吊りしのぶ

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ジャニー氏の性加害問題、偽善の「週刊文春」に正義面してテレビ局を批判する資格はない

1,ジャニー喜多川氏の性加害問題、長年知らんふりしてきたテレビ局の責任は重大

ジャニー喜多川氏の性加害問題が、当事者の顔出し告発により、にわかにクローズアップされた。「週刊文春」が長年、この問題を告発してきたにもかかわらず、ジャニーズ・タレントなくして視聴率競争に勝ち抜けないテレビ各局は“くさいものにふた”をして報道しなかった。

「報道しない自由」を行使し続けたわけだが、おかげで多くの若いタレントの卵たちが性被害の犠牲者となってしまった。

biz-journal.jp

今必要なのは、性被害の全容を解明することだ。被害を受けたタレントの中には、あえて被害を甘受したことでスターの地位をつかんだ者もいるかもしれない。

彼らは今さら「自分は被害者でした」とは言わない可能性が高い。

では、どうやって全容を解明するのか? 第三者委員会を設置して、公表を望まない者のプライバシーを完全に秘匿する条件で、しかし被害については正直に申告させるべきだ。

ただし、当事者のジャニー喜多川氏は亡くなっており、死人に口なし状態。虚偽の被害申告をする者が出てくる可能性も否定できない。

全容解明は不十分なものとならざるを得ないが、何らかの証拠や証言などから「間違いない」と推測できる事案は特定できるはずだ。

そうした調査を行って、「少なくとも何人、何回の性加害が確認できた」という形で公表することは可能だと思う。

そして、この問題をなんら踏み込んで報道してこなかったマスコミの責任を厳しく問うべきだ。

2,テレビ局のキャスターたちも共犯者。彼らも責任を免れないが、その自覚はあるのか!

日頃、偉そうに他者や他組織を批判し、国民の代表面して政府に「ああしろ、こうしろ」と要求するテレビ局のキャスターたちは、今こそ自分が所属するテレビ局自体を厳しく批判すべきではないか。

また、テレビ局で長くキャスターをやってきた人たちは、「なぜジャニー喜多川氏の性加害問題を取り上げなかったのか?」と厳しく問われて当然だ。

  • 番組スタッフやプロデューサーに「この問題を調査報道しよう」と自ら提案したんだろうか?
  • 口だけでなく、この問題を深掘りすべきだと関係者を説得するようなことをしてきたのか?

TBS「報道特集」の膳場貴子、日テレ「ミヤネ屋」の宮根誠司、日テレZEROの有働由美子、TBSサンモニの関口宏、テレ朝報道特集の前キャスター古館伊知郎等々。ほかにも大勢いるだろう。

みんな知らなかったでは済まされないし、許されない。

彼らは日頃、偉そうに政府に要求したり、国民に説教を垂れたりしているが、矛先が自分たちに向かうと途端に口を閉ざす。

自分達が加害者側に立ってきたことについてどう考えるのか? この際、自分の言葉で自らの責任と番組あるいはテレビ局の責任について語ってほしいものだ。

それができないなら、言葉の真の意味で彼らは偽善者である。

NHKは特定の誰ということではなく、NHKとして見解の表明を求められていることを知るべきだ。

3,「週刊文春」に鬼の首を取ったかのようにテレビ局を批判する資格はない

もっとも、ジャニー喜多川氏の性加害問題を追及してきた「週刊文春」は、鬼の首を取ったかのようにテレビ局を批判しているが、「おまえたちに偉そうにそんな批判をする資格はない」と言いたい。

なぜなら、「週刊文春」こそは、旧統一教会信者に対する刑法220条(逮捕・監禁罪)違反の「拉致監禁による強制的な脱会説得」を過去30年以上にわたって見て見ぬ振りをしてきたメディアだからである。

この拉致監禁が放置されたことにより、日本では空前の規模で「信教の自由」の侵害と人権侵害が横行し、4000人を上回る人たちに公然と犯罪行為が繰り返されたのである。

「どんな犯罪行為を行おうと脱会させてしまえばこっちの勝ち」という邪悪な思考がまかり通ってきた。そのお先棒を担いだのが「週刊文春」である。

その結果、どれだけの被害者が生まれたのか?

  • 脱出の際に大怪我をした者、
  • 自殺した者、
  • 自殺未遂を起こした者、
  • PTSDや鬱病を発症した者、
  • 一度は脱出しても二度、三度と狙われるため日本中、転々と居場所を変えざるを得なくなった者、
  • 「家族に会えば拉致監禁されるかもしれない」という理由で家族離間を余儀なくされた者

などの被害者を生んできた。

旧統一教会側が再三にわたり、この事実を公表して拉致監禁をやめるよう訴えてきたにもかかわらず、「週刊文春」は全て黙殺した。まともな実態調査と報道などやったことがない。

それどころから、全国霊感商法対策弁護士連絡会の御用雑誌と化して、旧統一教会を一方的に批判する側に回ってきた。

「報道しない自由」を思う存分行使してきたのは「週刊文春」も同じなのである。

4,新体操選手の山﨑浩子さん事件で実行された刑法220条違反の拉致監禁

「週刊文春」で報じられた有名な拉致監禁事件が、1992年の合同結婚式に参加した元新体操選手、山﨑浩子さんの失踪と脱会だ。

inthadoor.com

ここには、

1992年に、山崎浩子さんは統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に入会しており婚約者がいました。婚約者は、勅使河原 秀行(てしがわら ひでゆき)さん。

当時、テレビや雑誌などで「テッシー」の愛称で呼ばれ、一躍時の人になりました。

勅使河原さんは、京都大学出身で大和証券勤務というエリートの方でした。

合同結婚式によって山崎さんは勅使河原秀行さんと婚約しましたが、家族の強い反対により、入籍はしていませんでした。

山崎浩子さんは、特にお姉さんと牧師さんの根気強い説得の末に統一教会を脱退、婚約解消したニュースで世間で騒がれました。

その後の山崎浩子さんですが、統一教会と接点はない様子です。

山崎さんは1993年4月21日に記者会見を開き、統一教会からの脱会をお話されています。

と書かれている。

しかし、「お姉さんと牧師さんの根気強い説得」なるものは、本人の自由意志を尊重したオープンな環境でなされたものではなく、拉致監禁されたため、やむなく「話し合い」に応じたものである。

当然、それは自発的な話し合いではない。かねて書いている通り、「強制された自発性」にすぎないのだ。

山﨑さんは脱会するとき、「自分はマインド・コントロールされていた」と語ったが、その結論に至る過程で違法な刑法犯罪が公然と行われていたこと、この事実は否定することができない。

5,山﨑浩子さん事件の正当化が、12年5カ月もの拉致監禁(後藤徹氏事件)を誘発した

「脱会したんだからいいじゃないか」は犯罪を正当化し、次なる犯罪を誘発する許しがたい暴言である。それは「泥棒しても、すぐ返したんだからいいじゃないか」と同じレベルの悪辣な開き直りである。

「脱会したからいいじゃないか」というが、「では、当人があくまで脱会を拒否したらどうするのか?」という問いに全く答えていないからである。

あくまで脱会を拒否したら、ずっとアパートやマンションに閉じ込めておくのか? 実際にこのような暴挙によって12年5カ月も監禁された信者が出てしまったのだ。

山﨑さんを拉致監禁し、それを「マインド・コントロールされた信者を脱会させた成功例」と誇示してきた人たちやメディアは、後藤徹氏の12年5カ月の監禁事件に対して大きな責任を負っていることを知るべきだ。

山﨑浩子さん事件が後藤徹氏事件を誘発したのである。

その後藤徹氏事件は、山口広氏ら全国霊感商法対策弁護士連絡会側の抵抗にもかかわらず、拉致監禁した親、幇助した牧師、同じく幇助と棄教の強要をした脱会屋が違法認定され、損害賠償支払を命じられた(2015年に最高裁で確定)。

6,山﨑浩子さん事件は「デプログラミング=拉致監禁による強制的な脱会説得」だと見抜いた『朝日キーワード94~95』

山﨑浩子さん事件の異常性を当時、一部マスコミは見抜いていた。

意外にも『朝日キーワード94~95』(朝日新聞社)が次のように書いている。

アメリカでカルト(非伝統的な新宗教や疑似宗教)が盛んであった1970年代、カルトから救出することをデプログラミングといい、救出にかかわる専門家をデプログラマー(カルトによって心理的に拘束されている人の精神を解放する人)といった。

カルトに拘束されている人はプログラミングされていると考えられていたからだ。

デプログラミングには、強制的な「拉致・監禁・鉄格子・鎖」といった手法が用いられる。

92年夏、統一教会の合同結婚式に参加した元五輪新体操選手の山崎浩子さんが、失踪騒動から46日目に姿を見せ、93年4月21日に行われた記者会見で述べた「マインド・コントロール」は、「デプログラミング」のことである。

強制的な救出ではないイメージづくりのために用いられたのだろう。(p.153)

これを書いた記者はよく真相を見抜いたものだと感心する。

7,ヌケヌケとウソをついた杉本誠牧師

この事件に関わった杉本誠牧師

犯罪に該当するような行為が一切なされていないことが明らかにされた。

と堂々とウソをついた。(『統一協会信者を救え』緑風出版、1993年、p.16)

結局、「脱会したんだからいいじゃないか」という結果オーライの考え方で、犯罪行為をウソをついてまで隠蔽してしまうのだ。

しかし、山崎さんに対して刑法220条違反の犯罪行為を実行し、外部(婚約者の勅使河原さんはじめ教団側関係者)との連絡を遮断し、密室での強制的な脱会説得により、山崎さんの「信教の自由」「宗教選択の自由」を奪って彼女を脱会させたことに疑いの余地はない。

8,山﨑浩子さんの姉は、浩子さんが脱会を拒否したら一生閉じ込めておくつもりだった

山崎さん自身、「週刊文春」の親会社の文藝春秋から出した『愛が偽りに変わるとき』(1994年)で次のように書いている。

梶栗玄太郎編『日本収容所列島』(賢仁舎、2010年)より

山﨑さんの姉は監禁場所に連れて行った後、こう言った。

「ヒロさん、なあ、結構快適だよね。私はいいんだよ。一生でも二生でも付き合うから。もう離婚覚悟で来てるんだから。あんたも好きなだけいていいよ。ほら、叔父ちゃんも叔母ちゃんも仕事辞めてきたんだから。ねえ、叔父ちゃん」

(中略)

「私は、たまらなくなって、泣きわめいた。

『なんでこんなことをする! なんでこんなことしなきゃいけない! 私はどこにも逃げない。東京の私の家でだって話し合いはできる。こんなの話し合いじゃない。こんなの話し合いじゃない!』」(『愛が偽りに変わるとき』より)

これほど生々しい証言があるだろうか。

ここまでの引用で、当の本人が「これは拉致監禁だ」「自発的な話し合いなんかじゃない」と涙ながらに、また泣き叫びながら訴えているではないか。

外形的に見ても、山﨑さんの魂の叫びは事実に即したもので、その通りと言うしかないものである。

この時点では山﨑浩子さんはまだ信者だった。だが、教団を脱会して非信者になった後でも、こうした外形的事実が変わることはない。事実は事実であり、動かせないのだ。

脱会したことで変わったのは解釈である。統一教会をやめて「教団を利するようなことは言いたくない」という心理状態に変化したため、自分の体験を解釈し直して「拉致監禁」から「保護説得」へ、「話し合いの強制」から「話し合いに自分で同意した」へ変えてしまった。

その結果が、「マインド・コントロールされていました」という発言につながるのだろう。

ところで、山﨑さんの姉は「一生でも二生でも付き合う」と言った。これは要するに、山﨑さんが脱会するまでは絶対に監禁を解かないという決意表明にほかならない。

山﨑浩子さんは1カ月程度で脱会を決めたが、信者の後藤徹氏はあくまで脱会を拒否した。そのため監禁期間が12年5カ月という気の遠くなるような長期間に延びたのである。

山﨑さんの姉は、妹の浩子さんが断固として脱会を拒否したら「一生」閉じ込めておくつもりだったのか?

山﨑さんの姉がやったことは、まさに両刃の剣である。彼女のやったことを容認すれば、後藤徹氏のような正真正銘の被害者が出ることは自明ではないか。

何をどうされようと絶対にやめないと言う者はいる。江戸時代、ご禁制のキリシタンになった日本人でさえ、極刑となることがわかっていても棄教しない信者はいたのである。

それゆえ、たとえ反統一教会陣営にとって結果オーライだったとしても、信者を脱会させようとするプロセスに犯罪行為を介在させることは絶対に許されないのだ。

こうした「信教の自由」と人権を蹂躙する行為を容認し、過去30年以上、見て見ぬ振りをして放置してきたのが「週刊文春」である。

そんな偽善のメディアに、ジャニー喜多川氏の性加害問題一つで、正義の味方面してテレビ局を批判する資格などあるわけがない。