当の姿を知ってください。マスコミや霊感弁連の言っていることは本当ではありません」と訴えているところを見たことがない。

と書いたのは、そんな思いがあったからだ。

実際には、拙ブログを応援してくれるyokorollingさんによると、既に街頭行動をやっている人はいるという。その人には失礼なことを書いてしまったことになり、申し訳なく思う。

しかし、自分の見聞する範囲内では、元気いっぱいのお年寄りの集団=共産党や共産党系市民団体、やはりお年寄りの女性が多い顕正会、そしてエホバの証人。いろんな駅の周辺で活動しているのは、だいたいこの3つだ。(政治家の演説は別)

家庭連合の人たちはまず見たことがない。昔はよく人混みの中で声を掛けている人を見たものだが。

時間が来たのか、散らばっていた人たちがさっと集まってきて、かたまって何か話しているとか、そんなところを見たこともある。

6,大衆的なアピールこそ現状を変えるカギになる。それとも、他にいい方法がありますか?

今必要なのは、布教活動よりはむしろ大衆的なアピールだと思う。せっかく中山達樹弁護士がブックレット『拝啓岸田首相 家庭連合に、解散請求の要件なし』を刊行したのだから、あれを持って道行く人たちに声をかけまくればいいと思うが。

「私たちの声を聞いてください」という小冊子もあったはず。

ビラやチラシがあればなおいい。配るのはビラやチラシ。それを受け取って立ち止まってくれた人、声をかけてきた人と対話する。話を聞いてみようという人がいたら、ブックレットや冊子を持ち帰ってもらえばいい。

読めば、その人が考えを変える可能性がゼロということはない。なるほどと思う人は必ず出てくる。考えが変わらなくても、印象は変わるかもしれない。

中には突っかかってくる人もいると思う。話を聞いてあげて、でもこんな考え方もありますよと言えば、ガス抜きになる。

多くの国民の目に触れるところに出ていかなければ、現状は変わらない。もう解散命令請求が出るのは確定したも同然だから、今からやっても遅いといえば遅い。

がしかし、世論が少しでも軟化すれば、その後の裁判に影響を与える余地はあるだろう。

今後、解散命令請求が出たら、街中で布教していると分かれば、反対派の嫌がらせが始まることも覚悟しておくべきだ。

彼らは「統一教会の布教は被害者を増やすことにつながる」という迷信を信じているから、この理屈にもならない理屈で嫌がらせをしてくることは十分考えられる。いわゆるキャンセル・カルチャーである。

請求が出る前に、街頭活動、駅頭活動をちゃんとやって既成事実を作っておくことも必要ではないだろうか。

これでこの話題は打ち止めにしたい。

【気晴らしsongs】


www.youtube.com

長沢崇史&ルア・ワーシップの賛美ソング「主はわれらの太陽」。画面左の長沢崇史氏は、カナン・プレイズ・チャーチの牧師(宗教2世)でもある。

*1:櫻井義秀氏は北海道大学出版会から出した『統一教会 日本宣教の戦略と韓日祝福』の中で、統一教会のフィールドワークを行ったとき、「強制的な脱会説得」を受けて脱会した者を「自発的脱会者」とカウントしていた。23年4月4日拙ブログ参照。また櫻井氏は「文藝春秋」22年9月号ならびに文春新書『統一教会 何が問題なのか』において「日本語版には載っていませんが、『原理講論』の韓国語版には、植民地統治時代にいかに日本人が韓国人を虐待したかが書いてある」などと啞然とするようなウソを語っている。この人は、おそらく相当古い時期の『原理講論』しか読んでいない。22年10月12日拙ブログ参照。