吊りしのぶ

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派閥解散で完全に終わった石破茂氏

石破派がついに解散した。こうなったのは自業自得とはいえ、派閥の解散(グループへ移行)は石破茂という政治家の凋落を決定づけるもので、もはや総理大臣への道は断たれたといってよい。

産経の記事に「“党内野党”のレッテルが貼られ」とあるが、これは嫌がらせで貼られたレッテルではない。自らそう言われても仕方のない言動を繰り返した結果である。

だいたい石破氏が長く総理候補であり続けられたのは、他ならぬ石破氏の政敵、安倍晋三元首相のおかげだ。

2012年秋の自民党総裁選で石破氏は決選投票で安倍氏に敗れた。ところが、自民党総裁となった安倍氏は自身と対立した石破氏を党幹事長の要職に就けたのである。

これは大変勇気のある、また度量の広い決断だった。

今でも一部のマスコミは、安倍氏が「お友達」ばかりを重用する小心者のように言うが、総理大臣兼自民党総裁という大きな枠組みで見れば、全く事実に反する決めつけである。

安倍氏は理念も政治手法も異にするハト派の谷垣禎一(さだかず)氏や親中派の二階俊博氏を党幹事長に起用している。

総理大臣として自らの政策を実現するには与党の協力が不可欠だ。その与党の要となる人物に、あえて毛色の違う大物を充ててきた。石破氏もそうやって抜擢された一人だ。懐の深さがなければできることではない。

実際、谷垣氏や二階氏は、安倍氏の信頼を裏切ることなく、律儀に安倍氏を支え続けた。

谷垣氏は自民党が野党だった時の総裁だが、自民党の党勢回復を成し遂げることができなかった。そこで安倍氏の登板となるわけだが、その時点で谷垣氏は「終わった人」と見られてしまった。

それなのに安倍氏は、2014年9月、石破氏の後任として谷垣氏に党幹事長への就任を要請した。谷垣氏はよほど嬉しかったのだろう、本来ハト派であるはずの谷垣氏が、「憲法違反の疑いあり」と野党や一部マスコミからさんざん批判された安保法案を通すために、先頭に立って汗をかいている。

国会で野党議員から「あなたはリベラル派なのになぜ安倍首相の暴走を止めないのか」と言われた谷垣氏が、「私は保守政治家だ」と色をなして反論したのは記憶に新しい。

二階氏も党則改正による安倍氏3選をぶち上げ、すんなりこれを実現させた。

安倍氏が長期政権を実現できたのは、こうやって「お友達」ではない有力政治家を巧みに使いこなした結果である。人心掌握術にたけていなければ、7年8カ月もの長期にわたって政権を担い続けるなんてできるはずがない。

野党の言う「安倍一強の独裁政治」という言葉ほど、的外れなものはない。

ところで、石破氏も幹事長や地方創生担当大臣など要職にあるうちは従順な姿勢を取っていたが、石破氏が谷垣氏や二階氏と違ったのは、石破氏の場合、総理大臣への野心を隠さなかったことである。

石破氏は幹事長在任中、自民党総裁選のルール変更を行っている。それまで300票に固定されていた党員票を、国会議員票と同数に改定した。

「次に総裁選が行われるときは自分に有利になるように」という下心があったことは明らかだ。2012年の総裁選では、石破氏は党員票で安倍氏を大きく上回っていた。そのことを踏まえて自らルールの変更を行ったのだ。

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自民党総裁選の仕組み――NHKのサイトにある図

安倍氏はこのルール変更を黙認した。そして2018年、安倍氏と石破氏は再び総裁選で対決する。しかし、石破氏は安倍氏に完敗した。自ら改めたルールに従って戦ったにもかかわらず、勝てなかった。

結局、石破氏が選んだ道は、悔しさをバネに精進する道ではなく、二度負けた相手の安倍氏の足を引っ張ることだった。

2012年の総裁選で負けたのに、安倍氏は石破氏に冷や飯を食わせることはなかった。要職に就け、陽の当たる道を歩かせた。石破氏が2018年の総裁選にチャレンジできたのも、この時の安倍氏による厚遇があったからだ。

それにもかかわらず、要職から外された途端、石破氏は手のひらを返したように安倍批判を始めた。安倍氏を支えようとせず、安倍氏のやることなすことにいちいち文句を付けるようになった。

トップが大変なときこそ一致結束してトップを支えなければならないのに、、、

反安倍勢力や安倍嫌いの国民からはやんやの喝采を受けたけれど、おかげで安倍氏のみならず自民党議員の心はどんどん離れていった。「党内野党」というレッテルにそれがよく表れている。

世論の支持も得ながら党内の支持も拡大していかなければ総理にはなれない。誰が考えても明らかなこの道理が、石破氏には通じなかった。

それを象徴する出来事が岸田政権誕生時の人事である。岸田首相は法務大臣に古川禎久(よしひさ)氏を起用したが、なんと古川氏は石破派を退会した上で法務大臣に就任したのである。

政治の世界は非情だなと思う。石破氏の面目は丸つぶれだ。

古川氏にすれば、石破派として入閣し、石破氏に花を持たせるようなことはしたくなかったのだろう。それほど石破氏の信用は低落していたわけだ。

もはや石破氏に付いていく人はいない。次に総裁選があっても20人の推薦人を集めるのは至難の業だ。

たとえ集められたとしても、党内には石破氏同様、党員に人気の高い河野太郎氏がいる。保守系からの支持を集める高市早苗氏という強力なライバルもいる。石破氏に勝ち目はない。

ビジネスで一番大事なのは信用だと言われるが、政治の世界も同じだろう。トップの悪口ばかり言って野党やマスコミに攻撃材料を与えることに熱心な人が、同僚議員の信用を得られるはずがないのだ。