鹿児島市で11月に開かれる「おはら祭」。昨年、地元の旧統一教会メンバーが踊り連に参加したところ、約30件の抗議があり、鹿児島市は「参加基準」なるものを新設したという。
地元メンバーは根拠のない抗議にめげず、今年も参加申請をした。それについて南日本新聞が取材記事を公開している。
鹿児島市が申請を却下した場合、同市の作った「参加基準」は最初から旧統一教会の排除を目的としたものだったことになる。
申請した代表者は「拒否なら信教の自由の軽視だと思う」と言っているが、万が一にもそのようなことになったら、裁判に訴えて戦うべきだ。今から準備を始めた方がよいと思う。
差別や人権侵害に対しては、戦って権利を勝ち取るしかない。黙っていたらいいようにやられるだけだ。
「市民の人権擁護の会」(Citizens Commission on Human Rights)日本支部代表世話役の米田倫康(のりやす)氏の言葉に耳を傾けよう。
米田氏は8月15日付け拙ブログで紹介したインタビューで次のように語っている。
信教の自由に関しても今横行しているのはレッテル貼りで、(中略)そこでも人権を守るために戦わなくてはなりません。
信教の自由は守られるべきもので、個々の教義は関係ありません。宗教の最終的な目的は一致したとしても教義自体には共通点がなかったりしますから。
しかし、一つ共通点があるとすれば、それは民主主義の根本である信教の自由です。世界共通のもので、誰もが守らなければならず、民主主義国家においては国民一人ひとりが、不断の努力によって保持していくのが義務とされています。人権は一方的に与えられるものではありません。
信教の自由については、国民の多くが知っていながら、それが封じられたらどうなるのか知りませんでした。だからこそ、こうした経緯があったが、これからは守っていこうというように、この機会に逆転できると思います。ある意味でのパラダイムシフトです。
人権の確立のために戦っている人らしい前向きで力強いメッセージだ。
旧統一教会を反社会的団体と言うことはできない。
同教団は、日本共産党のように過去に暴力革命を掲げて武装蜂起したことはなく、公安調査庁から「今なお暴力革命を捨てていない」として破壊活動防止法に基づく監視を受けているわけでもないからだ。
「社会的に問題が指摘されている団体」だとは言えるが、目下、それは濡れ衣だとして争っている段階である。
広島市や岡山市は、旧統一教会の関連団体に公的施設の使用を認める判断をした。その判断は正しい。
鹿児島の旧統一教会メンバーは、おはら祭の踊り連に参加して布教するわけではなかろう。
その場で政治的メッセージを発するようなことがあれば問題だが、そうでなければ市が参加申請を拒む理由はないはずだ。