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【必読】保守派はなぜ選択的夫婦別姓に反対するのか?~長谷川三千子氏の東京ビッグサイトでの講演全文(動画あり)

1,2010年開催「250万署名3・20夫婦別姓反対集会」

とりあえず「保守派はなぜ選択的夫婦別姓に反対するのか?」としたが、長谷川三千子氏には、「良識ある日本人は」とすべきだとお叱りを受けるかもしれない。

そのことを承知の上で、マスコミや新聞各紙はおろか自民党でさえ選択的夫婦別姓の導入に前向きな議員が増えている現実を踏まえて、あえて「保守派は」とタイトルに入れた。

長谷川三千子氏は現在、埼玉大学名誉教授。2010年3月の夫婦別姓反対集会当時は埼玉大学教授である。

改憲派であると同時に、ジェンダーフリーや選択的夫婦別姓に一貫して反対してこられた論客だ。一番下に、代表的な著作をいくつかリンクしておいた。

ここでは、前にも言及した今から10年以上前の「夫婦別姓反対集会」における長谷川三千子氏のお話を文字テキストにした。

報道革命 FreeJapanTV ニコニコ動画より

www.nicovideo.jp

講演動画を一通り視聴して、一番心に残ったのが長谷川氏の講演だからである(該当箇所はニコニコ動画の1時間3分40秒過ぎから始まる)。

話のつかみもうまく、その主張は理路整然として説得力十分だった。

後で登壇者リストを載せるが、多くの国会議員、有識者が登壇したため、長谷川氏の持ち時間は12~13分程度。それでも深く考えさせられる内容があった。

時間の都合で、1度に全部はアップできない。作業が一区切りしたところまでアップし、何回かに分けて完成させたい。

2,長谷川三千子氏登壇「え~、ビッグサイト、5000人? 無理でしょう」

司会 続きまして、埼玉大学教授長谷川三千子先生よりご提言をいただきます。

長谷川先生は、この問題(選択的夫婦別姓制の導入)が政治問題として表面化した当初より推進派の主張の根本に家族制度の否定、家族軽視の思想があることを批判され、以来、反対の論陣を張られてまいりました。

それでは長谷川先生、宜しくお願い致します。(拍手)

長谷川 長谷川でございます。今日は私ここにまいりまして、ほんとにビックリ致しました。

最初に今日ここでこういう集まりがあると伺ったのが、実はもう3月に入ってからというごく最近のことでございました。

事務局のアラキさんからお話を伺って、

「え~、ビッグサイト、5000人? 無理でしょう」

って思わず言ってしまったのですが、今日ここにまいりましたら、本当にここがビッシリと埋め尽くされております。

www.bigsight.jp

これはもう本当に素晴らしいことだと思います(拍手)。この日、皆さん、お集まりいただいたことを心から感謝致したいと思います。

3,1人ひとりが日本の国を正しい方向に導く使命を持つ

ただし、実はわたくし欲張りですので、ただ今日ここにお集まりいただいただけで満足しないでいただきたいと思っております。

ここに集まられた方々は、いってみれば、ほんとに日本の中のエリート中のエリートの方々です。エリートと申しますのは東大出て大学院出たとかそういうような話ではございません。ほんとにしっかりとした気持ちをお持ちの方々という、そういう意味のエリートの方々です。

ここにお集まりのお1人が周りの100人に働きかけ、語りかけて、少しでも日本の国を正しい方向に導く、そういう使命を担った方々、そういう方々が5000人、ここにお集まりになってらっしゃる。こんなふうに私は考えております。

もう一つ私が感激致しましたのは、今日ここにお忙しい国会の先生方がお集まりくだすって、しかも時間の最後までいらしてくだすっている。今日私、亀井(静香)先生のお話を伺ってオランダの古い話を思い出しました。

堤防が、オランダという国は崩れたらもう最後の国ですが、そこに小さな穴があるのを小さい少年が発見した。

もう家に飛んで帰ってそれを親に告げる時間もない。で、自分の腕をそこに突っ込んで寒いのをガタガタ震えながら、自分の腕一本を突っ込んで堤防の決壊を防いで頑張った。

なんかその、大変失礼ではございますけれども、亀井先生とその少年の姿が重なってしまって、ほんとに感激致しました。(拍手)

もうここでスピーチなさった先生方は、それぞれの意味で孤軍奮闘なさっている先生方です。

しかしいくら奮闘してくだすっても、われわれが支えない限り、先生方の孤軍奮闘は報われないと思います。

では、私どもはどういうことができるかというと、ほんとに地道に周りの方々に語りかけて、そしてグラグラ迷ってらっしゃる方々に、「でも、本当はこうなのよ」ということを心から語りかけていただく、それが一番大事なんではないかと思います。(拍手)

4,「別姓にしたくない人はしなくていい」と言われ、「心優しい人」はだまされる

その時に、今日は1点だけ、一番難しい点をお話ししたいと思います。

これは皆さん、先生方も繰り返し仰っているとおり、選択的夫婦別姓の法案です。つまり、夫婦別姓にしたくない人は構わないという法案です。福島瑞穂先生はしょっちゅう、

「日本中を別姓にしたいって言ってるわけじゃないんです。本当に困っている人たちがいるんです。そういう人たちのために道を開けて差し上げたい。これが私の願いなんです。亀井先生、いけませんか」

と、たぶん毎日そんなふうに亀井先生、やられてらっしゃるんだと思うんですが、これはほんとに、心優しい人であればあるほど、そう言われると、「ま、いいか」という気持ちになってしまう。

ところが実は、私がこれから申し上げるのは、選択的夫婦別姓だからいけないんです。

変なことを言うなとお思いかもしれません。

5,韓国の夫婦別姓は、祖先を非常に大事に敬う東アジア儒教圏のシステム

しかし実は、夫婦別姓制度には、私ひそかに「本格的夫婦別姓」と「選択的夫婦別姓」があるというふうに考えております。

本格的夫婦別姓というのはどういうことかというと、きょうの皆さん、お手元のパンフレットにも世界の国々でどうなっているかというクエスチョン&アンサーの2番目がございます。

そこに完全夫婦別姓の国の1つに韓国が挙がっています。

この韓国の場合の、いわゆる本格的夫婦別姓の場合には、これは実は今、木村(治美)先生がお話になった、祖先を大切にするという、そういうコンセプトから出来上がっている古来の東アジア儒教圏のシステムなんです。

一口に言うとどういうことかと言いますと、(キム)さんの家に生まれた人は一生金さん。李(イ)さんの家に生まれた人は一生李さん。結婚してもそれに変わりがない。

簡単に言ってしまうとこういうコンセプトです。

ですから、同時にこれは祖先を非常に大事に敬わなくてはいけないという考えと一体になっています。今でも、日本にいる方々でも、韓国系の方々は「もう祖先の(祖先をお祀りする)集まりのがすごい大変なの」とおっしゃってらっしゃいます。

で、これ自体は大変いいことなんですね。

6,日本(民法)の夫婦同姓は、先祖を大切にする考え方(過去)と責任を持って子ども達を育てていくという考え方(未来)を併せ持つシステム

ただし、明治時代に日本が民法を作る時に、どういうふうなシステムをわが国は選ぼうかということを真剣に考えました。

もちろん、当然そういう本格的夫婦別姓ということも考えのうちに上ったわけです。

しかし、この本格的夫婦別姓には1つ見落としている点がある。

どういうことかと言いますと、金さんの家に生まれ、李さんの家に生まれた、その人達もまた今度は自分が結婚する時に新しい家を作る、そこで責任をもって子供を育てていかなければいけない、ということです。

例えば日本でいえば、田中さんと鈴木さんが結婚したならば、それはそのまま自分のご先祖様を敬うだけではなくて、その時点で「チーム田中」あるいは「チーム鈴木」、そういう一丸となったチームを作り上げて、新しい世代を作っていく、そういう責任を負う。

そういう横のつながりを、「チーム田中」「チーム鈴木」という、それを生かしたシステムが夫婦同氏、同じ氏を名乗るという、この今われわれが持っている民法のコンセプトがそこで出来上がったわけです。

で、私は、これは「伝統的な先祖を大切にするという考え方」と、それから「未来に向けて自分たちで責任を持って子供たちを育てていくという(考え方)」、その過去と未来の両方を向いた軸を表した大変素晴らしいシステムだと思っています。

7,選択的夫婦別姓にはコンセプトがない !

ところが、選択的夫婦別姓というのは、どういうシステムなのか、どういうコンセプトなのかというと、コンセプトがないんですね。

民法という法律は、これは人間たちがどういう家族を持ち、そして人間は家族とどういう関わりを持っていくかというそういうコンセプトを表さなければいけないはずの法律です。

ただの交通法規じゃないんです。便利ならいいという法律じゃないんです。

ですから、民法が今度、もしも選択的夫婦別姓を採用するとなると、もう民法は家族についてのコンセプトを表現いたしません、ギブアップしているのも同じ。

そういうことになります。

8,日本の破壊、家族の破壊=人間はバラバラの個人/親も子もない/自分がただ生きたいように生きるだけ

強いて挙げれば、今日のお話にも何度も出てきましたように、人間はもうバラバラの個人なんだ、親も子もない、ただ本当に自分が自分として生きたいように生きる。

となったら実は、姓だとか氏だとかそんなものに意味はなくなりますね。

ですから、選択的夫婦別姓にするということは、言ってみれば日本の破壊というだけではない、われわれが名乗っている姓名、氏名、それが意味を失ってしまうというとんでもない「改革」法案なんです。

それが、

「皆さんに別姓を強制するわけじゃないんです。一部の困っている人たちを助けましょう」

という、そういう甘い言葉に乗せられて、今全国で「ま、いいか」という、そういう反応を引き起こしている。

これにわれわれは断固警鐘を鳴らさなければならない。

9,心優しい「ま、いいか」の人よ、目を覚ませ!

皆さんの周りでそういう心優しい「ま、いいかなあ」という方がいらしたらば、ぜひ、「いや、それはもう大変なことになるんだ」と、このクエスチョン&アンサーのパンフレットを片手に、お一人おひとりが草の根で、一人ひとりの周りの方を説得していただきたい、こんなふうに思っています。

きょうはありがとうございました。(拍手)

報道革命 FreeJapanTV ニコニコ動画より

全登壇者リスト

(作業中)

長谷川三千子氏の著作から

他にも複数の大著があり、対談本も何冊か出しておられる。なお、『正義の喪失』には「フェミニズムといふ病理」が収録されている。

補足

以下は、長谷川三千子氏とよく似た見解を表明している田上嘉一氏(弁護士、扶桑社『国民を守れない日本の法律』の著者)のブログ。

news.yahoo.co.jp

田上氏も、選択的夫婦別姓の考え方に基づけば、姓には何の意味もなくなると次のように述べている。

イエ制度打倒に加えて、憲法13条から導かれる個人の人格権、自己決定権を尊重すべきであって、氏名は個人の人格に関わるものだから、結婚によってこれを強制的に変更することを余儀なくされることは、憲法違反だという主張があります。

(中略)

氏姓であるにせよ、名字(苗字)であるにせよ、それは個人を表す名前ではなく、部族なのかイエなのか、いずれにせよある一定の集団を表す名称のはずです。

山田花子という人間がいたとして、山田家という集団に属する花子という個人がいるのであって、本当に血縁やイエといった近代的合理主義にそぐわない悪しき因習を打破し、個人の尊重を高らかに謳うのであれば、姓氏などなくしてしまえばよいではないですか。

みんなただの太郎や花子になれば、同姓だ別姓だといった無益な議論に煩わされる必要もなくなるわけです。

日本国憲法に埋め込まれた「個人の自己決定権」という考えは、突き詰めれば、家族のつながりを解体し、人間集団をただのバラバラの個人の寄せ集めにしてしまう。

日本国憲法の運用にあたっては、GHQが日本の実情を知らず、日本社会の有り様を封建的と決めつけて作ったという事情を勘案して、日本社会の実態や伝統、慣習を踏まえる必要があるのだが、左翼リベラルの革命主義者は、そんなことにはお構いなしである。

彼らは憲法を杓子定規に解釈して、GHQ御用達の外来思想をそのまま日本に適用しようとする。

まさに革命主義者と言うにふさわしい連中だ。

結婚などもそうで、日本国憲法の教科書を開けば、「結婚は両性の合意のみに基づくのだから、親が反対したって、そんなもの無視して構わない」なんてことが、平気で書いてある。

あからさまに書くと反発を買うからか、私が読んだ本は、婉曲的に書いてあったが。

いずれにせよ、それが個人を尊重する日本国憲法の精神だと言うのである。

そして、実に不思議なことだが、こういった左翼リベラルの思想を信条とする連中が、旧統一教会の合同結婚については、いくら本人たちが「合意の上だ、親にも理解してもらえるよう努力している」と言っても、「親御さんはどんなに悲しんでいるでしょうか」と言って非難し、膳場貴子氏のように「人権侵害だ」とまで言うのだから、何という都合主義かと呆れてしまう。

というわけで、憲法改正は本来、9条の改正にとどまってはならず、こうした極端な個人主義の是正にも踏み込まなければならない。

だが、今や法務省や裁判所までが、憲法の杓子定規の運用を当たり前とするようになってしまった。

戦後80年近く経ち、GHQの毒が全身に回ってしまったのかもしれない。