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旧統一教会、過料の高裁決定に不服で最高裁に特別抗告。民法715条(使用者責任)を過失とし、「法令違反」に含めた高裁の判断は理不尽だ!

去る8月27日、東京高裁は旧統一教会に過料10万円の支払いを命じた。これを不服として、同教団は9月2日付けで最高裁に特別抗告を申し立てた。

www3.nhk.or.jp

www.47news.jp

東京高裁の過料支払命令がどのような理屈に基づくのかよく分からなかったが、今回の特別抗告状を読んで驚愕した。

まだ8ページ目くらいまでしか解読できていないが、ここまででも、ありえないことが書いてある。

法律に疎いので、特別抗告状の内容を十分理解できたとは言えないが、それでも「東京高裁決定はおかしい」と思わざるを得なかった。

一番驚いたのは、民法715条の「使用者責任」が適用される場合、使用者には過失があったとされ、使用者は法令違反を行ったことになる、という考え方である。

旧統一教会の東京高裁決定に対する特別抗告状pp.7~8より

文中の「原決定」は、過料を命じた東京高裁決定のこと。

この民法715条(使用者責任)が重要なのは、政府・文科省が旧統一教会に質問権を行使し、解散命令請求を行った根拠とされているからだ。*1

「昭和50年代から平成26年(2014年)頃 までの長期間にわたる信者らの行為に係る 22 件の民事判決」があり、うち20件の民事判決が旧統一教会の使用者責任を認定している。

さて、この使用者責任とは、どんな考え方だろうか?

民法715条(使用者責任)には、

ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。

とある。

ここには、

「ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。」

として、使用者に過失がなければ、被用者が権利侵害行為を行っても責任は問われないと書かれている。

しかし今日、この但し書きは死文化していて、運用においては事実上、無過失責任が常態化しているという。

たとえば、あるウェブに出ていたこんな例を挙げよう。

lab.iyell.jp

Aに雇用されているBが、勤務中にA所有の乗用車を運転し、営業活動のため顧客Cを同乗させている途中で、Dが運転していたD所有の乗用車と正面衝突した(なお、事故についてはBとDに過失がある。)この場合、事故によって損害を受けたCは、AとBに対して損害賠償を請求することができる、、、

この例文の登場人物は次の通り。

  • A:使用者
  • B:Aに雇われている被用者
  • C:Bの車に同乗していた者
  • D:Bが交通事故を起こした相手

BとDが正面衝突し、その事故についてはBとDの双方に過失がある。ところが、たまたまBに同乗していたCは、この事故と直接関係のない「Bを雇っているA」にも損害賠償を請求できるという。*2

その根拠が民法715条の使用者責任である。Aは事故とは無関係なのに「不法行為」があったとされ、損害賠償責任を負わなければならない。

常識的に考えて「そんなバカな」と思うのが普通だろう。

条文但し書きにあるように、「使用者(A)が被用者(B)の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき」は、Aに過失はなく、従って損害賠償責任もないと考えるのが自然だ。

だが、実際の裁判の運用では、この但し書きは死文化しているそうだ。

ウィキ「使用者責任」の解説には、根拠を注で明記してそう書いてある。

715条1項但書は免責事項として、「使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったとき」を挙げており、これを使用者が立証すれば免責されることから、使用者責任の性質は中間責任である。

しかし、判例における但書の解釈は極めて限定的であり、免責を容易に認めていない。そのため、1項但書は死文化しており、実質的には無過失責任に近い運用がなされている。

つまり、使用者Aに過失がなくても損害賠償責任を負わせ、ほとんど無過失責任に近い運用が常態化しているというのだ。

無過失責任とは、過失がなくても、事実上、過失があったものと見なして責任を問うということである。

上記の例文で、使用者Aが被用者Bに常日頃どんな指導、監督、注意を行っていたかを一切考慮することなく、有無を言わさず使用者Aに損害賠償責任ありとしているのは、そうした事情があるからである。

自分にはとても不合理な運用に見えるのだが、被害者救済の観点からは、そうでもしないと被害者の救済が十分に行えないという判断があるのかもしれない。

使用者Aにしてみれば、過失がないのに金銭支払を行うのは納得しがたいだろう。けれども、金銭支払によって被害者の救済が図られるのであれば、やむを得ないと考える余地がある。

しかし、である。

使用者Aは、これをもって単なる不法行為認定にとどまらず、「法令違反を行った」と司法(およびマスコミ・世論・行政等)から断罪されたら、果たして納得できるだろうか?

従業員が交通事故を起こしたとして、日頃から従業員に厳しい指導、監督、注意を行っていても、それでも無過失責任ありとされ、賠償金を払わされた上に、「法令違反を行った会社」というレッテルを貼られてしまうのである。

東京高裁決定は、715条の但し書きが死文化している現実を無視して、使用者責任(不法行為)により損害賠償責任を負ったからには過失があったに違いないと決めつけ、これを法令違反*3としたわけだ。

この理屈に納得できる企業や組織は、果たしてどれくらいあるだろうか?

今の時代、どの企業も組織も「法令遵守」に熱心だが、使用者責任をもって法令違反とされたら、法令遵守などしようがないではないか。

*1:宗教法人法では、「法令違反」が宗教法人解散の要件の1つとされている。従来、この「法令」は刑法とそれに準じる法律のことで、民法は含まれないとされてきた。

しかし、岸田内閣は従来の解釈を閣議決定までしたのに、一夜にしてこの解釈を引っ繰り返し、民法も含むとした。

*2:もちろん、CはDにも損害賠償を請求できる。

*3:正確には、宗教法人法に言う宗教法人解散の要件となる「法令違反」。