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ジャニー氏礼賛報道のAERAはなぜ廃業しないのか?~「メディアの沈黙」を象徴するAERAの追悼特集号は歯の浮くようなお世辞のオンパレード!

1,ジャニーズ事務所、ジャニーズタレントを叩くことで生き残りを策す姑息なマスコミ各社

マスコミはジャニーズ事務所を叩き、ジャニーズタレントを叩くことで自らの生き残りを策しているように見える。

ジャニーズタレントたちに罪はない。彼らが仲間や後輩への性加害をうすうす、あるいはハッキリ知っていたとして、彼らに何ができただろう?

彼らはジャニーズ事務所に所属し、生殺与奪の権を握っていた経営陣に雇われている立場だ。反旗を翻したところでつぶされるに決まっている。

彼らにできることは、環境を与件として、自分にできること、すなわち芸を磨き、タレント力を身に付け、浮き沈みの激しい芸能界、エンタメ界で生き残ること。

それ以上を求めるのは酷というものだ。

2,「カネのためなら未成年者への性加害も見逃すマスコミ」という疑惑

最大の問題は「メディアの沈黙」ではないか。

反省や謝罪を表明したマスコミもあるようだが、そんな通り一遍の生ぬるい態度が世間に通用すると本当に思っているのだろうか。

ジャニー喜多川氏の性加害は東京高裁で認定され、上告棄却により2004年に最高裁で確定した。被害者たちの体験手記も何冊も刊行されてきた。

それでも、マスコミはジャニー喜多川氏の性加害の真相究明に動こうとしなかった。

それはなぜだったのか? ジャニーズ事務所に脅されて書かなかったとすれば、メディアの存在意義に関わる深刻な事態だ。

日ごろ、行政府の役人には「政権に忖度するとはけしからん」と言い、自分たちがちょっとでも政府から抗議や批判を受けると「言論を萎縮させる」だの「言論弾圧」だの大騒ぎするくせに、ジャニーズ事務所から「おかしなことを報道したら、うちのタレントは出さないぞ」と脅されるとあっさり腰砕け。

カネのためなら未成年者への性加害も見逃すのがマスコミなんだろうか?

まだ疑惑の段階だが、目下の最大の問題は、この疑惑に真実味がある以上、とことん真相を究明することだろう。

事実なら自ら進んで言論を萎縮させてきたわけで、マスコミとしての役割を放棄したに等しい。

責任の所在を明らかにし、該当する人間や組織にはきっちり責任を取ってもらわなくては。

他人や他組織の責任追及に明け暮れているマスコミが、自社の責任を不問に付すなどということは、あってはならないのだ。

3,謝罪や反省で幕引きは許されない。マスコミ各社は第三者委員会を設け、ジャニーズ事務所への忖度の実態を徹底的に究明すべき

マスコミがやるべきことは、ジャニーズ事務所を叩くことでも、ジャニーズタレントを攻撃することでもない。

自社の歴史を遡って、いつからジャニーズ事務所への忖度が始まり、その忖度の実態はどういうものだったかをつまびらかにすることだ。

マスコミ各社はそれぞれに第三者委員会を設けるべきで、そこに調査権限を与え、調査に全面協力すべきである。

「ジャニーズ事務所ににらまれ、タレントを提供してもらえなくなってもやむを得ない。それでもマスコミの責務として、ジャニー喜多川氏の性加害問題を追及すべき」

と主張する記者や社員はいなかったのか?

いたけれど責任ある者、上層部が握りつぶしたのか?

それとも、そんな気骨ある記者も社員もいなかったのか?

この辺りを解明することが決定的に重要だ。

「現場の記者や社員はジャニーズ性加害の実態を暴こうとしたが、お上がストップをかけていた。彼らはその命令にあらがえなかった」

もしそうなら、まだ救いがある。

知っていながら沈黙していたメディア関係者には、この問題で発言する資格は一切ないが、実態を報道しよう、告発しようと動いていた者がいたとすれば、彼らにはジャーナリズム魂が残っていたことになる。

性加害を告発しようとしたメディア関係者(そんな記者や社員がいたらの話だが)も、所詮はサラリーマン、いやビジネスパーソンだ。自分が属する組織のお上の命令にはあらがえない。

ジャニーズ事務所のタレントたちが、ジャニー喜多川氏が性加害を行っていたことをうすうす知っていても何もできなかったのと同じだ。

当然のことながら、雇われ者で口を封じられた記者や社員たちにジャニーズタレントたちを攻撃する資格はない。その代わり、「メディアの沈黙」の責任は免責されるだろう。

その場合、「メディアの沈黙」の責任を負うべきは、責任ある立場の者や上層部である。

なぜジャニー喜多川氏の性加害問題を厳しく追及しなかったのか?

マスコミ各社には、是非ともこの問いに答えてもらいたいものだ。

社の解体的出直し、いや事によったら解体が求められるのではないか。責任は各部署のトップや上層部にあり、その者たちにはジャニーズ事務所を増長させた重い責任がある。

もしマスコミが報じないのをいいことにジャニー喜多川氏が性加害行為を継続したとすれば、マスコミの責任は更に深刻かつ重大なものになるだろう。

4,CM、広告、番組にジャニーズタレントを起用していた会社は、ジャニー氏の性加害を本当に知らなかったのか?

マスコミ各社は、それぞれに第三者委員会を設け、真相究明を行うべきだ。

歴代社長や経営陣はジャニー喜多川氏の性加害の事実をうすうす知っていたのか? 明確に知っていたのか? それとも全然知らなかったのか?

どこかの経営者は「性加害をうすうす知っていた人が社長になるのはおかしい」「ジャニーズ事務所所属タレントはCMに起用できない」と言っていた。

この過酷な発言がジャニーズ事務所消滅の流れを作ったと思うが、ならばなぜマスコミを批判しないのか? なぜCM、広告、番組にジャニーズタレントを使っていた企業ジャニーズタレントを記事にしてカネを稼いでいた企業に同じ批判をぶつけないのか?

CM、広告、番組にジャニーズタレントを起用していた会社、記事でジャニーズタレントを礼賛していた会社の社長で、ジャニー喜多川氏の性加害の事実を「うすうす知っていた」者、明確に知っていた者は、全員辞任すべきである。

5,本来、ジャニー喜多川氏の性加害を認める確定判決が出た2004年にマスコミ各社は動かなければならなかった

明らかな事実がある。

それは2004年にジャニー喜多川氏の性加害の真実性を認める確定判決が出ていたこと。被害者たちの体験記が刊行されていたこと。週刊文春など一部メディアの告発報道があったこと。

にもかかわらず、マスコミ各社は真相究明に動こうとしなかったことである。

なんにせよ、この事実は重い。

ジャニー喜多川氏は2019年7月9日に亡くなった。朝日新聞系列のAERAは、早くも7月22日号で「追悼・ジャニー喜多川」の巻頭特集をやった。

AERAで、

「YOU!やっちゃいなよ この言葉でみんなの背中を押した 追悼・ジャニー喜多川」

と題する追悼記事を書いたのは朝日新聞記者の林るみ氏もちろん、掲載責任はAERAにある。

今、これを読んでも、どこにもジャニー喜多川氏の性加害に触れた箇所はない。「疑惑」という形ですら書いてない。礼賛一色。批判的視点は全くなく、歯の浮くようなお世辞のオンパレードだ。

6,徹頭徹尾ジャニー喜多川氏の視点に立って書かれたAERAの礼賛記事。追悼とはいえ、度を超した「歯の浮くようなお世辞のオンパレード」

特に問題なのは、書き手がジャニー喜多川氏の代弁者になりきっていることだ。

批判的視点を持つ記者なら「これは何か裏があるな」「なんか変だぞ」と思うはずのことが、全てジャニー喜多川氏の視点から正当化されている。

プロデューサーとして、自分は「裏方」だという意識は徹底していた。写真を撮らせず、メディアに素顔を見せなかったのは、裏方としてそのほうが自由に行動できると思っていたからだ。シャイでもあった。

「マスコミ嫌い」と思われていたが、決してそうではない。劇場に行けば、いつもジャニーさんに会えた。むしろ話し好きだという印象も受けた。

2011年から17年まで4回、朝日新聞の演劇担当者のインタビューにも応じている。

「写真を撮らせず、メディアに素顔を見せない」のは、スターを育て、世の中に売り込む立場の社長としてはかなり不自然だ。

ところが、その理由を林るみ記者は、ジャニー喜多川氏を代弁するかのように「裏方としてそのほうが自由に行動できると思っていたからだ」と書く。

自身がひとりで行ってきたオーディションで、最も重視したのは、アイドル向きの顔や外見ではなく、子どもたちの自主性と「やる気」だ。

地位や名声、人の顔色をうかがうことを嫌った。ネットなどで今ほど顔が知られていない頃は、オーディションでは最初、子どもたちに自分が何者かを告げず、途中で正体を明かして反応を見た。

目の前の「おじさん」がジャニーさんであるとわかって、急に態度を変えるようではダメだという考えだ。素顔を出さなかったのは、そんなオーディションのやり方を続けたいという思いもあったからだ。

ここもそうだ。ジャニー氏が素顔を出さなかった理由を、当の本人になり代わって読者に説明している。

「素顔を出さなかったのは、裏の意図があったからではないか?」と疑う視点が全くないのだ。

10代の子どもに対しても対等な目線を注いだ。「子どもだから」という上から目線で子どもたちを見ない。年齢で差をつける日本的な上下関係を嫌った。

ジャニーさん自身は、いつも私たちに対して丁寧な言葉を使うのに、デビュー前の若いジャニーズJr.のタレントたちには自分に対して敬語を使うことを禁止した。

ほとんど全員が、ジャニーさんに対しては「ため口」。孫のような年頃なのに、ジャニーさんに向かってため口で話すのは、さすがに最初はためらいがあったというタレントも多い。

親子のような距離感になることを求めていたのだろう。

こうも語っていた。

「親御さんから信頼を受けて、大事なお子さんを預かる以上、私も命をかけて自分の子のように教育しようと思ってやってきた」

タレント同士も敬語を使うことや「さん」付けを禁止し、どんなに年上であれ、「くん」付けで呼んだ。そういう対等な関係のなかでこそ、子どもたちは自然体で才能をのばせる。

自分が呼ぶときは、だれでも「YOU(ユー)」。名前を間違えて、傷つけたくないという思いやりもあった。

子どもと対等な関係を結ぶと言えば聞こえはいいが、こんなのどう考えてもおかしいではないか。

一方は社長、他方はタレントの卵。社長は一人でオーディションを行うほどの絶対権力者である。年齢差はもちろん、力関係において天地の差があるのに、対等な関係を結ぶことなんかできるわけがない。

にもかかわらず、なぜそういう体裁をとりたがったのか?

ジャニー喜多川氏が常習的に性加害に及ぶには、日ごろから「親子のような距離感」を作っておくことが必須だったからではないのか。

性加害の事実をうすうすでも知っていれば、そういう疑問が湧くところだ。

ところが、ここでも林るみ記者は「そういう対等な関係のなかでこそ、こどもたちは自然体で才能を伸ばせる」、「(タレントをYOUと呼ぶのは)名前を間違えて、傷つけたくないという思いやり(もあったから)」などとジャニー氏をほめそやし、彼の意図を代弁するのである。

「親御さんから信頼を受けて、大事なお子さんを預かる以上、私も命をかけて自分の子のように教育しようと思ってやってきた」

というジャニー氏の発言に至っては、「悪魔も光の天使を偽装する」という言葉が脳裏をよぎった。

こんな記事を書いてしまった林るみ記者には、もはや筆を折って足を洗うしか道は残されていないのではないか。

ぜひ自伝を書いてほしいとお願いすると、こう言って笑っていた。

「昔は達筆だったんだけど、今は手が前のように動かなくて。字がスラスラ書ける皆さんがうらやましい」

ただ、自分の業績などを記録に残すことにはあまり関心がなかったように思う。名声や名誉にこだわる人ではなかった。その時間があれば、エンターテインメントの現場で他にやるべきことがあると考えていたと思う。

ジャニー喜多川氏に自伝執筆を依頼していたというから驚く。そこまで心酔していたとは。

断りの理由も、林るみ記者はジャニー氏の立場に立って、彼の目線から推測して書いている。

しかし、今考えれば、断った理由はなんとなく想像がつく。

自分の性癖は決して公にはできない。しかし、その性癖を抜きには自分を語れない。そうジャニー喜多川氏本人が自覚していた可能性がある。

7,朝日新聞は評伝で性加害判決に触れた。しかしAERAの追悼特集号には一切ない

朝日新聞は訃報と同時に掲載した評伝に、性加害問題を申し訳程度だが入れていた。

一方、1999年には所属タレントへのセクハラを「週刊文春」で報じられた。文春側を名誉毀損(きそん)で訴えた裁判では、損害賠償として計120万円の支払いを命じる判決が確定したが、セクハラについての記事の重要部分は真実と認定された。(2019年7月10日付け)

朝日新聞が性加害疑惑を明確に知っていた証拠となる一文だ。

こんな短い文章でおしまいなのかと思うが、人が亡くなったときは、故人の人生に汚点があっても強調はしないのが日本の慣習であり、美徳でもある。

だから、全く触れないのはおかしいが、短くてもちゃんと書いた朝日新聞編集部の見識は評価されてよい。

しかし、朝日はジャニー喜多川氏の性加害が事実だと知っていたわけだから、最高裁判決後のジャニーズ報道はどうだったのか、紙面で性加害問題を追及したのかしなかったのか。

この点は厳しく問われなければならない。

8,AERAは看板を降ろして休刊するしかない!

一方のAERAは一切この問題に触れずに追悼特集号を作った。その罪は重く、深刻だと思う。

少なくとも今、AERAにはジャニーズ事務所の対応やら何やらについて、偉そうなことを書く資格は一切ない。

「その前にやることがあるだろう!」ということだ。

ジャニーズ事務所の名称は消滅し、事務所は廃業する。

ジャニーズ喜多川氏を過剰に礼賛し、性加害問題も事務所への忖度問題にも蓋(ふた)をしたAERAには、看板を降ろして休刊することを勧告する。